働くことと遊ぶことの結果と差 〜資本主義の運動の回転率
働くことはいいことだ、という価値観が農業の時代から産業の時代に移り変わればどうなるでしょうか。
資本家階級と宗教的動機
産業革命の後資本家という階級が生まれますが、この資本家階級のなかにもカルヴァン派の人たちはいたようです。そして資本家というのは事業をします。事業をすると儲かります。お金が入ってきますね。
これが普通の資本主義であれば、事業を通して得たお金は遊ぶために使います。そして一生遊んでも使いきれないくらいにお金持ちになった人はどうするのでしょうか。それはもちろん仕事をやめます。大金持ちのまま死ぬまで遊んで暮らすのです。
しかしウェーバーのいう近代資本主義においてはそうではありません。働くことはいいことなのです。お金持ちになったからといって仕事をやめるわけにはいきません。仕事をやめてしまえば働かなくなってしまいます。となると神の意にそう労働を果たせなくなってしまいます。そうなると事業がうまくいきお金がたくさん入ってきてもそのお金を浪費したりやめて遊んだりなんてことはしません。
ではどうするのでしょうか。
また働くためにお金を使うのです。
働くためにお金を使う 〜事業投資の高速回転
働くこと自体に意味を持つカルヴァン派資本家は、いくら働いてお金を儲けてもそのお金をまた働くことに使うというのです。働いたらお金が入る。そのお金をまた仕事につぎ込む。事業が拡大し、仕事内容も増え人も雇う。より多くお金が入ってくる。またそのお金を仕事につぎ込む。事業は拡大し仕事も増え人も雇い、またお金が入ってくる…この繰り返しです。
これはどのようなことを意味するでしょうか。それは事業投資であり、事業を拡大することになります。そしてこのような行動をとると、資本主義の運動が加速度的に速くなるといいます。つまり働いて儲けたお金は、またより働くために仕事そのものに還元させることによって資本主義の運動にどんどん燃料を注いでいることになりますね。そしてこんな行動は遊び目的の資本家には出来ません。
遊ぶことと働くことのその後の差
もしお金儲け主義の資本家であれば、一生遊べるほどのお金が得られれば仕事をやめる、つまり事業を放棄してしまいます。そしてお金持ちになったからといって事業を放棄してしまえばそこで成長が止まってしまいます。それが大勢のお金持ちによって行われるか否かは、社会における在り方まで変わってきてしまいます。そのためウェーバーは近代資本主義と他の資本主義をわけました。つまり普通のお金儲けの資本主義ではいくら事業が上手くいっても、個人として余るほどにお金持ちになってしまえば仕事などやめてしまうのです。そしてそうした資本主義の社会では、近代資本主義のような社会全体を押し上げるような圧倒的な成長は成り立たない、と考えられるのでした。
しかも近代資本主義の成立時期は封建制からの移行を経ますので、各産業分野が未成熟の段階です。そのため社会の土台を作り上げるのにも大きな余地があります。鉄道をひくのも綿工場を建てるのも都市部に住居を作るのも、すべて一からやらなくてはいけません。そうなると一度加速した成長はそうしたものが行き渡るまで頭打ちにならないことになります。
かつてIT企業が持て囃され、スマホが登場し同じように持て囃されたのはこれと同じことですね。基礎が存在しないからいくらでも成長できるのです。そしてヒルズ族と呼ばれたIT長者も遊ぶことを目的とした人と事業そのものを目的にした人がいたはずで、おそらく後者がのちに支配的な立場に立ったのではないかと思います(この辺りはすべて私の勝手な考えです)。
そしてウェーバーはこうした遊び目的のための労働ではなく事業目的の労働を行う人々を資本主義の精神と規定しました。それはプロテスタントカルヴァン派の倫理、働くことこそいいことだ、という考えの中から生まれたものであり、金の支配という一般性から引き剥がし宗教的倫理によって経済行動まで規律する、と考えたのでした。そのため書名は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』となっています。
ニュートンが神の意図を知ろうと物理学を革新してしまったように、資本主義の成立も宗教的動機によって生まれたと考えられるのですね。
気になったら読んで欲しい本
【ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』】
ウェーバーの本。ずっと載せてますね。
ウェーバーの読みにくさは翻訳者もそう感じるそうです。ウェーバーの別の本を訳している清水幾太郎は、大通りを歩いていたら横道に入り、そのまま横道を進んでいってまた横道に入るような文章だ、といったような事を書いていました。なんでも本書を訳している大塚久雄にやると、ウェーバーは病気だったから文章もその反映があり、病状がましな時に書いたものは文章も読みやすい、と言っていたそうです(お弟子さんにあたる小室直樹が書いてました)。
似たようなことは他にもあるそうで、マルクスも『経済学批判』を書いていた時は病気で文章にその刻印がされている、なんてエンゲルスが書いていた気がします。偉い学者っていうのも病気をおして学問してるんですね。スポーツ選手が怪我に悩まされるみたいです。
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お話その103(No.0103)