日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

保守の立場の困難性:明確な基準なき保守思想の思想的立脚点の意味とはどこにあるか 〜政治勢力として左翼反対によるまとまり、自らで明確化、日本文化/歴史的踏襲【福田恆存『保守とは何か』 】

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前回のお話

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保守の立場とは

新興勢力への反対としての保守のまとまり

保守という立場はある意味ではとても難しいものです。というのも過去の一地点を理想化しているわけで、10人いれば10人の保守の在り方が成り立ってしまい、そうなると保守なんていうひとつの思想は存在しないといってもいいくらいです。そのためマンハイム保守主義というものは新しく現れた勢力に対する反対でまとまっているだけであり、それ以前の状態の方がいい、ということを思想にしただけだ、と分析していたような気がします(間違ってるかもしれない。よければちゃんと読んでみてくださいね)。

 

日本の場合 〜共産主義や左翼への反対というまとまり

日本の場合であれば革新、すなわち共産主義や左翼に反対することによって保守としてまとまっていたわけですね。敵が一緒だから敵の敵は味方なわけです。そんなわけでソ連が崩壊して左翼が散り散りになってしまうと保守内部で意見の対立が明確になり、結構揉めたり分裂したりしていたそうです(誰が書いてたかなぁ。評論家だったと思うけど)。マルクス主義者がマルクスの解釈の正当性を巡って内ゲバしてるのと同じように、保守でも揉めてたりするんですね。

 

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なんでも結構揉めていたのがアメリカに対する態度で、保守の中にも親米と反米というものがあるのだそうです。私は戦後の日本はアメリカに負けてペコペコしてるもんだから、保守は負けて悔しい今に見ておれ、と歯軋りしてるんだと思っていたのですが、案外そうでもなく戦後の成長がアメリカの支援あってのものでしたからアメリカ様々、という立場の人も多いようです。阿川佐和子のお兄さんである阿川尚之は法学者でアメリカを研究していてアメリカ評価らしく、戦後最大の文芸批評家である江藤淳などは戦後の日本があまりにアメリカ化されすぎていてそのことを非常に問題視していました。これが両方とも保守になってしまいます。どっちかっていうと戦後のアメリカ化は大橋巨泉なんかが喜んで受け入れたように、戦前の軍国主義に疲弊したリベラル的な価値観だったと思うのですが、今では政治主導しているのはアメリカ化の保守のような気がしますね。

 

保守勢力と政治権力 〜敵か権力によってまとまる類似

こうして見てみますと、保守がなんで政権勢力と仲がいいのかもわかる気がしますね。自民党は戦後いくつもあった保守勢力の集まったものでした。もしかしたらそれぞれの間では意見の相違もあったかもしれません。ついでに言うと旧民主党は意見が割れて小池百合子の策略もあり分裂してしまいましたが、自民党だって元々は派閥政治で意見なんて一致してなかったと思います。タカ派ハト派では随分違ったはずです。ではなぜ分裂しなかったのかといえば、政権与党であるから権力を持っていたから分裂しなかったのだ、なんて言われてた気がします。つまり政権与党が意見の一致しない烏合の衆であったかもしれないが、権力でまとまっている。同じように保守勢力も意見は一致してないかもしれないが、敵が共通していることによってまとまっている。似ているんですね。

保守の基準その① 〜自らで明確にする

こうした保守主義ですので、保守といっても何を保守するのか、どのようなものを自分は保守と思うのか、それを自らで明確にしなければなりません。いくら保守、保守、といっても徳川幕府再興とは言えないわけです。天皇を持ってきて明治維新を起こしたのを反転させて、徳川家の末裔を持ち出し幕藩体制に戻したいといっても他の保守から認められるということはないかと思います。

 

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たとえば日本で保守の考えにとても貢献した劇作家/文芸批評家の福田恆存は保守とは横丁のそば屋を守ることだ、と述べたそうです(直接読んでない)。これは保守とは生活実感の中から生まれることだ、という意味も含まれているかと思いますが、同時に福田恆存は自身の考える保守というものをどこに基準を置くか自らで明確にしているわけですね。こうした態度がないと保守とは明確にならず、ただ自己弁護のために保守を持ち出すことだってあるわけです。たとえばジャイアンのび太を殴っても、俺は織田信長に倣ってやってるんだ、と言って保守を名乗ったって、ジャイアン本人はそのつもりかもしれないからです(でもこれってナポレオン=英雄に憧れて人殺ししたラスコーリニコフみたいな気もしますね)。

 

保守の基準その②  〜日本文化を踏襲する

しかしやっかいなのが政治体制ではなく文化として捉えたなら、こうした大昔の価値観を持ってきてもおかしくはないということです。むしろそれこそが保守として正しい基準としてみなせる可能性もあります。というのも日本は相応に歴史のある国であり、政治はその時々で激変し価値観を一致させることは出来ませんが(徳川幕府再興、といったそばから、いや豊臣だ、なにを足利幕府だ、といくらでも過去に相対化されてしまう)、それと同じように日本の文化というものも続いてきているとみなすことも出来るからです。

 

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いわゆる伝統とか、日本らしさ、日本人らしさ、というものなのですが、これを歴史の中に見出し踏襲した上で考えるのが一応日本における保守とみなされているかと思います。

 

次回のお話

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気になったら読んで欲しい本

バーク『フランス革命省察』 

バークの本。今回はみすず書房にしてみました。たしかみすず書房はバークの著作集を出していたはずです。でも値段が上がっています。

保守というのはバークから誕生したので、今の世の中で保守、保守、とあちこちで聞いて、なんじゃらほい、と思っていらっしゃる方は、その原点であるこの本を読んでみるのもいいかもしれませんね。上に述べたように保守とはかなり曖昧なもので、下手をすれば自分のいいと思っているものを勝手に保守として振る舞ったり出来てしまうのでかなり注意が必要なものです。そのため時として原点に戻ってみるのも必要な気もしてきますね。

マンハイム保守主義的思考』 

マンハイムの本。マンハイムのこの本は特別保守主義とは何か、というような主義主張について書いているのではなく、マンハイムの持つ知識社会学という立場から保守主義というものを明確にしたものです。

知識社会学というのはどういうものかといえば、過去のある時期に現れた思想が、当時の社会/思想状況のもとどのようにして生まれたり優位になっていくのかを研究するものだそうです。多分。あまり私はわかっていませんので、マンハイム先生がどう知識社会学を説明しているのか是非直接お読みください。私には満足のいく説明は荷が重すぎます。簡単に言えば歴史の思想版…って言ったら、思想史になっちゃってちょっと違うのかな。難しい。

福田恆存『保守とは何か』 

福田恆存の本。私は読んでいませんが、きっと保守ということについて大きく示唆されることが書いてあるかと思います。

 

ドストエフスキー罪と罰』 

そうそう、忘れてました。ナポレオンを意識して人殺しを決断し実行してしまったラスコーリニコフ君はこの作品の主人公です。そしてドストエフスキーは保守ということを考えるにも大変重要な作家のはずです。ついつい保守なんていいますと日本のことばかり考えてしまいますが、当然外国にもその国の保守はいるわけですし、歴史的/世界的大作家だって保守的な考え方してる人もいるわけですからね。

ハインライン『宇宙の戦士』 

ついでにアメリカの超有名作家で右派というハインライン先生を載せておきましょうね。これはSFの意匠を借りた軍隊小説ですけど、巻末の解説でつい訳者が政治についてハインラインに尋ねてしまったところ、アメリカ北部がいかにカナダに狙われていて軍事侵略されるか、という危険性を蕩々と語ったそうです。トランプ大統領はなにも急に生まれてきたわけではないことがよくわかるエピソードかもしれません。



次回の内容

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お話その139(No.0139)