前回のお話
ケプラーの法則と新しい宇宙観を生み出したティコ・ブラーエの助手ヨハネス・ケプラー - 日々是〆〆吟味
中世の魔女狩りとケプラーの母
ケプラーの発見と現代と中世
ケプラーの登場によって古代から続いていたそれまでの宇宙観が打破される決定的な考え方がひとつ現れてきました。こうして中世は徐々に終わっていくのだと思いますが、ケプラーの発見だけ見れば現在の私たちの世界とほとんど同じようにも見えてきそうです。
しかしこのような新しい時代、それも私たちの生きている世界とさほど変わらない、というか私たちの生きている世界を作っていくような重大な発見がなされた時代であるにも関わらず、ケプラーにはかなり驚きのエピソードがあります。
ケプラーの母親と魔女狩り
それはケプラーのお母さんが魔女として逮捕されたというものです。
どうもケプラーのお母さんは故郷の村では孤立していたらしく、隣人の悪意にさらされ身内からも見放されて、と書かれています。それどころか魔女裁判はかなり危険なところまで進んでいたらしく、あと一歩で拷問と火刑にかけられる寸前で助け出されたと言います。ケプラーは全力をあげてお母さんを助けようとし、自らが法律家として振る舞い何度も法廷で争ったそうです。
幸いケプラーのお母さんは最終的には救い出されたそうですが、まさか現代と同じ天文学の発見がされた時代に魔女狩りが行われていたというのも不思議な感じがしないでもありません(しかし魔女狩りはむしろ中世末期、もはやルネサンスの頃の方が激しかったそうです。中世がしっかり土台として存在していた時代より、それが崩壊しつつあった時代の方が自分達を守ろうとして敵を作るのかもしれません。悩ましい問題ですね)。
【野田又夫『ルネサンスの思想家たち』】
(このエピソードもこの本で読みました。ケプラーだけでなく色々かつ多彩な人たちが紹介されています)
魔女狩りと中世
魔女狩りはかなり酷いものだったらしく、適当でいい加減な証言でちょっと気のおかしそうな人を簡単に火炙りに出来てしまったそうです。それは中世という時代特有の側面もあるかと思いますが、しかし中世的な特徴というものは現代でも少し復活してきている様子もあります。中世はアリストテレスのうち論理的な側面を受けて育った世界であり、経験的な側面を忘れてしまった世界でもありました。それをティコ・ブラーエやケプラーが天体の観測を通して経験的に宇宙観を再構成していくことによって世界が変わっていくわけですね。
【セリグマン『魔法』】
(この本の中に魔女狩りについて面白いことが書かれていてのを思い出しました。それは当時の魔女狩りが一種の産業となっていた、というのです。つまり頻繁に魔女狩りや魔女裁判が行われていたので、それにまつわる仕事がひとつの業界みたいに形成されていたわけですね。そのため魔女狩りをなくすことはひとつの経済を潰すことにもなるのでなくならなかったのかもしれません。その辺りはどう書いていたのか覚えてませんので、興味あればご覧になってみてください)
現代と魔女狩り
それが現代ではネット/SNSの発達によって経験的(つまり確かな証拠のある)な側面より論理的(Twitterで上手いこと言い)な側面の方が肥大していて、なんだか似てきたのかもしれません。ネット上の炎上というのは、もしかしたら中世的な魔女狩りと比喩だけでなく本当に似ている側面もあるのかもしれませんね。
しかしそれにしてもケプラーみたいな明らかな天文学者のいる時代に魔女狩りがあるというのも驚いてしまいますが、そう考えるとガリレオに対する宗教裁判というものも起こってきて当たり前のようにも思えてくるから、なんだか納得もしたりするのでした。
次回のお話
天文学史を書いた哲学者としてのアダム・スミス ~近代化されるまでの宇宙についての考え方の歴史を書いた意外な人 - 日々是〆〆吟味
お話その254(No.0254)