前回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/2020/01/28/200023
汎ヨーロッパ世界化としての近代社会による大衆社会の一般化 〜世界はヨーロッパ化されることによって大衆も当たり前になった?
世界のヨーロッパ化と大衆の世界化
【オルテガ『大衆の反逆』】
大衆は馬鹿ではない
さて、オルテガ先生の言うことを聞いていますと大衆とはちとお馬鹿なようにも思えてきますが、オルテガはそんなことないとも言います。わたしは大衆人がばかだといっているのではない。それどころか、今日の大衆人は、過去のいかなる時代の大衆人より利口であり、多くの知的能力を持っている(←斜線原文)。しかしその能力の使い方が自らを賭ける形ではなく、ただ享受しそのままで認めさせようとするところに問題がある、ということでしょうか。そういえばありのままなんて言葉もありましたね(ありのままがいいのか悪いのは、それ自体わからないことなのかもしれませんけどね)。
未開人と大衆人が似ているようにも思えましたが、こうした考える能力についてちゃんとある、と指摘しているのも、なんだかレヴィ=ストロースの場合と似てる気もします。けどこれは私の感想でしかないかもしれませんね。
大衆=平均人=普通の人?
それはともかく、オルテガは大衆を平均人という呼び方もしています。平均人、というとわかりにくいですが、おそらく貴族やエリートと呼ばれる選ばれた少数者(自分に多くを課し、努力する人)に対して、そんな突出した能力も態度もない人のことを指す(つまり平均的な人)のだと思いますが、ちょっとイジワルに言い方を変えると平均人は普通の人と言えるかもしれません。私は大衆を普通の人と考えるよりも、オルテガが指摘したような特徴を持つ人を大衆と考えた方がいい気がするのですが(そしてまたそれが近代によって現れてきた歴史的現象である、と捉えてみる)、とりあえずここでは大衆=平均人=普通の人と考えてみましょう。すると問題はオルテガが最初から指摘しているように、それは世の中にこのような特徴を持つ人が大多数になったことだ、ということになります。つまり大衆は問題のある人格類型かもしれませんが、大衆ということ自体が普通の人であるとは限らない。しかしそうした大衆が平均的な存在として世界中に現れることによって、普通の人に大衆的特徴を有する人が大多数を占める。そう私なりに解釈してみましょうか。
モラルの喪失
そしてそれがどのように問題なのか、といえば、今まで書いてきたことを繰り返すしかないので暇な時にでも読んでもらうかオルテガを直接読んでもらえればいいのですが、ともかく、総括してオルテガが言うには問題は今やヨーロッパにモラルが存在しないことである(斜線原文)。またこれまでの主張を要約して、すなわち世界は今日、重大な道徳的頽廃に陥っている。そしてこの頽廃はもろもろの兆候の中でも特にどはずれた大衆の反逆によって明瞭に示されており、その起源はヨーロッパの道徳的頽廃にある。ヨーロッパの頽廃には数多くの原因があるが、その主要なものの一つが、かつてヨーロッパ大陸が自己およびその他の世界のうえに行使していた権力が移動したことである。つまり、ヨーロッパは自分が支配しているかどうかに確信がもてず、その他の世界も自分が支配されているかどうかに確信がもてないでいる。すなわち、歴史的至上権が分散されてしまっているのである(斜線原文)。とも言います。
世界のヨーロッパ化に伴う大衆の世界的輸出
ここでヨーロッパとその支配について述べている点に、当時のヨーロッパ中心主義や第一次大戦後の挫折を感じることも出来ます。と同時に確かに世界はヨーロッパ化されており、ヨーロッパによって生み出された文物が政治(民主主義)でも経済(資本主義)でも文化(服装とか?)でも世界中に行き渡っていることは否定しにくい気がします。つまりほとんどの人間がヨーロッパ産の枠組みの中で暮らしているわけで、私たちの生きている世界は汎ヨーロッパ的な世界ということも出来るわけですね(その延長でアメリカ化されたグローバリズムが今現在ってことなのでしょうか)。
そしてそれは大衆も同じで、大衆はヨーロッパで生まれたかもしれませんが世界が汎ヨーロッパ化することで大衆もまた世界中に行き渡った、ということなのかもしれません。
なんかまたまとまりのない話になってしまった気もしますが、この辺りで終えることにします。
次回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/2020/02/04/200016
お話その170(No.0170)