前回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/2020.6.22
からっぽなものと日本的なもの?
からっぽな存在(キャラクターやフィクション)がどのように役に立つか、というようなお話をしてみましたが、案外こういうことは普段から当たり前に行なっているかもしれませんね。そのため今更なに言ってんだと思われるかもしれません。しかしこうしたからっぽなものが当たり前にあるということがどちらかというと日本的なのかもしれません。
三代前の歴史観
直接読んだわけではなく孫引きかなにかで読んだ覚えがあるのですが、柳田國男は日本の歴史観というのは基本的に直接に知れる係累の範囲だ、と説明されていたそうです。それは具体的に自分の親、それから祖父母、よくあってその前の代くらい(だったかな?)が実感を持って納得出来る歴史の限度であって、それをこえると途端に実感がわかなくなるのだそうです。これに比べるとお隣の中国や韓国は血族の絆が大変強く、何百年前のことでも実感を持って捉えることが出来るそうです。日本人からすればそんなの教科書に出てくるような無味乾燥な歴史的事実になってしまいそうですが、意外とそうした歴史観の方が珍しいのかもしれません(よく知らない/歴史に対する実感の持ち方が桁違いに違うので同じ歴史的事実を扱っていても温度が異なり揉めるらしい)。
【史記/万葉集】
【柳田國男全集/折口信夫全集】
(歌から始まる日本の文化については折口信夫なんでしょうか。一応載せておきます)
大思想と地理的条件
まぁこうした歴史観も関係するのかはわかりませんが、少なくとも日本にはヨーロッパや中国のような大思想はありません。これは元となる大思想のきっかけとなるものが古代に限定された地域で生まれた以上、大陸のはじから離れた島国では生みようもなかったのだと思います(ヨーロッパでも今日の発展が生まれるきっかけはアラビア経由でアリストテレスが入ってきたことらしいですし)。その上地理的に外敵から支配されることもなく、アニミズム的な八百万の神々という神道まで体系化されず(らしい)に済まされていたので、他の地域では不可能なくらいにからっぽのものが残されたのかもしれません。
【アリストテレス全集/中論】
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/14/193013
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/15/193003
(前こんなのも書いた)
外国人から見た日本の文化って?
そんなわけでロラン・バルトなんかが褒めてくれるような日本の文化っていうのは、日本人の観点からすれば当たり前で別におかしくないのだけど、よその国からすればかなりヘンテコで面白いものとして映っているのかもしれませんね。そのためアニメでも漫画でも、誰も日本人以外の読者なんて意識もしてなかったのに外国人に届いてしまったのかもしれません。10年ほど前アニメ・漫画が外国で受けてると言われ出した頃、漫画関係者は自分たちはせいぜいアジア圏くらいは届くかもしれないと意識していたが、欧米圏なんて考えてもなかった、なんて言っていたのを読んだ覚えもありますが、多分偽らざる感想だったのではないかと思います。
【ロラン・バルト『表象の帝国』】
ちょっと長くなってきたので今回はこの辺で終わることにします。なんかまた薄っぺらいものになってしまいました。申し訳ない。
次回のお話
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お話その210(No.0210)