前回のお話
古代における懐疑主義と近代の哲学者たちの関心 ~セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』の後世の影響 - 日々是〆〆吟味
近世/近代哲学における、古代懐疑主義からの影響による認識論の基礎づけ
古代懐疑主義の本が近世に再び世に出ることによって、本来古代の人々を対象に書かれた哲学が近世の人々にも大きく影響を与えました。それは自分たちの認識の基礎や土台をどうやって形作るのか、ということでもあります。
近世哲学における既成哲学の拒絶
近世の哲学者たちは中世の哲学であるスコラ哲学から離れていこうとするために色々努力をしてきましたが、同時にそれは前代の哲学的基礎を放棄することにもなります。しかし近世の哲学者たちは中世哲学は否定しましたが、古代の哲学はむしろ積極的に受け入れていったかと思います(多分)。中世から近世に渡るにはルネサンスを挟みますし、ルネサンスは古代ギリシア・ローマの復興という側面もあったはずですしね。
古代懐疑主義による徹底批判
そこで哲学としてはプラトンやアリストテレスが振り返られる(と思う)わけですが、セクストス・エンペイリコスは著書の中でこうした両巨人も深めたあらゆる哲学を徹底批判しています(確かそうだったはず)。そのためギリシア哲学に戻って安心安心、としてようと思っていても、セクストス・エンペイリコスが紹介した懐疑主義を経由してしまうとそんなに安心していられなくなってきてしまいますね。
【セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』】
(古代懐疑主義の他学派に対する徹底批判はこの本に書かれています。なにせ3巻全てが分野別にわけた批判ばっかりというすごい本です。これだけ読んでちゃなにが正しいのかさっぱりわからなくなってしまいます)
近代哲学における新しい基礎の探求
そこで近世の哲学者たちは自分たちで本当に正しい哲学的な基礎を築こうしました。その出発点がデカルト大先生であって、その後ロックなどのイギリス経験論を経て大々先生であるカントによって完成されることになります。いわゆる認識論というものですね。
【デカルト『方法序説』,ロック『人間知性論』,カント『純粋理性批判』】
(なんかこう並べるとすごいですね。でもこうした原理的な基礎固めを行うことによって科学も基礎づけられてきたと思うとすごくていいのかもしれません)
こうした認識論は基本的に経験的に知識が得られていくのだけれど、もともと持ってる人間の能力によってその材料は得られたり組み合わせたりして考えることが出来る、とでも言えばいいのでしょうか(あぁ、簡単すぎてよくないかも)。これは物事の認識の基準を人間に定めることによって可能となることでもあり、いきなりどこからか与えられるものではないことを意味しもしますね。
転換される認識の基礎
もともとプラトンは人間の数学的能力を無知な人間であっても手順よく教えていけば誰でも正しい解答に向かえることから、人間の知識は最初からあるものを掘り起こすようなものだと考えていたのが、近世/近代になって逆転していったわけですね。そしてそのきっかけとなったのがプラトンよりしばし後の時代のセクストス・エンペイリコスによってまとめられた古代懐疑主義によってというのは結構面白い巡り合わせかもしれません。
…なんか今回はあまりうまく書けなかったような気がします。
お話その273(No.0273)