『伝説巨神イデオン』と死の表現
『機動戦士ガンダム』の後、富野由悠季は続々と作品を作っていきます。それも原作つきのアニメではなく、オリジナルのロボットアニメを作っていくのです。
このような真似が出来たのは『ガンダム』のヒットが作品だけでなくロボット(モビルスーツと呼ばれる)の魅力があり、ロボットの模型がおもちゃ会社によって販売されたことも当たったからでしょう。それは今日まで続いています。ガンダムのプラモデル、通称ガンプラとして大手電気屋のおもちゃコーナーですら一角は占められるほどの規模です。そのため同じようなロボットの模型を販売することが当て込めればスポンサーは支援してくれるようになったのでした。手塚治虫が開拓したキャラクターグッズによる制作費の調達は洗練されてガンプラという一つの鉱脈を築くほどになったのでした。
また富野由悠季がいた会社はサンライズといい、火災のあった京都アニメーションと同じで自社制作のアニメを作ることに成功していました。というよりサンライズによって独自のアニメ作品を作ることを可能とした会社が現れたのかもしれません。その意味ではキャラクターグッズによって自社制作を可能とした点で『ガンダム』は作品としてだけでなく、制作体制としても革命となったのかもしれませんね(それともタツノコプロかな)。
『伝説巨神イデオン』のあらまし
さて、そうして作られた作品群の中で一際異彩を放つ作品があります。それが『伝説巨神イデオン』という作品です(以下やっぱりネタバレかも)。『イデオン』のストーリーの始まりはさほど難しいものではありません。主人公たちのもとに異星から人が訪れ、追ってきた者と戦うことになるのです。枠組みだけなら簡単なのですが、その中で錯綜する人間関係と、宇宙規模で行われる骨肉愛憎の戦い、そして人類を一から見直すような神秘的世界観と盛りだくさんで強烈です。ここまでくれば『ザンボット3』の頃にはまだあった、子供向けの要素がかなり削ぎ落とされているといえるかもしれません。『マジンガーZ』によってスーパーロボットが誕生し、『ガンダム』によってリアルロボットに変貌したロボットアニメは『イデオン』によってある種行き着くとこまで行き着いたのでした。
当たり前のものとしての死
『イデオン』の衝撃的なところの一つは、悲惨な争いの中で命を散らしていく人々の姿にあります。普通ドラマチックな作品であれば、主要キャラクターが亡くなる時には焦点を合わせ大々的に描きます。たとえば『鋼の錬金術』でヒューズが死ぬ際は非常に大きな山場で、作品中特筆すべき場面です。しかし『イデオン』では、あれ、え、いつの間に、えぇ⁉︎ とばかりに、見ている側が気づかぬような演出で、また驚くような演出で相当に重要なキャラクターが亡くなっていくのです。それは完結編として作られた劇場版に顕著で、なんなら冒頭の5分をご覧になっていただくだけでも理解されるかと思います。
現実と虚構の死
これはおそらく、人の死に対する考え方が違うからだと思います。富野由悠季にとって人の死とは、悲惨な戦場の中なんの価値もなく失われてしまうものなのではないでしょうか。ですから誰にも注目されず、物語としても焦点化されず、ただ逃げ去る中で一発の銃弾によって奪われてしまうのです(ただこれは完結編冒頭の場面とは違います)。なぜそうなるのかといえば、やはり現実から作品を立ち上げるからでしょう。逆に物語としてキャラクターの死を盛り上げてしまうのはアリストテレスの悲劇の理論に近いかもしれません。アリストテレスは悲劇によって怖れと憐れみの感情を呼び起こし精神を浄化すると考え、その効果をカタルシスと呼びました。悲劇の頂点で衝撃を受けて終えられることにより、観客である現実の人間は精神が浄化される、と考えたのかもしれません。フィクションを現実への刺激と考えるか、現実の写し鏡として捉えるかの違いですね。これはどちらがいいというわけではなくタイプが違うということでしょう。そういえば以前フォルマリズムというものについて書いたことがありますが、フォルマリズムとリアリズムの違いってことになるでしょうか。
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/07/11/193027
ともかくこうしたフィクション観から死についての捉え方が変わり、作中での死の描かれ方も変わりました。この気づかぬ内に長年登場していたキャラクターが亡くなってしまう手法は『ガンダム』シリーズの完結編とでもいえる『逆襲のシャア』でも使われました。見ているととても辛くなります。
宇宙規模の死と再生
さらに『イデオン』は人の死だけでなく、憎悪と軋轢ばかりを行う人類についての厭世的な追求を作品の中でも行い、とうとう破滅的なラストにまで至ってしまいます。ただし作中ずっと示唆され続けている新生児=新しい世代への期待だけが残され、それ以外の人類すべてを嫌悪するような終わり方をして作品は閉じられるのでした。自分の手がけるアニメを子どもだからと馬鹿にせず真摯に向き合い突き詰めた結果、とんでもないところまで行き着いてしまったのです。これが『ガンダム』から間もない頃に作られたのでした。
参考となる本
【伝説巨神イデオン】
『イデオン』のTV版と劇場版。『ガンダム』の時と同じように打ち切りにあったらしく、最終話を劇場版でやりました。接触篇はTV放送の総集編で、発動篇がオリジナルの最終話になります。私は劇場版しか見てません。なにはともあれ、どこかでご覧になってほしい作品です。
【大塚英志,ササキバラゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』】
富野由悠季についても一章さいていて『イデオン』についても述べられています。私はこの本で『イデオン』について知ったような気がします。その前に『ロボット大戦』で出てたのを覚えていますが、内容やテーマについてはこの本によって教えてもらったと思います。
【アリストテレス『詩学』】
アリストテレスが古代ギリシャ悲劇について理論的に分析した本。哲学だけでなく、文芸理論まで2000年前からあることに驚いてしまいます。つまり、フィクションっていうものは人類が今日まで残る考え方を始めた時点で既に重要なものだったことがわかる、というわけですね。今でも読んで普通に創作に役立ちそうな本ですが、よくもまぁこんな昔の理論が今でも十分通用するな、と驚いてしまいます。普遍性ってすごいなぁ。
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『機動戦士ガンダム』のテーマと意味、または挑戦、挫折と成功/栄光 〜ロボットアニメの世界観とガンダムキャラクターの人間観【富野由悠季】 - 日々是〆〆吟味
お話その68(No.0068)