前回のお話
ジョルダーノ・ブルーノと宇宙は無限としたしたことによるキリスト教内でのキリストの相対化という問題 - 日々是〆〆吟味
クザーヌスにおける無限とキリスト教思想の正統と異端
ブルーノがなぜ宗教裁判にかけられてしまい火刑に処せられたかといえば、無限ということを取り扱ったからでもありました。しかしブルーノに先立って無限という問題を取り上げた人もいました。それがニコラウス・クザーヌスという人です。
枢機卿クザーヌス
このクザーヌスという人、とても偉い人です。それも思想史的に偉いとか、神学者/哲学者として偉いというだけではなく、当時の社会的地位としても偉かった人です。クザーヌスはキリスト教社会の中でトップクラスの地位である枢機卿になりました。しかも名門の生まれではなく庶民出身でなったので、非常に異例なことだったそうです。しかしそれは庶民からであっても有能な人物を登用しなければならないほどに当時のキリスト教社会が危機的状況にあったことの裏返しでもあり、また実際クザーヌスの訴えは他の枢機卿たちには理解されずその後のカトリック教会の分裂を招いたそうです。
クザーヌスと無限の考え
さてそんなクザーヌス先生ですが、これまたおっしゃっていることが難しくて私にはわかりません。しかしどうやら考えたことの中に無限ということがあったようです。私の理解もへっぽこですのできっと間違って説明しているかと思いますが、もしかしたら興味を持ってくれるひともいるかもしれないので蛮勇を奮って続けてみたいと思います。
【クザーヌス『学識ある無知について』】
(クザーヌスの代表的な本はこちらかと思います。一応読んだのですが難しくて私にはさっぱりわかりません。もしかしたら何年かたったらわかってくる日が来るかもしれませんね。そんな日くるかなぁ)
量的に測られるものと無限に近づく絶対値
クザーヌス先生は神さまっていうのは無限なんだ、と(多分)言います。それは神さまがいくら偉大であったとしてもそれが量的に測られるものであっては絶対ではないからとのことです。たとえば神さまの力がとても大きくて100あったとしても、それは1とか99とかと比較して大きいわけで、100という絶対的な価値は相対的なものになるわけですね。そのため神さまは100とか1000とかっていうような測られるものではなく、唯一のものとしての1というわけです。
そしてこの唯一の1である神さまは、他の数から比べたら絶対に到達出来ないものだと考えます。0から1へ近づけるかといえば0.9999…と無限に近づけますが、決して到達出来ません。また100とか1000とかから最小のものとして1へ近づこうとしても同じように1.000…1というように無限に近づけてもそこに到達しません。その意味でこの1であるところの神さまは無限の存在なんだそうです(間違ってるかもぉ〜)。
無限な存在と世界
そしてこの神さまが世界を創ったとしたら、この世界の展開の仕方が同じように無限であることも暗に含まれているような気がしますね。クザーヌスがそこまで言ったのか私は覚えていませんが、ブルーノははっきりとそう考えて言ったため火炙りにされてしまいました。
【野田又夫『ルネサンスの思想家たち』】
(この本のクザーヌスのところにこんは話が書いてあったかと思います。もしかしたら私の言ってることは間違ってるかもしれませんが、一応ネタ元となるこの本のことを示しておくことにします。私の書いたものよりここに載せたような本を読んでいただければ確かなことがわかるかと思います。興味あれば読んでみてくださいね)
正統と異端の思想的後継
しかし異端どころか処刑されてしまうようなブルーノの哲学も、もとを正せばクザーヌスのようなキリスト教世界のど真ん中にいた神学者から現れていることは面白いような気もします。意外と中世というのは私たちの世界の考え方と断絶されているのではなく、徐々に変化・発展していったものとしてあるのかもしれませんね。
あぁ、最近はあまり知らないことまでどんどん書いていってしまってるなぁ。申し訳ないです。
次回のお話
アリストテレスの思想/哲学とキリスト教神学の結びつきやすそうなところとあわなさそうなところ ~世界の始まりと根源からすべてを覆いつくす体系性 - 日々是〆〆吟味
お話その257(No.0257)