前回のお話
中世とは論理学上位の価値観の世界であったが、暗黒時代と後世に呼ばれた中世から脱出することとなったアリストテレス的ではない新しい宇宙観 - 日々是〆〆吟味
アリストテレスの宇宙観と打破するための道具としての望遠鏡と蓄積されたデータ
中世末期とアリストテレス
中世後期にはアリストテレスの考え方が絶対的かつ支配的だったようですが、それがガリレオの宇宙観によって打ち破られていきます。その結果中世的世界観は崩れ去って中世という時代が終わります。他にも色々理由はあるようなのですが、今回はこれだけにしてそういうことにしておきましょう。
ガリレオの登場とその背景
しかしガリレオがいきなり現れたわけではありませんね。昨日までアリストテレスが絶対的権威だったのに、ぽんっ、とガリレオがそんなことは違う、なんてことを言うのは困難です。というより、言ってもきっと信じてくれないでしょう。ガリレオが地球が回ると言ったのはそれ相応の理由があるからで、それはまたそれ相応の積み重ねがあるからそう言えたし説得することも出来たのでした。
【ガリレオ『新科学対話』】
アリストテレスと経験の学
アリストテレスの哲学というものは古代のものですから、当然科学的ではありません。なにせ科学的になりたくても満足に観察出来る道具がありませんので、私たちが日常的に捉えることができる範囲でのみ観察して考えなくてはいけませんでした。しかしそれでもアリストテレスは超絶天才であったため、生物学の分野ではちゃんとたくさんの動物を解剖して空理空論で考えたものではありませんでした。科学の重要な条件である、経験的に知り観察から始めることをなんとアリストテレスは既に行っていたのです。けど中世はアリストテレスのその側面よりも論理学の面を受け取って発展した世界だったのですね。ですから経験的に何事かを理解する態度を忘れてしまったのかもしれません。
【アリストテレス『動物誌』】
(アリストテレスの生物に関する観察は相当のものだったそうで、進化論で有名なダーウィンが晩年知人に送られて読んだら驚嘆したそうです)
そんなアリストテレス先生ですが、当然お空の上の世界のことも考えました。しかし古代の時代に宇宙について経験的に判断しようとしてもほとんど不可能です。そのためアリストテレス先生はさらに昔の自然哲学者たちの考えをハイブリッドした自分流の自然哲学でもって考えました。それがいわゆる天動説ですね。これは当時の経験的に知られる範囲と合わせて考えるとちゃんと論理的だったそうです(今でも論理的には論理的なんだと読んだ覚えもあります。ただ死ぬほど複雑だそうです)。
【アリストテレス『自然学』『宇宙論』】
(アリストテレスの自然哲学なんですけど、説明は私の手に余るのでやめておくことにします。わーん、わかんないよ〜)
宇宙についての経験の学
ではちゃんと経験的に宇宙について知るためにはどうしたらいいのでしょう。それは望遠鏡の登場を待たなければなりません。ちなみに望遠鏡のアイデアは中世には既にあったらしく、有名なロジャー・ベイコンという人の書いたものにも光の反射を繰り返せば遠くのものが近くに見えるということを書いています。ただ解説によればそれはベイコンの師にあたるグロステストという人に既にアイデアがあったそうです。しかし技術の都合もあってか実現はまだ先でした。
【ロジャー・ベイコン『大著作』,中世思想原典集成精選5】
(ロジャー・ベイコンの望遠鏡のアイデアはこの本に載ってました。部分訳ですが中世なのに科学を考えているのがちょっとわかって面白いです。私は素養がないので読んでもよくわかりませんでした。グロステストは中世思想原典集成の平凡社ライブラリー版にも入っているようです。手に入りやすくて助かりますね。ただ望遠鏡の話はあったかどうか覚えてません)
望遠鏡と宇宙の観測データとティコ・ブラーエ
そして望遠鏡が発明されたあとになってようやくお空の上の世界について、細かく観察することが出来るようになってきました。そこである偉い人が延々何十年にもわたって星の運動を記録し続けたそうです。それがティコ・ブラーエという人で、この人が集めた観測データがアリストテレスの宇宙観を破って近代的な天文学の始まりとなったそうです(よく知らないから間違ってるかも…/ただティコ・ブラーエは望遠鏡を使わず目視のみによって天体観察したそうです)。
そしてこの天文学上の客観的経験的データに裏づけされた上でコペルニクスの天動説と相まってガリレオは自分の中で理論を作り裁判にかけられちゃったりしたんですね。かわいそう。
次回のお話
ティコ・ブラーエの研究内容により更新された新しい宇宙観 ~されど未だ抜け出せぬ地球の位置と当時評価された第三の説 - 日々是〆〆吟味
お話その251(No.0251)