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まとめ48 群衆の特徴や問題と歴史/社会的背景 ~集団による個人の喪失と埋没、メディアによる集団化と自我の代わり
このまとめの要旨
群衆について書いたものをまとめています。他にも似たもののまとめもありますが、こちらはそれらも含めたより大きいまとめでもあります。
書いたものの一覧
大衆と似たものとして群衆というものがあるけど、それを最初に分析したのがル・ボンという人で、これから群衆について書いていこうかと思います、ーというようなお話。
大衆も群衆も人々の群れなんだけど、ただ集まるだけでは大衆にも群衆にもならず、ある特徴を持ち得るがゆえに大衆や群衆になるらしい、ーというようなお話。
そんな群衆もフランス革命を起こした重要な要因でもあったので、その後々に研究されずにいられないのでした、ーというようなお話。
群衆の特徴はその中に入ってしまうと個人としての特性が失われてしまって埋没してしまう、ーというようなお話。
もし群衆に飲み込まれてしまったとして、ではどうやって対処すればいいのか、悩ましいですね、ーというようなお話。
群衆の在り方って大衆が近代的現象であったことに比べると、村落共同体的な在り方に近いようにも感じますね、ーというようなお話。
では群衆ってどこにいるんだろう、となると、日常的な場所ではなく演出された場所に現れてくるのかも、ーというようなお話。
じゃあなんで私たちは群衆になってしまうのかな、といえば、様々な領域で日常的に群衆を相手にするような演出にさらされているから、それに浸されていくことによって群衆じみてくるのかもしれないね、ーというようなお話。
そして物の余った時代には宣伝や広告によって購買意欲をかきたてなくっちゃいけないから、消費者としてそれらにさらさらていることによってその演出法により群衆みたいになっていってしまうのかもしれないね、ーというようなお話。
そもそも人が集まれば群衆なのか、といえばそうではないようで、どうやら集まることよりもそのことによって変化してしまう心理が問題らしい、ーというようなお話。
そして今コロナウイルスによって私たちは群衆みたいになってしまっているのかもしれないね、ーというようなお話。
そんな群衆の姿を漫画『デビルマン』は凄惨な姿で巧みに描いているよ、ーというようなお話。
そして大衆と群衆の似ているところや違うところをなんとか自分なりにまとめてみました、ーというようなお話。
群衆はル・ボンのあとにも研究されていて、フロイトも同じように分析したことがあるよ、ーというようなお話。
フロイトによれば群衆の中に入っちゃった人は自我を失っちゃうもんだから、代わりの自我を群衆の外に求めてその人に操られちゃう、ーというようなお話。
そんな群衆の中に埋没して我を忘れるっていうのは思春期の時に自我を確立しようとすることと似ていて、だから自分の求めるような理想的人物を自分の代わりとして探し言うこと聞いちゃうのかも、ーというようなお話。
そういう群衆状態の人は自分を暗示してくれるような人=カリスマを求めて自分探ししてるようなものなのかな、ーというようなお話。
そして現代の文化っていうのは多くがこうした自我の代わりを与えてくれるものとしてあるのかもしれないね、ーというようなお話。