エートスによって機能する資本主義 〜日本は武士にエートスがあったとさ
エートス 〜内面を規律するもの
こうしてプロテスタンティズム倫理は資本主義の精神となっていくのですが、ウェーバーはこれをエートスと呼びました。
エートスとはどのようなものか、というと、ちょっと私の説明では心配ですね。とりあえずちゃんと説明されているものを載せておきます。
簡単に言えば内面的な規律のことだと思えばいいかもしれませんね。
価値観と行動の規律
働くことはいいことだ、という考え方はひとつの価値観ですが、この価値観によってその人の行動や考え方まで規定していきます。働くことがいいことであれば怠けることを嫌うかもしれません。また自ら動くことも当たり前かもしれません。このように行動や考え方など、その人の在り方まで自然と決まっていくものとして、その人の中に形成された内面的な規律をエートスと呼ぶ、ということにしておきましょうか(詳しくはリンク先見てね)。
これは逆にいうと働くことに意義を見出せなければ怠けても当たり前だし、自分から何もしないということになりますね。そしてこれも別のエートスが形成されている場合もあります。たとえば自分だけよければいい、とか、意味のないことはしない、とかですね。そうした価値観がいつのまにか形成されていて、その人の行動や考え方を自然と生み出していることになります(もちろん一見悪い行動や考え方に見えて芯の通った人もいますから、直結させちゃダメでしょうけどね。古代ギリシア人なんて労働は奴隷にさせるものでしたから、働くことはいいことだ、なんて絶対考えないはずですもの。でも考えることが一番大事、と思っていたようですから、今日まで残る哲学を生みました。これもギリシア的エートスの結果かな)。
エートスの有無とヨーロッパ産資本主義の移植の困難
なんだ、そんなこと当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。しかしこのエートスは決定的な違いを生むようです。それはウェーバーが考えたように近代資本主義がヨーロッパ、それもプロテスタントカルヴァン派から生まれた、というだけでなく、ヨーロッパ産の資本主義を移植しようとしても中々他の地域では難しかったという事情があるからです。つまり資本主義を機能させるためにも資本主義に適したエートスを持つ人間がいなければ、資本主義を移植することすら出来ないのでした。
たとえば日本は非ヨーロッパ圏で唯一自力で近代化を成し遂げた国ですが、それは江戸末期の武士階級にウェーバーのいうエートスにかなう層がいたからだそうです。どこで読んだのか忘れましたが、非ヨーロッパ圏で資本主義の移植に成功した国は儒教圏だったそうです。日本も江戸期は儒教が中心でした。儒教は個人主義というより社会貢献を求めるような思想になるかと思います。そして最早軍人として用を成さなくなった武士階級は必要以上に自分たちの立場を思弁的に捉えたようです。いわゆる武士道ですが、武士道は太平の世、つまり武士が軍人や兵隊として必要なくなってしまった時代に、しかし階級として残されながらしかも有力な階級であり、けれども経済的には完全に商人階級に負けてしまっているという実に捻れた複雑な状態に置かれていた中、自己言及として生まれたようです(詳しくは知りません。どこで読んだんだったかな。…あ、思い出した。柄谷行人がそんなこと言ってたと思います)。
それがいきなり黒船が来て開国になってしまいました。ここでさあ戦だ、と先祖返りして猛々しく武士となる者もいましたが、それとは別の方向性へと向かった人たちもいて、そうした人たちが日本の近代資本主義を築いていったようです。
その代表的な人物が、渋沢栄一なのでした。
気になったら読んで欲しい本
【ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』】
エートスについてはこの本の中に詳しく説明されていますから、気になったらぜひお読みください。私の書いたようないいかげんな説明ではなく、ちゃんとしっかり説明されています。
【葉隠】
なんか検索したらいっぱい出てきた。
武士道の代表的な本です。私は読んでいませんのでわかりません。なんで最近になってあちこちで出てるんでしょうか。現代人に日本を見直して欲しいのかな。私も読まなくちゃいけませんね。でもなんで3分冊なんだろう。私が持ってるの、もっと薄い一冊本だったけどな…
【渋沢栄一『論語と算盤』『論語講義』】
渋沢栄一は論語を読み込んで、孔子は金儲けを否定していない、と結論したそうですが、それだけの徹底さがあったうえで実業へと向かっているのでちょっと覚悟が違う気がします。日本資本主義の父といっていい渋沢栄一が読み込んでいたからでしょうか、日本の社長さんは論語が好きな人が多い気がします。でもちゃんと読んでるのかな。
この角川ソフィア文庫版の序文に書いてあるのですが、当時の農民は道徳観がなく儒教を通して倫理観を築いていた武士が私利を越えた公利のために行動することが出来た、といいます。私が今回書いたことはこの一言から影響されたのかもしれません。ただ私はまだこの本をちゃんと読んでいません。
ちなみに渋沢栄一は論語に関する本格的な本もあるようで
これが文庫版で全7巻です。一冊一冊は短いです。分冊になっているので探すのが大変です。中々見かけません。今度お札になるんだから復刊でもしないかなぁ。
他にも存命の頃にたくさん本を出していたようで、多分戦後の松下幸之助みたいな扱いだったのではないかと思わないでもありません。今でも町の社長さんは松下幸之助の本読んでるみたいですからね。それともホリエモンとかかな。
ただ、たしか宮崎哲弥だったんじゃないかと思うのですが、渋沢栄一は徹底して民間に留まり様々な事業を通して日本の近代化に貢献したのであって、三菱財閥の岩崎弥太郎のように政府にくっついて儲けたのとはわけが違う、なんて書いていた気がします。この点でも渋沢栄一は近代資本主義的なエートスを形成していたと思いますが、今の世の中はどっちかというと強いもんにくっついていけ、みたいな価値観の方が強く威張っていて、司馬遼太郎の評価した明治の日本より駄目になったと判断した昭和初期の日本にやっぱり近いんじゃないんでしょうか。司馬史観を持ち出してきたのはひと昔前の保守派だったはずですけど…渋沢栄一をお札にしたのは安倍総理の意向があったなんて耳にもしましたが、育っているのは渋沢栄一じゃなくてぷち岩崎弥太郎じゃないでしょうか。大塚英志は今のIT業者は新しい土建屋だ、と書いてましたが、私は全然詳しくないからちっともわからないんですけど、どうなのかな…
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お話その104(No.0104)