社会問題における論理と実際の不一致 〜やってみなはれ、は大丈夫?
将来どうしようか、という問題は言い換えると未来の選択をどのように決定するか、ということかもしれません。そして進路や結婚なら個人の問題ですから、当の本人には大問題であっても周りの人々にはあまり関係がありません。せいぜい家族のような身内にしわ寄せが来るぐらいで、世界が滅んでしまうようなことはないでしょう。
しかし、これが社会的な問題であれば大問題です。
大阪都構想の場合の例
たとえば以前の選挙で大阪維新の会は盛り返し、再度大阪都構想を目指して住民投票を行おうとしています。わかりやすいかと思うのでこの問題を例にして考えてみましょうか(この文章を最初に書いた時はそうだった)。
大阪都構想が橋下さんや維新の会が言うように大変立派で有効なものであれば悩む必要はありませんね。そのままやってしまえばいいのです。ですが根強い反対意見もあります。私が聞いた話では区割りをすると権限が減ってなおかつ初期投資が莫大な金額になって、維新が言うコストカット分では100年たっても取り返せないのだそうです。
これが本当かどうかはここでは問いません。それぞれに意見があるでしょうし、私には十分に判断できるだけの素養もありません。ですからただ考えるための材料としらてだけ受け取ってくださいね。
さて、維新の側が都構想の有利な点について説明したとします。その時説明の仕方は考えられた結果の論理的なものだとします。
一方反対する人たちの側でも同じように説明したとします。もちろんこちら側でも考えられた結果で、論理的なものです。
どちらも正しい論理的正当性の場合
ここで、ちょっと困った問題が出てきますね。維新、反対とどちらも論理的に説明しているのであれば、どちらかが正しくてどちらかが間違っていることになります。当然どちらも自分が正しいと思っていますから相手が間違っていると思うでしょう。しかしゼノンのパラドックスでわかった通り、いくら論理的に正しくても実際には間違っているということがあるのです。となるとどちらも自分が正しいと思っていながら、やってみると違う結果がでたりしてしまうことになります。理屈の上ではアキレスが亀を抜かせないのは別段間違ってなかったですからね。ですから確かめるために足の速い人が目の前で追い抜かしてみたわけです。
社会問題は亀を追い抜くように試してしまえない
ですが都構想にするかどうかということは、亀を抜かすように試してみるわけにはいきません。一旦変更してしまえば簡単に元に戻すような真似はきっと無理でしょう。少なくとも大阪都に変えてしまうのと同じだけか、それ以上の労力が必要になってくるかと思います。やってみなはれ、と橋下ファンが声援を送っても、やった結果が取り返しのつかないものであればやってみるではすまない問題になってしまいます。
それは前回までに考えた、進路の問題よりもより複雑です。都構想がもし失敗だとすれば、大阪都を再度解体し再編しなければなりません。元に戻すということはそういうことになるのでしょう。しかし現在の大阪府、大阪市ですら橋下さんが、超巨大組織で強力な抵抗勢力が存在しそれと戦っている、と述べ、間違いなく選挙での指示が絶大な橋下さんであっても改革が出来なかったような状況なわけです。
問題解決のはずが新しい問題?
しかも大阪都になった後にも当然その組織の中で大阪府や市のように既得権益を持つ人々は出てくるわけです。大阪府のある組織に対して特定の企業が事業を受け持っていてそれが固定化している。それを手放したくないから反対する。それが今度は大阪都の各区で起こり、各々に既得権益化する。そうならないために縛り上げる条件をしこたまつけているが、業者が応援する政治家が参入して骨抜きにしてしまう。それが各区において企業、政治家、役所と複雑に絡み合った関係で固定化されそれぞれに力を持ち既得権益化してしまう。その上各区で選挙して決めるというのに先日の統一地方選でも投票率は50%以下で、さらに細分化した選挙区では投票率の低下が予想される。となると組織票を作れる支援団体が勝利しやすくなり、関係の深い政治家が選ばれやすくなる。それが固定化すれば、新しい既得権益が完成する。結果元の木阿弥となる。
これではふしあわせ(府市あわせ→不幸せ)を解消しようとしたのにとくがない(都区がない→得がない)ことになってしまいます。
もしもこのようになったとしましょう。こうした中で各区をまたいで再度改革しなければならないとしたら、一体どうすればいいのでしょうか。その問題が出てきた時に都合よく能力のある改革者でも出てくれればいいですが、大阪府、市ですら橋下さんが苦労しているのに大阪都になればさらにひっくるめて大変そうです。
ですからどうなるかわからなくてもやってみればいい、ということにはならないのです。一度やってしまえば逆戻りできないのですね。
つまり、社会的な問題については亀を抜かすようにして試すわけにはいかないのでした。
【山川偉也『ゼノン 4つの逆理』】
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お話その14(No.00114)