日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

『ガンダム』における人物像の実存からキャラへの変化 〜学生運動と結びつく私小説的な実存的キャラクターと情報化社会によるイメージの実体化により生まれた表層的キャラクター【機動戦士ガンダムSEED】

 

『ガンダム』における実存とキャラクター 〜その時代背景との影響関係?

私小説的キャラクターの実存性

『機動戦士ガンダム』は富野由悠季の私小説である、という指摘をした人がいます。それは言い得て妙なところがあり、『ガンダム』は実に屈託した青年の姿を描いています。そうした姿は等身大の人間の姿であり、あたかも富野由悠季自身の姿を重ねたかのようにも見える人物造形でした。それはアムロというキャラクターを実存的に描こうとしているからです。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/02/193000

 

ではなぜ実存的なキャラクターをアニメの中に描いたのでしょうか。

 

実存的キャラクターの社会的背景 〜60年代の学生運動

理由はたくさんあると思いますが、ちょっと社会的な背景から考えてみましょうね。

 

富野由悠季は敗戦の少し前に生まれました。というより戦争の始まった頃に生まれたようです。仕事を始めたのは60年代半ば、ちょうどこの時期は学生運動が盛んな時期だったようです。文芸批評家の絓秀実が68年革命と呼ぶ、学生運動の頂点となる時期をまだ二十代で過ごしたわけですね。

 

この学生運動というものが、どうもとても実存的なものだったようなのです。つまり自分の中にあるやむにやまれぬようなものに突き動かされてしまう、そんな側面があったようです。だから読み込むことによって自分の内面を掴むような現代詩が重要な表現として現れ、難解なものを書く詩人で批評家の吉本隆明が教祖と呼ばれるくらい支持されました。そして学生運動は相当に大きな社会的影響を与えもしたそうです(全部よく知りませんけども)。

 

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となると、やはり表現の場でも影響を受けるかと思います。そして学生運動の頂点から10年、運動自体は収束していますが、その時代を生きた人々は当時の記憶を残したままに年を重ねました。学生だった人も社会人です。そして表現の場にいる者もそうした時代を経た者が担うようになります。

 

学生運動後と『機動戦士ガンダム』

事実、『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインをしている安彦良和は学生運動の運動家として、当時かなり名の知れた人だったそうです。そうした同世代の人たちと仕事をしていて、富野由悠季のような優れた表現者が他人事のまま描くとは考えにくいかと思います。そして学生運動の人々のメンタリティーは実存的でした。ならば表現の中にも実存的なものが入り込んできてもおかしくないかもしれません。

 

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そして富野由悠季自身も学生時代、自治会に入ってのち私学連との関わりが出来て内部の状況に関心を持ったそうです。なんでも組織のあり方が国と軍部の関係に似ているように感じ、お金の流れも肌感覚でわかってくるようにもなったといいます。そのまま私学連に深く関わっていく前に辞めたそうですが、それは自分は組織論に関心があったからだと思う、とも述べていました。この経験が作品の中にどこか反映されているかもしれませんね。

(ちなみに前回『ガンダム』はベトナム戦争後ではないか、とご指摘頂きましたが、まさにその通りで、学生運動とベトナム戦争反対は密接な関係があったと思います。ではなぜ太平洋戦争後としたかといえば、日本にとって我が事の戦争は太平洋戦争に他ならず、それに対してアフガニスタン・イラク戦争は湾岸戦争以降の記号化され消費されてしまった戦争としてある、と両者を対比するためでした。その差を『機動戦士ガンダム』と『機動戦士ガンダムSEED』に見ていこう、というお話しの途中なのですね)。

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/01/120010

 

情報化社会とイメージの実体化

一方『機動戦士ガンダムSEED』にとって、学生運動に比する社会的事件は文句なく9.11かと思います。しかしそれは国外的事件です。国内的出来事としては何があったでしょうか。初代『ガンダム』との比較でいえば(放送の約10年前)、阪神大震災やオウム事件があったかもしれませんね。しかしそうした側面は『SEED』には感じられません(私だけ?)。

 

しかしパソコンからネットといったものの登場によって、社会のよりイメージ化がちょっとずつ進んでいた時代でもあったかもしれません。これは国際事情であると同時に国内的に進んだものでもあります。ただでさえ消費社会になってイメージの方が上位になってきたのに、インターネットの存在によりますます加速がつきました。今やイメージが実物とどう違うのか、難しくなっているかもしれません。しかし『SEED』の頃はまだそこまで行ってはいなかったでしょう。

 

ですがその前駆症状として、本来イメージでしかなかったものがより実体を持って現れ出してきました。たとえばアニメの人気が認められだすのはこの頃のはずです。それまでキャラクターでしかないものに熱狂するのは奇異の目で見られていました。しかしアメリカで『千と千尋の神隠し』がヒットしたとか、日本経済は回復の見込みはないがアニメは海外で売れるらしい、という、ちょっと表現そのものとは違う形で認められ出してきたようです。

 

内面のリアリティ 〜実存からキャラへ、似姿から願望へ…?

となると初代『ガンダム』にあったような実存的な人物造形は後退していくように思います。そもそも消費社会が到来したバブルによって実存的人物像は滅んだのかもしれません。富野由悠季もかつてのように作品を作らなくなっていくのも90年代半ばでした。また宮台真司が登場し援助交際をする少女たちを擁護して、彼女たちには傷つく内面などない(乗り越えられた)と発言していたのもこの時期です。つまりかつての内面や実存は終わった、と思われたわけですね。

 

しかしその頃『エヴァ』がありました。主人公のシンジくんはそんな時代に珍しく、屈託しまくった内面を持つ少年でした。『エヴァ』は主人公の造形という点では初代『ガンダム』を引き継いでいたといえます。しかしその後はシンジくんの屈託ではなく、アスカやレイといった美少女キャラクターの方が盛んになりました。これはアニメの受け手も実存的なキャラクターより美少女的なキャラクターの方を好んだからです。つまり自分たちの似姿ではなく、自分たちの願望を受け入れてくれるキャラクター像の方を選んだわけです。これが時代の趨勢でした。

 

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そしてそれを『SEED』は受け継いでいるといえます。ただ『SEED』はそれが美少女キャラクターであるより美少年キャラクターに偏りました。おそらくはガンダムですから完全に美少女化してしまうことができなかったのと、まだ完全に美少女ばかりで登場人物を占めてしまうような時代ではなかったのかもしれません(よく覚えてない)。そして脚本家が監督の奥さんで、女性だったことも要因の一つかもしれません。

 

ともかく初代『ガンダム』にはあった実存的なキャラクター像は『SEED』ではなくなり、代わりに美少女キャラクターの転用されたものにキャラクター像はなりました。すなわち自分たちの似姿から願望を受け入れてくれるキャラクターにです。実存からキャラへ、とでもいえるかもしれません。そして戦争という現実が遠い国で起こりながら、その影響を受けてしまわねばならない戦争アニメは、実存ではなくキャラとして作中の戦争に描かれました。

 

それは同時に戦争をキャラクター化=イメージ化させることへと協力してしまうことにつながったのだと思います。

 

気になったら読んで欲しい本

安彦良和『アニメ・マンガ・戦争』 

安彦良和が学生運動をしていて当時有名だったことは、この本の中で大塚英志との対談で読んだ覚えがあります。ただ私は雑誌で読んだので、こちらにそのまま乗っているかは知りません。かなりの喧嘩対談だった覚えがあります。

絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な』『1968年』 

読んでないんですが、学生運動について多分書いてあるんじゃないかと思う本です。著者の絓秀実はかなり学生運動を重視しているようなのですが、著作をまともに読んでない私はよく知りません。新書なら手に取りやすそうですけどね。そのうち読みたいと思います(いつ?)。

ちなみに学生運動に従事した人はあちこちに散らばっていて、西部邁みたいに保守思想家になったり、仙谷由人みたいに政治家になったり、笠井潔みたいにミステリ作家/批評家になったり、安彦良和みたいにアニメや漫画家になったりしています。バラエティ豊かですね。

 

吉本隆明,大塚英志『だいたいで、いいじゃない』 

学生運動の頃に教祖とまで呼ばれた吉本隆明と、消費社会についてよく書く大塚英志との対談で、解説は富野由悠季というなんとも今回の話題にぴったりな一冊です(ただ解説は文庫版だけ)。でも内容は『エヴァ』と江藤淳の死についてです。

しかしへんてこりんな組み合わせですね。

大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』 

で、その大塚英志が漫画原作者として自分たちの領域に金になるからといって近寄ってきた世の中の風潮に対して反発した本。かなり穏やかに書いています。

この中にアニメや漫画が表現としてではなく経済として発見されたことの意味も書いてあったかと思います。

宮台真司『制服少女たちの選択』 

で、屈託する内面はもはや存在しない、と宣言した宮台真司の本。これはある意味では全共闘世代への批判として出された命題かもしれません。時代は変わったことを宮台真司なりにはっきりさせたかった側面もあるのかもしれませんね。

ただ内面が必要とされずなくなった、という主張はのちに取り下げたようです。しかしこれらも私は読んでおらず、ちょこちょこ目にした文章からいいかげんに推測して書いているのでした。興味のある方はぜひこの本をお読みください。

 

次回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/08/070058

前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/06/070041

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お話その126(No.0126)

【まとめ】フランス革命と社会の変化 ~土地による農業から都市による生産/産業によって起こる貴族から平民への権力の移動【35】

 

現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。

 

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まとめ35 フランス革命と社会の変化 ~土地による農業から都市による生産/産業によって起こる貴族から平民への権力の移動

このまとめの要旨

近代と共に社会がどのように変化したのか、というようなことについて書いたお話のまとめ。興味ございましたら一覧でも眺めてみてください。

 

書いたものの一覧f:id:waka-rukana:20200729164637j:plain


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農業中心の経済から生産中心の経済へとシステムが変わることによって、政治システムまで貴族から平民へと転換して革命が起こった、ーというようなお話。

 

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そんなフランス革命だけど、かなり急激な変化だったために色々無理が出てきて、そんな社会の変化よりも維持されていた社会の秩序の方を尊ぶ、というわけで保守思想も現れてきたんだよ、ーというようなお話。

 

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けどそんな保守もどの時代を守るべきものとするかで意見が一致しないから、実は相当に難しい立場なんだよ、ーというようなお話。

 

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そして近代化するということは経済システムが生産中心になるというわけだから、それまでの農業中心で閉じられた土地の世界で生きていた人々が、いきなり知らぬ者同士の都市へと移動させられた、ーというようなお話。

 

 

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それは土地に縛りつけられた不自由な生き方から自由な生き方に変わっていったということでもあるけど、同時に犯罪も内側に抱え込んだことにもなるようだよ、ーというようなお話。

 

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そんな急激な大移動を行うことによってそれまでの価値観からも引き剥がされ、かといって代わりの価値観も与えられることなくアノミーになってしまう、ーというようなお話。

 

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そしてそもそもそんな変化を与えてくれたのは、分業という手段によって大量生産することが可能となったので経済システムも農業から生産へと変わっていったのだ、ーというようなお話。

 

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ドッブ(英 1900-1976) 本【著作(翻訳)ブックリスト一覧/リンク(Amazon)】

モーリス・ドッブ(Dobb, Maurice)

 

 

ドップ著作リンク一覧

 

資本家的企業と社会的進歩( 岩田百合治 等訳. 章華社, 昭和6)

賃銀制度の諸問題(正田淑子 訳. 万里閣, 昭和6)

ロシアの現在及将来 (社会思想パンフレット 井上寛 [訳]. 中央報徳会, 昭和8)

政治経済学と資本主義 (岩波現代叢書 岡稔 訳. 岩波書店, 1952)

賃金論入門(氏原正治郎 訳. 新評論社, 1954 → 改訂版 新評論, 1962 → 新装版 1975)

資本主義発展の研究  (岩波現代叢書 京大近代史研究会 訳. 岩波書店 第1 1954 第2 1955)

後進国の経済発展と経済機構 (京都大学総合経済研究所研究叢書 小野一一郎 訳. 有斐閣, 1956)

ソヴェート経済史 : 1917年以后 (上巻 野々村一雄 訳. 新評論社, 1956 → 『ソヴェト経済史 : 1917年以後のソヴェト経済の発展』上 第6版 日本評論社, 1974)

ドッブ経済学教程(塚谷晃弘, 鈴木宗太郎 共訳. 関書院出版, 1957)

経済理論と社会主義 (岩波現代叢書 都留重人 等訳. 岩波書店 第1 1958 第2 1959)

資本主義 : 昨日と今日 (合同新書 玉井竜象 訳. 合同出版社, 1959)

成長と開発の経済学 (合同新書 宮本義男 訳. 合同出版, 1964)

経済成長と経済計画(石川滋, 宮本義男 訳. 岩波書店, 1965)

資本主義と社会主義 (合同新書 佐藤昇 訳. 合同出版, 1967)

現代経済体制論 : 経済発展と計画経済(玉井龍象, 藤田整 訳. 新評論, 1970)

七〇年代の資本主義 : 国際シンポジウム(モーリス・ドッブ ほか[著], 中村達也, 永井進, 渡会勝義 訳. 新評論, 1972)

社会主義計画経済論 : 集権化・分権化・民主化(佐藤経明 訳. 合同出版, 1973)

厚生経済学と社会主義経済学 : 常識的な批判(中村達也 訳. 岩波書店, 1973① )

価値と分配の理論(岸本重陳 訳. 新評論, 1976)

 

注:『ソヴェート経済史 』及び『ソヴェト経済史』の下巻は出ていない様子。

 

ドップ著作一覧

 

戦前の出版

資本家的企業と社会的進歩
賃銀制度の諸問題
ロシアの現在及将来 

 

戦後の出版
政治経済学と資本主義
賃金論入門(→賃金論)
資本主義発展の研究 全2巻
後進国の経済発展と経済機構 
ソヴェート経済史(→ソヴェト経済史)
ドッブ経済学教程
経済理論と社会主義 全2巻 
資本主義 : 昨日と今日
成長と開発の経済学 
経済成長と経済計画
資本主義と社会主義 
現代経済体制論 
七〇年代の資本主義 
社会主義計画経済論
厚生経済学と社会主義経済学
価値と分配の理論

 

Wikipedia

ja.wikipedia.org

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太平洋戦争経験後の『機動戦士ガンダム』とアフガニスタン・イラク戦争渦中の『機動戦士ガンダムSEED』のキャラクター像の比較考察 〜戦争を描く際の実存主人公とチート主人公という対比の差による戦争表現の違い

 

ガンダムにおける戦争表現について

ガンダムという作品と商品 〜新世代のガンダム

『機動戦士ガンダム』という作品は富野由悠季というアニメ監督の作品であり、サンライズという会社の作ったアニメ作品でもあります。そのため作品性、作家性としては富野由悠季抜きにしてはガンダムはありえないのですが、商業アニメ作品としてはサンライズという会社によって自由に作ることが出来ます。そのため富野由悠季の作らないガンダムシリーズというものがたくさんあります。

 

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それでも初期の頃は富野由悠季が手がけていました。しかしさすがに10年も20年もたつと時代も変わり、最初期のガンダムを知らない人たちが出てきます。その新しいファン層に向けて、その都度の時代に合わせたガンダムが作られています。今も作られています。

 

新旧世代ガンダムの戦争表現

そうした富野由悠季の手がけないガンダムの新シリーズというものがありますが、そのひとつにちょうどアフガニスタン戦争、イラク戦争の時期に放映されたものがありました。『機動戦士ガンダムSEED』と続編の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』です。では富野由悠季が最初の『機動戦士ガンダム』で行ったような戦争へのアンチテーゼはどのように表現されたのでしょうか。

 

『SEED』もまた初代『ガンダム』と同じく少年たちが戦争に巻き込まれるところから始まります。しかし主人公はコーディネーターと呼ばれる遺伝子操作された新人類であり、最初から優れた能力を有しています。そのため初代『ガンダム』の主人公が戦争の最中ニュータイプとして覚醒していくのとは違います。

 

戦争利用される心優しきニュータイプ

ちなみにニュータイプとは相手の行動を予知する、あたかも超能力者のように周りから見られている存在です。しかし本人たちは違うといいます。私見ではニュータイプとは富野由悠季が当時見つけた(むしろ作った?)、子供時代を過ぎてもアニメを見る層のことを象徴しており、それは感受性豊かな新しい世代だ、という意味が込められていたように思います。そして感受性豊かで、相手のことまでわかってしまう(言い方を変えれば空気を読みすぎてしまう)優しいけど気の小さな少年少女を含ませていて、だからこそ作中のニュータイプは相手の気持ちを配慮してしまうが故にあたかも予知のように先読みして行動できるのです。戦後世代の、我の強い人間像から、優しく繊細な次の世代への転換を現していたのかもしれません。そしてそうした新世代に、あなたたちこそニュータイプだ、とメッセージを送っているようにも見えました。

 

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しかしそうしたニュータイプを戦争では相手を先読み出来る、あたかも超能力者のような便利な兵士として重宝します。それは本来優しさによって起こるはずであるものが、便利だからといって戦争に活用されてしまうことでもあります。またニュータイプ=新世代であっても戦争が起これば兵隊として使われることでもあります。つまり戦争は終わって何十年もたっているけど、また戦争が起これば自分の作品を見てくれている人たちも戦争へ行かさせる、というわけですね(これらは私の勝手な解釈ですけから正しいわけではありませんよ)。

 

遺伝子操作された超人的新人類コーディネーター

それに対し『SEED』の主人公たちは最初から超人です。遺伝子操作され、される以前の人間と比べ優越しています。そうした遺伝子操作された人たちがされていない人たちを差別し戦争をしており、主人公は遺伝子操作側の人間でありながらされていない側にいるわけです。代わりに主人公こそが仲間内では敵との戦いで唯一の切り札であり、特権的な地位を与えられています。主人公は仲間との揉め事の際、はっきりと僕がいなければ君も守れないだろう、といった事を発言します(悪女のヒロインに唆されてですけど)。

 

新旧世代の主人公像の差

主人公の対比だけでも差があるように思いますね。初代『ガンダム』は無名の個人が戦争に巻き込まれ、成長したあとも英雄として利用されそうになります(続編の『Zガンダム』では前大戦の英雄と持ち上げられながら、余計な事をされないよう蟄居させられています)。どれだけ強くなっても体制の中であり、本来的な人間の優しさまで戦争に転用され、個人は無力な存在として描かれています。それに対し『SEED』では主人公は特権的な位置を与えられた存在であり、最初から皆に嘱望された英雄です。しかしそれ故にある意味では傲慢な英雄ともいえます。

 

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こうした主人公像の違いは、作品に表れてくるキャラクター観の違いからも起こってくるように思われるのでした。

 

 

気になったら見て欲しい作品

『機動戦士ガンダム』 

なんか検索したらPrime Video出てきた。こっちの方が載せとくの便利かな?

富野由悠季版のガンダム。おそらく太平洋戦争を念頭においての反戦が込められているかと思いますが、その内容はぜひご覧になってください。

『機動戦士ガンダムSEED』 
01.PHASE-01 偽りの平和

01.PHASE-01 偽りの平和

 

で、21世紀版ガンダム。初代ガンダムが戦後35年に作られたのと比べて、この作品はアフガニスタン・イラク戦争の最中に放送されました。間違いなく現実に起こっている遠い国の戦争を意識して作られていると思いますが、初代ガンダムとの違いを感じ取りながら見るのがいいと私は思います。

 

次回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/07/070025

前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/05/070009

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お話その125(No.0125)

戦争について利用される社会イメージに対抗するイメージ表現媒体としての映画やアニメ等フィクション 〜フィクションは現実にある社会の表象を批判する

 

戦争という具体的なものとイメージ 〜フィクションは現実にある社会の表象を批判する

戦争というものは具体的なもののはずですが、事が事ですので幸い平和な時代に生きている私たちはほとんど知りません。そのためイメージ上位になってもその間違いがどこにあるのか、個々の人々は具体的には指摘出来ませんね。歴史や資料を踏まえた専門家は把握できるかもしれませんが、数から言って相対的にごく僅かです。結果大衆の支持はイメージをうまく演出させた方が握ってしまいます。

 

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大衆自らのイメージ化

しかしこのイメージ化も、なにも決定権を持った政治権力の持ち主たちだけが行うわけでもありません。大衆の方でも同じことをします。その理由も色々あるでしょうが、私は詳しくありませんので書けません。ただ自分たちによくわからない具体性を前にするよりかは、わかりやすいイメージを糊塗したものの方が安心することはあるかもしれませんね。特に戦争などでは不穏さが違います。そこから逃れようとするのもわからないでもありません。

 

フィクションの創作によるイメージ化の推進

それは政治家や煽動的発言をする人への支持という形をとるばかりではありません。戦争への手続きまでが物語的に進むというのであれば、そもそも本物の物語、創作の場でも同じことが起こってきます。それはどうなるかといえば、政治権力を持つ者たちが演出した物語をなぞるような物語をフィクションとしても作ってしまうのです。太平洋戦争の際には時局にあわせた小説や漫画がたくさんあったそうです。

 

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(ちなみにそうした時局に抵抗した作家について以前書いたことがあります。初めて新着に載せてもらえた、私にとって記念の回です。よければご覧になってください)

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/07/12/193032

 

イメージ化に対抗する、フィクションの側からのイメージ化 〜『機動戦士ガンダム』の場合

しかしその前にそうした現実のイメージ化を、フィクションの側から批判することも出来ることを見てみましょうか。

 

以前『機動戦士ガンダム』について書いたことがありました。そこではガンダムは子供向けアニメを乗り越えようとした批評的な作品である、ということと、監督である富野由悠季自身の私小説的な作品でもある、ということを書いたかと思います。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/02/193000

 

しかしもっと単純に、『機動戦士ガンダム』は戦争アニメであり、反戦アニメでもあります。基本的になんの責任もない子供たちが戦争に巻き込まれて戦わなければならない姿が描かれています。いいぞ、やれやれ、敵倒せ、ってなもんじゃないですよね。それはむしろガンダム以外のロボットアニメで、勧善懲悪を描いた世界です(そして戦争遂行のための物語は、こうした勧善懲悪の敵成敗の物語です)。

 

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この場合『機動戦士ガンダム』という作品は、現実に現れつつあるイメージ化=物語化に対して、自らフィクションという物語を使って対抗していることになります。現実がイメージ化=物語化=フィクション化してしまうのなら、フィクションから現実へと批判を加えるわけです。現実とフィクションの間にはイメージという共通する要素が介在していますから、このイメージによって表されるものをフィクションの側から現実の側へと批判することが可能になるのです。あなたたちのイメージ化しているものはそのようなものではない、というわけですね。

 

こうした作品の在り方はカウンターカルチャーといって昔は盛んだったようなのですが、豊かになって忘れさられたみたいです。この意味でガンダムは現実の戦争を批判したカウンターカルチャーであり、いけいけどんどんという進軍ラッパのような作品ではありません。そうではなく戦争の悲惨さを描いたアニメということになります。『機動戦士ガンダム』が立派な作品である所以ですね。

 

新しい戦争時代のガンダム

ところでアメリカがこうしたテロとの戦いをしている時、ガンダムの新作も作られました。では新作のガンダムもまた当時実際に行われていたアフガニスタン戦争、イラク戦争を批判したような内容だったのでしょうか。

 

それを書こうと思っていたのですが、前置きが長くなり1回分の文量になってしまいましたので、また次回に回したいと思います。

 

気になったら触れて欲しい作品

富野由悠季『機動戦士ガンダム』 

『機動戦士ガンダム』のDVD。見るなら劇場版ではなくTV版をお勧めします。劇場版はかなり無理して編集しているらしく、本来の魅力が伝わりにくいような気がします。

考えてみますと、戦争の悲惨を描いたシリーズで今日まで続いているのはガンダムシリーズくらいなのかもしれませんね。私はよく知りませんが、戦後多くの反戦作品が作られたと思うのですが、シリーズとして今も残って当時の作品まで一般に知られている作品はそう多くないのかもしれません。たまたま富野由悠季がアニメ監督になり、ガンダムがアニメ作品であったからアニメ全盛の今日まで戦争を表現している作品として残ったのかもしれませんね。

木下恵介『二十四の瞳』 
市川崑『ビルマの竪琴』 

戦後の反戦映画として私の知っている作品を載せておきたいと思います。どちらも素晴らしい映画だと思います。

大岡昇平『野火』 

で、従軍した大岡昇平の小説です。イメージ化されて遂行された戦争の中で生きる姿を、また小説という形でイメージ化させていると言えるかもしれません。

 

なんか戦争特集みたいな並びになっちゃいましたね。

 

次回の内容

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前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/04/070050
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お話その124(No.0124)