前回のお話
天文学史を書いた哲学者としてのアダム・スミス ~近代化されるまでの宇宙についての考え方の歴史を書いた意外な人 - 日々是〆〆吟味
ジョルダーノ・ブルーノと宇宙の無限とイエスの価値
ケプラーのお話の次となるとガリレオになるのですが、私はガリレオについてうまく説明出来るほど知りませんので(いえ、他の人たちだってよく知らないんですけど…)、ちょっとガリレオはすっとばさせてもらい別の人にお話を向けたいと思います。
ブルーノと宗教裁判
ガリレオが宗教裁判にかけられて大変な目にあったことは有名な歴史的出来事として知っている方も多いかと思います。しかしガリレオに先立ち新しい宇宙観を唱えて宗教裁判にかけられ、ガリレオと異なり殺されてしまった人もいます。それがジョルダーノ・ブルーノという哲学者です。
【清水純一『ルネサンスの偉大と退廃』】
(ブルーノについてこの本がとても詳しくて面白かった覚えがあります。ブルーノ自体について以上に、ブルーノの取り巻く時代と社会背景の記述が非常に丁寧に書かれていてわかりやすいです。同じ著者にもっと本格的な『ジョルダーノ・ブルーノの研究』という本もあり一応上に載せておきましたが、こちらは本邦におけるブルーノ研究の立派な結果なんだそうですけれど、私は読んでいません。多分手が出ないでしょう。でもいつか読んでみたいですね。上の新書は読みやすくて面白かったです。ただ古いんで中々見かけないかもしれません)
宇宙と無限
ブルーノはなぜ宗教裁判にかけられてしまったのでしょうか。それは宇宙というものが無限であると主張したから問題視されたのだといいます。
【野田又夫『ルネサンスの思想家たち』】
(今回書いてあることは大体またこの本に書いてあります。ブルーノやガリレオ、ケプラーといった人たちだけでなく多彩な人々が紹介されております)
なんだかこれも不思議な話ですよね。だって今の私たちからすると、宇宙って無限なもんじゃないのかな、って思ってしまいそうです。ですがガリレオ以前のヨーロッパ世界ではそうではなかったようです。
無限な神と世界の在り方
中世思想の基礎となるスコラ哲学では、神は無限なものとされていましたが、世界はその無限である神が創った有限なもの、とされていたそうです。そのため私たちの生きている世界はひとつしかないわけですね。それは神さまが創ったものだからひとつの奇跡の結果みたいなものでしょう(多分)。そしてその世界へと神はキリストを遣わしたので、この関係性は絶対的であり一つのものと考えられます。
しかし無限である神が世界を有限なものとして創ったということは不合理である、とブルーノ先生は考えたそうです。そして宇宙が無限に存在し、世界もまた無限に存在することになる、というような考え方をしたようです。するとどうでしょう。神の奇跡であるはずの世界創造やキリスト降臨がこの世界だけでなく他の世界でも無数に行われていることになります。そうなるとキリストの持つ特別性/絶対性というものはどうなるでしょうか。そう、相対的な価値しか持たなくなってしまいます。
イエス=キリストの絶対性と相対化
私たちの世界においてキリストが降臨し十字架にかけられて死んでしまったことは、キリスト教にとっては取り除くことのできない絶対事です。たとえばキリスト教がなぜユダヤ教やイスラームと仲が悪いかといえば、このキリストの価値において見解が異なるからです。キリスト教はキリスト=イエスの死は人類に対する新しい契約を与えた絶対的な出来事です。そのためイエスの存在は神に等しく、神と聖霊と合わせて三位一体の形をとります。しかしユダヤ教からすればイエスは単なるユダヤ教の中の新しい預言者の1人にすぎなくなってしまいますし(もしかしたら違ったかもしれない)、イスラームでも同様でイエスは数多いる預言者の1人で、しかもこうした預言者の系譜の最終的完成者としてムハンマドがいると考えます(こっちは確かに読んだ覚えがある)。イエス=キリストの存在がどちらも相対化されたひとりになってしまいますね。
ブルーノの宇宙観ですと、確かにイエスはひとりかもしれませんが、イエスの降臨した世界がひとつではなく無数に存在してしまうことになります。そうするとイエスの価値がそれぞれの世界に対して相対化されてしまいます。Aという世界のイエス、Bという世界のイエス…これが無限に繰り返されてしまいますので、イエス=キリストの絶対性が担保されなくなってしまいます。
【ブルーノ『無限,宇宙および諸世界について』】
(ブルーノの本はこちらなのですが、私には難しくてさっぱりわかりませんでした。なにやら無限について言っていることはわかるのですが、それくらいしかわかりません。興味ありましたら読んでみてください)
そのためブルーノの考え方はスコラ哲学を基礎とした当時の中世キリスト教世界においてはまったく受け入れられないものとして(それこそ今のイスラーム圏との不一致のようにかもしれませんね)宗教裁判にかけられなければならなかったそうです。
なんだかわかるようなわからないようなお話ですね。
次回のお話
クザーヌスの無限と神の絶対性とのちの世代へのつながり ~ブルーノの異端視される無限へとつながる正統派クザーヌスの無限 - 日々是〆〆吟味
お話その256(No.0256)