前回のお話
中世ヨーロッパの暗黒時代のイメージと裏腹に、高度に維持・発展させられていた中世論理学の意義と、物事の認識のために必要な基礎となる論理学と数学との違い - 日々是〆〆吟味
中世の価値観や論理学上位からの脱出と新しい宇宙観
中世と論理学と暗黒時代
どうも論理だけでは人間中々正しいものへといたれないようです。それを支えるのが数学ということになるのかもしれませんが、論理学から数学へいくためにはまっすぐな道があったわけでもないようです。
中世において論理学が基本的土台だったことは確かだったようで、何事も論理的に説明して正しいか間違っているかを決めていたようです。しかし論理っていうものはカントが説明したように、正しいとも間違っているとも、どちらも論理的に正しく説明出来てしまいます。そのせいもあるのでしょうか、ルネッサンス以降は中世を暗黒時代と呼んで無知蒙昧な迷信ばかりの無駄な議論しかしてないような世界だと思っていました。
中世批判と暗黒時代
これが正しいのかは中世思想の本を読んでみるとそうでもなさそうなのですが、少なくとも当時のヨーロッパ人にはそう思われたそうですね。その理由のひとつとしてスコラ哲学が本当に瑣末な議論しかしてなかったこともあるそうですが、しかし批判者である人文主義者の人たちもそのスコラ哲学によって学んで育ってきた面も多くあるそうで、そのため新たな世代として旧世代を論難するためにもそう発破をかけたそうです。いつでもやってることは似たようなもんですね。
【山内志朗『普遍論争』】
(人文主義者たちがスコラ的教養を土台にしていたがためにスコラ哲学を強く批判しなければならなかったことはこれに書いてあったかな。確か現代の観点から見れば人文主義者たちは新しい世界の観点を持っているように見えるけど、当時としては当然中世スコラ哲学的な教育を受けたうえで対立してるので、意外と似ているところが多いがために強く批判しなければならなかった、というようなことだったと思います。似たところが多いから違いを強調しないといけなかったっていうわけですね)
【エラスムス『痴愚神礼讃』】
(で、スコラ哲学をけちょんけちょんにした人文主義者の代表でもあるエラスムスの本。バカサイコー、っていうような感じで、ガンガンに世の中の愚かさを女神さまが揶揄しまくっています。なにも考えずに読んでも面白い珍しい古典です。笑えるなぁ)
中世批判と新しい見方
しかし中世的価値観をけちょんけちょんにすることによって、新しい見方が生まれてきたことも確かなようでした。というのも中世末期にはアリストテレスの権威は絶大なものとなっており、アリストテレスの自然観・宇宙観というものが絶対となっていた様子です。そんなわけでアリストテレスに反対した見解を持つことは大変難しかったわけですね。
【プトレマイオス『アルマゲスト』】
(アリストテレスの理論を使って作られた、いわゆる天動説の宇宙論の本。なんとこんなものまで翻訳があります。欲しぃ〜)
新しい宇宙観の誕生
それを反対して宇宙のメカニズムはアリストテレスの考えているようなものではなく、別のメカニズムによって動いていると考えたのがガリレオなのですが、その前にもジョルダーノ・ブルーノという人が反対して火あぶりにされてしまいました。ブルーノは宇宙を無限なものとして考えたのですが、それがアリストテレスの宇宙観と合わなかったわけですね。
【ガリレオ『天文対話』,ブルーノ『無限,宇宙および諸世界について』】
(ガリレオとブルーノの本はこちら。一応読んだような覚えがあるのですが、随分昔にアリストテレスのこともよく知らずに読んだのでなにも覚えてません。興味あれば読み比べてみてくださいね)
ちなみに余談なのですが、ガリレオは宗教裁判にかけられた時自説を撤回し、それでも地球は動く、と言ったそうですが、ブルーノは撤回などせずに殺されてしまいました。この違いが科学者と哲学者との違いだ、なんて言われたりもします。科学者は自分の説というものは目の前に提出されたものでしかないけど、哲学者は自分自身の在り方と関わってくるので単なる自説で済まない、というわけです。世界の在り方そのものがどうなってくるか、ということがある仮説か世界観なのかの違いになるのでしょうか。気になった方がいらっしゃいましたら比べて読んでみると面白いかもしれませんね。
お話その250(No.0250)