『機動戦士ガンダム』の挑戦、挫折と栄光 〜屈託した人間を描いて
ロボットアニメがスポンサーの意向に従い、作品自体を描く点において制約があることはわかりました。アニメはお金がかかりますからどうしてもスポンサーをつけねばならず、またスポンサーは作品のキャラクタービジネスで資金を回収せざるをえず、そしてお金を回収するために作品自体を商品化しやすいように制御していかざるをえない、ということになるのでしょうね。と同時に作り手自身もすでに出来上がった作品類型に従って作る方が売れる、喜ばれる、安心と作品自体の中に存在する矛盾を見逃してしまいます。けれどもそうした点を意識し、批判的に作品を作り上げたのが富野由悠季でした(以下ちょっとネタバレかもしれません)。
削ぎ落とされるロボットアニメの世界観
『無敵超人ザンボット3』をへて富野由悠季は新たな作品を構想します。『ザンボット3』ではまだ少年もののロボットアニメの枠組みを残していたので、戦わざるをえない状況の設定から見直した作品、ロボットも英雄ではなくただの兵器として描き、主人公も英雄ではない姿で描いた作品を生み出そうとします。戦わざるをえない理由として、宇宙における植民地の独立戦争を設定し、宇宙空間で戦うための兵器としてモビルスーツというロボットの体系を作り、主人公は偶然戦争に巻き込まれて搭乗せざるをえなくなった素人少年パイロットとなりました。それが今日まで名前だけなら誰でも知っている『機動戦士ガンダム』という作品です。
スポンサーの意向と作品の攻防
しかし、『ガンダム』は当初からスポンサーの反発があったそうです。というより、富野由悠季が本気すぎてスポンサーがついていけなかったのかもしれません。ガンダムは主人公の乗るロボットの名前ですが、これは元々単なる兵器の一つでした。いわば戦車やヘリコプターのような扱いにしたかったみたいです。そして戦車やヘリコプターを思い浮かべてもらえばわかりますが、どれも迷彩色の地味な色をしています。当初ガンダムもこんな色にしたかったそうです。しかしスポンサーは認めません。何故ならこんな渋い色、子どもが喜ばないからです。ですから当時子どもが好きな色として認められていたという、白、青、赤の3色カラーにさせられたのでした。
ふるわぬ人気 〜子どもを飛び越えてしまった作品
それでも富野由悠季は作品自体は譲りませんでした。断固として戦争の悲劇を主眼に、かつ社会に出た少年の屈託のようなものを重ね合わせてドラマを展開しました。しかしこの説明を読んだだけでもわかりますが、とても子どもの喜びそうな代物ではありません。実際『機動戦士ガンダム』はさほど放映当時は受け入れられなかったようです。草食系という言葉を作った深澤真紀はネットのインタビューで、『ガンダム』の話を理解しているのはクラスで一番頭のいい子たちくらいだった、と述べていましたし(元記事は閲覧期間が終わっているとかで読めなくなっていて紹介できません)、アニメ評論家の氷川竜介は社会人になったばかりの時に『ガンダム』を見て、なぜ自分の今の状況とぴったりくるような内容が描かれているのだろう、と驚いたといいます。つまり、富野由悠季は本気で子どもを馬鹿にしない作品を作った結果、子どもを飛び越えてより年齢層の高い、成熟に揺れる層へとアピールされてしまったのです。
私小説としての『機動戦士ガンダム』
そしてそれくらい『機動戦士ガンダム』という作品は優れていました。『ザンボット3』が難民アニメなら、『ガンダム』は私小説アニメでもあるのです。つまり社会に出たばかりの人間が、軋轢の中に放り込まれて屈託しまくる内容なのです。評論家の大塚英志は『ガンダム』を私小説と指摘しましたが、まさにそのような内容でした。延々主人公の自意識と社会的役割との板挟みによる苦悩が描かれているのです。その意味では庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』は『機動戦士ガンダム』の子供であることは間違いないのです。富野由悠季がいくら否定しても、影響のほどは明確のように感じてしまいます。
しかし、それゆえに、子ども向けのロボットアニメとして出発した『ガンダム』は視聴率はふるいませんでした。当然スポンサーからもテコ入りがあります。もっと普通のロボットアニメにしろ、と要求してきます。そしておもちゃが売れるようにガンダムを合体させたものまで登場させようとしました。しかし富野由悠季はこうしたスポンサーの要求を一部呑み、または誤魔化しやりすごし、時には対立し、と苦労を重ねながら、しかし作品の中軸は一切譲りませんでした。そのため作品のドラマは屈託した少年から自らの役割を自覚した青年へと内面的に成長を遂げ、戦争自体も大局の中一兵士である主人公たちの関与できないところで動き、その中の一部で戦っていくのでした。これが戦争を描くと同時に、組織人として生きていかなければならない者の暗喩と化していることは氷川竜介の驚きからも容易に見て取れます。
打ち切りと真の視聴者たち
しかし、やはり視聴率はふるいません。富野由悠季は作品をブレることなく一貫して作っているのだから当然です。元々当初の視聴者層である子どもたちには少し敷居が高いのです。子どもたちのために、誤魔化さず作った作品であったために受け入れられないという悲劇が起こりました。そのため作品は構想を遂げ切ることなく打ち切りになりました。
その最終回。富野由悠季は『ザンボット3』で試した実験を再度繰り返しました。最後に主人公の乗るガンダムを、ライバルとの死闘の中でボロボロに壊したのです。首はもげ、腕は引きちぎれ、最後に残った銃で敵のロボットを打ち抜き決戦を決めます。まさにガンダムがただの兵器として、動く機械として使われ、朽ちていった最後でした。主人公は壊れたガンダムを残して脱出し、仲間たちの元へと戻っていきます。そして彼らがずっと乗っていた戦艦が落とされ、残された仲間たちと共にその姿を眺めるのでした。戦艦は彼らの過ごしてきた家の暗喩であり、戦争によって家が奪われることの暗喩ともなりながら、作品の幕は閉じられるのでした。
しかし、『機動戦士ガンダム』は打ち切られたからといってここでは終わりません。いえ、むしろ打ち切られたその時から始まったのでした。放映が終了してから間もなく再放送が始まったのです。今ではよくわからないことですが、当時は放送を終えたアニメ作品がすぐに再放送されることは当たり前にあったそうです。そしてその再放送の時間が調度当時の中学生が帰宅する時間にあたったのだといいます。そして元々優れた作品であった『機動戦士ガンダム』は、新たな視聴者層を得て大ヒットします。打ち切られ、再放送されることによって『ガンダム』は真の視聴者たちに届けられることが出来たのです。そしてTV放送を総集編にした劇場版が三部作でつくられ、富野由悠季は続々と新作を作り続け、とうとうファンの熱気に押されて続編が作られ、しかも何作も作られると創作者の富野由悠季の手を離れて会社によって独立した作品群が今日まで作られ続けるのでした。恐ろしい作品へと成長したのです。
参考となる本
【機動戦士ガンダム】
『ガンダム』のブルーレイ版。なんでも『ガンダム』のTV放送されたものは2000年頃になってようやく映像商品として出たそうです。それまでは版権の関係かなにかで、TV版は中々見れない半ば幻の作品と化していたみたいです。ではなにが見れたのかというと
劇場版だけが見れたのでした。再放送で人気を不動としたものの、その後はあまり再放送されなかったようです。続編の『Zガンダム』や『ZZガンダム』は何度も再放送されていましたが、最初の『ガンダム』はそのようなことはなかったそうです。
ただ劇場版は3部作とはいえ1年近い放送分をダイジェストにしているので、もしご覧になるのであればTV版を見ることをお勧めします。長いですけどね。
ちなみに『ガンダム』シリーズが優れているのは当然監督であり創作者である富野由悠季によるところが多大なので、他の人の作った『ガンダム』シリーズはある意味ではまったく違う作品といえます。作品世界やロボットの設定を共有していながらも、テーマや内容は差があります。もちろん優れた作品はありますが、駄作があることは間違いありません。
【富野由悠季『だから僕は…』】
で、再度富野由悠季の自伝。おそらく富野由悠季にとって人生の絶頂であったことは間違いない(岡田斗司夫談)であろう『ガンダム』時代のことも中心的な話題として書かれていたかと思います。自伝を読めばアムロの屈託が富野由悠季自身の投影であることはなんとなく想像がつきます。私小説という指摘もあながち間違っていないかもしれませんね。
【氷川竜介『世紀末アニメ熱論』】
この本の中に氷川竜介が『ガンダム』と始めて接した時の衝撃と、その後『ガンダム』を支えていくグッズ展開の一端に貢献したことなどが書かれています。また『機動戦士ガンダム』がビデオグラム化されていなかったことも書かれていたかと思います。薄いけど熱意のこもった、妙に重っ苦しい本だったような覚えがあります。しかしそうなる理由も作品を見れば納得するのでした。
次の日の内容
『伝説巨神イデオン』とトラウマになりそうな死の表現 〜当たり前に死ぬ人々と現実と虚構による表現のズレ(死に様もなく死亡していく…)【富野由悠季】 - 日々是〆〆吟味
前の日の内容
『無敵超人ザンボット3』難民アニメとしてのトラウマ的テーマ ~または最終回におけるロボットアニメのお約束への富野由悠季の挑戦【富野由悠季】 - 日々是〆〆吟味
お話その67(No.0067)