日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

カルヴァン派の予定説による職業倫理と蓄財によって成立した資本主義 〜救済の宿命の決定と不可知により生じる不合理な動機による合理化【ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』】 

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カルヴァン派の予定説 〜わからないから、がむしゃらに

ウェーバーのいうエートスは個人の行動や考え方を規定していく内的規律のようなものだと思いますが、この説明だけでは別段宗教と関わらなく成り立ちそうな気もしますね。でも一応私はここでウェーバーとデュルケームを宗教を社会学した人、として紹介してしまいましたので、もうちょっと宗教との関わりでエートスについて書いてみたいと思います。

 

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ウェーバーがエートスの概念を抽出することになるのは近代資本主義の成立条件を探ってプロテスタントカルヴァン派の、働くことはいいことだ、という価値観を見つけたからでした。しかし働くことはいいことだ、というだけではないらしく、ウェーバーはさらにカルヴァン派の持つ特殊的な条件を探っていきます。

 

それはカルヴァン派の持つ教義にあるとウェーバー先生は言います。

 

キリスト教というのは大きく分けてカソリックとプロテスタントとあるそうですが、その中でも色々と分かれたりしているそうです。私は何も知らないのでちっともわかりません。しかしその中でカルヴァン派は予定説というものをとるそうです。

 

人間が救われるかは最初から決まっている?

予定説。なんだか名前を聞いただけでどのようなものかなんとなくわかりそうですね。そう、人間が救われるかどうかは最初から決まってる、という考え方だそうです。私たちにもわかりそうな言い方をすれば運命論とか決定論とかそんな感じでしょうか(どれもよくわからんか)。これは普段生活していてもふと頭によぎることもある考え方かもしれませんね。

 

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そういえば『ジョジョの奇妙な冒険』第6部のラスボス、プッチ神父の目的はいわばすべての人を予知可能な運命論者にしてしまうことでした。プッチ神父は自分のスタンドを使い世界を一周させてしまって、すべての人に起こりえる未来を最初から体験させてしまうことにより未来を未知なものとしてではなく、既知のものとして捉えさせようとしました。言ってみればこれが予定説ですね。

ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン 1 (ジャンプコミックス)

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この予定説。しかしキリスト教ではもっと重要な意味を持つそうです。というのも、死後天国へと入れるかどうかも最初から決まっているということになるからです。

 

最初から決まっているのに善行は必要か?

となると問題が出てきますね。最初から天国に行けるのかどうかが決まっているのだとすれば、なにも生きている間に善行を積む必要もないのではないでしょうか。生まれたその時からあなたは天国行き、地獄行き、と切符を握らされているとすれば、生まれた後にいかに努力しても意味がありません。結果は最初から決まっているからです。なら好き勝手に生きればいいじゃないですか。悪徳に満ちて生きても最後は天国に行けるかもしれないのですから。

 

しかしこれがそうもいかないというのです。

 

よくわからないからがむしゃらに

というのも『ジョジョ』ではスタンド能力のおかげて実際に予定説による既知を起こせたのですが、私たちの生きる世界では実際にそうなるのかわからないままです。最初から天国に行けるかどうかは決まっている(と考える)のですが、しかしその結果がどちらかは人知の及ぶところではありません。しかも知ることが出来ないにもかかわらず人は死ぬまで生きねばなりませんし、行動もしなければなりません。そして生まれてから死ぬまでは早いようでいてそれなりに長いのです。なにもせずにいられるわけでもないのでした。

 

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そのため天国に行けるかどうか決まっているにもかかわらず、カルヴァン派の人たちは無性に天国へ行けるために努力をしてしまうのだそうです。天国へ行けるかどうかは決まっているしかしそれがどうなるかは知ることが出来ないゆえに人知の及ぶ限りで猛烈に努力する、こうした矛盾した逆説的な行動の原動力が生まれたのだ、とウェーバーは考えたのでした。そして働くことはいいことだ、という勤労の価値観と結びつき、資本主義の精神となるエートスが生まれたのです。もともと勤労は神の意にかなうものでしたから、共に宗教原理が結びついたと言えますね。

 

不合理的な動機と合理性

この一見不合理でしかないものが、徹底した合理性へと結びついていくのは、ニュートンの場合とよく似ている気がします。そしてその動機となったのはどちらもキリスト教で、宗教です。さらに言えばキリスト教はその根底からイエスの復活という絶大な矛盾を抱え込んでいます(そのためイスラームではさらに合理化して、イエスはただの人間で預言者の1人であり、実際に死んだとされます。ここがキリスト教には到底受け入れられないから揉めるんですね)。この矛盾を矛盾として残すのではなく、徹底的に合理化してしまおうとするところにキリスト教的ヨーロッパの特徴があるかもしれません。そしてそれを近代哲学化したのがヘーゲルなのですが、その根底にはやはりキリスト教的な思考があるとも聞きます。もともと若い頃のヘーゲルは神学者として出発しましたからね。

 

ともかく、矛盾と対立をもって成長していくような考え方がヨーロッパにはあるようにも思えてくるのでした。

 

気になったら読んで欲しい本

【ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』】 

カルヴァン派の持つ矛盾の説明もこの本に書いてあります。ウェーバーの発想には上に書いたような相反する矛盾したものからまったく予期しないものが生まれた、というものがあるのかもしれません。これはヘーゲル的な気もしますが、もしかしてどこかで誰かが書いてるの読んで私がそう思っているのかもしれません。

 

【ヘーゲル『精神現象学』】 

一応ヘーゲルの本も載せておきますが、劇的に難しく私にはさっぱりわかりません。翻訳も多いのですが、わかりやすいと評判の長谷川訳を載せておきます。でもわかりません。

ただ一般に言われていることを書いておくならば、ヘーゲルの考え方は相対立するAとBという考えがあった時、それが乗り越えられてCという考え方が生まれる、というものです。弁証法として有名で、A-B-Cの関係は正-反-合とか、即自-対自-即自対自とか呼ばれます。わかりますでしょうか。私はわかりません。ですので説明はここまでになります。ははは…

 

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お話その105(No.0105)