前回のお話
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大衆(マス)メディアとしての世界 〜逃れえぬものとしてのマスメディア
広がる世界と知らない情報と伝えるメディアと大衆
私たちの生きている世界は、過去に比べとても広がっている世界であり、その世界の情報をメディアによって伝えられている世界だと捉えることも出来ます。そしてこうしたメディアが伝えるべき相手はどこの誰とも知れぬ大衆(=マス)です。こうした大衆もまた経済システムが変化することによって共同体から都市へと移動させられることによって生まれた近代的現象の一部だと考えられるかと思います。そうした大衆が自分たちの生きる世界との密接な関係が切断されていることによって様々な問題が見られる、ということをオルテガという哲学者の分析を通して多少見てきました。
【オルテガ『大衆の反逆』】
大衆状況(=メディア影響下)から逃れることの困難
しかしメディアが不特定多数の大衆を相手にしているからといって、その影響下から逃れようというのはとても難しいことだと思います。単純に考えてあらゆるマスメディア・マスコミュニケーションに触れることなく暮らすとしても、それ自体が非常に困難です。ネット、TV、ラジオ、新聞…これらすべてを拒絶しても生活すること自体は不可能ではありませんが、代わりに世の中の変化を知ることも出来なくなってしまいます。消費税が変化したことも知らず、流行り病が起こっても知らない、というのは問題がありそうな気がします(追記:どうも私の書き方が悪かったようで、ネットをマスメディアではないように書いていると思われた方もいらっしゃったようです。もちろんネットもマスメディアと思います。ただその在り方が今までのマスメディアとは違って双方向的だ、という点が違うのでしょうね。ネットについてはつけたしで書ききるわけにはいきませんので、いつかまとめて書ければいいなぁ、と思っています)。
人から教えてもらえばいいじゃないか、とも思うのですが、しかしその人はどこかマスメディアから情報を仕入れているわけで、そこからまた人づてというメディアを通して知ることになるので、結局間接的にマスメディアに接していることにもなります。かといってここまで拒絶すると、本当に一人っきりで生きなくてはならず、メディア云々の前に違う大問題へとぶつかってしまうことになります。
【カプフェレ『うわさ』】
マスメディアの良いところ
またついついマスメディアを悪者にしてしまいますが、悪い情報と同時に役に立ったり便利な情報を伝えてくれる側面も否定できません。災害情報を伝えてくれるのもマスメディアの功績です。全部一緒くたにマスメディアやマスコミュニケーションを否定してしまうとこうした面まで切り捨ててしまうことになりかねません。それは多分間違っているでしょう。害悪と思われる情報を遮断して賢明に生きるのもいいかもしれませんが、津波情報を教わり逃げて生き延びることもいいことです(そうだよね?)。
マスメディアと大衆と個々人の関係はいかに…?
となるとやはりマスメディアとの接点を完全に遮断することは出来ないように思われてきますので、マスメディアと触れながらオルテガ的な大衆へとならないようにしなければならない、ということになるのかも知れませんね。また逆に捉えてみるならば、オルテガ的な大衆はマスメディアから与えられる情報に批判精神なしに浸り切っているとなるものだ、と考えてみることも出来るかもしれません(まぁこれは私の勝手な考えかもしれませんけども)。
なんだか大衆は大衆で、そうした自分からどうしていけばいいのか、と新たな問題が現れてきそうですね。
次回のお話
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お話その174(No.0174)