日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

選択のために論理的に考えること ~人生という選択の可能性と宿命/自分を受け入れるためのパラドックス

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選択のために考えること 〜東大か、芸人か、それが問題だ

宿命としての人生

こうした問題を文芸批評家の小林秀雄は宿命と言いました。

 

私は大工にでもなれた、植木屋にもなれた、政治家にもなれた、作家にもなれた。しかし今の自分は批評家でしかない。だがこの今の自分を受け入れること、これが宿命だ。と、だいたいこんな意味だったと思います。

 

【小林秀雄初期文芸論集】 

 これは人生というものはいくつもの可能性があるが、1つしか選べない。残りの選択肢は消えてなくなってしまっている。他の可能性の方が豊かな自分であったかもしれない。しかし今の自分こそ必然として認め受け入れろ、とこういう意味として捉えればいいでしょうか。

 

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これはその通りですね。東大いって政治家にこずかれながら「こんなはずじゃなかったのに」と思ったり、お笑い芸人として成功しながら「もっと違う人生があった」と思っても、今の自分が変わるわけではありません。ですから今までの人生の結果として、この私を受け入れるしかないわけです。嫌でもしょうがない、そう思え、と叱られていることにしておきましょうか。

 

まぁこれはいいでしょう。しかし、これは結果に対する受け取り方です。一度出た結果は取り返しがつかないのだから諦めろ、とそうひねくれて理解したっていいかもしれません。

 

思い浮かべる可能性

ですがこれからのことはどうでしょうか。東大いくか芸人になるかを納得するのは、なった後のことです。しかし今進路に悩んでいる人はどちらかを選ばなくてはならず、そのためにはどちらがいいかやっぱり悩んでしまうでしょう。これは転職でも結婚でも同じかと思います。

 

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この人と結婚していいのかしら、いい人だけど、出世するかしら、もしかしたらもっといい人と出会うかもしれないし、その人お金持ちかも、などなど、考え出したらきりがありません。しかしこれは考えているというより他の可能性を思い浮かべて並べているだけですね。昨日書いた東大か芸人かも考えているというより思い浮かべてる方でしょうか。

 

可能性に対する考えるという行為=論理

じゃあ考えるとしたらどうなるでしょう。

 

 

 

東大にいくとする。

だが東大にまでいけてもそこから官僚になれるとは限らない。東大への進学は確かに優秀の証であるが、さらにその中での競争で優っているという確証はない。なぜなら東大生は全員が同じ試験を受けて合格した者であり、みな一定の水準の優秀さを持ち得ているといえる。だが東大までいければ官僚以外の選択肢も有利なものを選べる可能性は高い。よって東大へいく利点は多いと考えられる。

 

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一方芸人になるとする。

だが芸人の競争は下手をすれば東大後の競争より激しい可能性がある。官僚になるためには東大の同級生の中で競争しなければならないが、芸人の場合既に地位を占めた大物たちの中で自分の位置を得なくてはいけない。それは素人として一級品に面白かったとしても、TVにおいては明石家さんまを筆頭にたけし、タモリ、ダウンタウンと横並びに視聴者に判断されるのであり、また新人は常に大量に現れる。ましてやその間には吉本だけに限ってもWコージ、ナイナイ、雨上がり決死隊、千原兄弟、FUJIWARA、それにM-1チャンピオンなど層が厚く、島田紳助のように引退を期待したとしても1組2組抜けても穴は生じない。その中で新人が這い出てくる可能性は低く、出ても残ることは至難の技である。

 

こんな感じでしょうか。

まぁこれは私が適当に考えたので実際の問題とあっているかはわかりません。ただどちらの場合も選択した時にありえそうな状況を考えているわけですね(そういうことにしといてください)。しかし、それはたしかに理屈の上ではあっているかもしれませんが、それだけでは本当にそうなるとは限らないわけです。東大いってもレイプサークルなんかにはいって逮捕されちゃう人もいますし、芸人になって本当に成功するかもしれません。どちらも現にそうなった人はいますので、現実に起きない可能性とはいえないわけです。

 

論理と一致しないかもしれないにも関わらず、考えることによってしか選択出来ない

しかしどちらかを選ばなければなりません。それが正しかったかどうかは、小林秀雄が述べたような宿命として受け入れる時になってからでしょう。だからといってどれでもいいというわけにもいかず、やはり選ぶためには考えるしかないのでした。

 

【山川偉也『ゼノン 4つの逆理 アキレスはなぜ亀に追いつけないか』】 

 ゼノンのパラドックスのように論理は実際と一致しない可能性が大いにあるにも関わらず、人は考えることでしか判断できない、ということなのかもしれません。

 

次の日の内容

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選択の論拠や根拠とはどこにあるか 〜将来の選択の可能性に正解はあるのか - 日々是〆〆吟味

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 お話その13(No.0013)