自己流とちゃんぽん 〜日本文化のひとつの形
徹底的に学べど同化しない日本の戦略
日本は大国に染まりながらも一体化はしてしまわないそうです。福田和也はどこかで聖徳太子以来の日本の戦略、と述べていた気がしますが、おそらくそれはアメリカ相手での現在でも同じなのかもしれません。明治開国以来性急な西洋化と戦後のアメリカ化は同時代から批判されていましたが、完全に西洋やアメリカになってしまったわけではありませんからね。
実はこのあたりが日本独特の文化とはみなされているらしいのです。
自己流のアレンジ
つまり日本は自分たちよりも進んだ国や文化から取り入れるのですが、取り入れたものを自分たち流にアレンジして自らのものにしてしまうというのです。よく例に出されるかと思いますが、西洋からパンが入ってきたらおまんじゅうから発想して、あんこを入れたあんパンが生まれました。こんな感じでよそから取り入れたものを自分たち流にアレンジしてしまうのです。
また中国から漢字を取り入れて日本語の一部にしてしまったと前回述べましたが、それだけでなく漢字からひらがなも作ってしまいました。〝安〟から〝あ〟が〝以〟から〝い〟が作られていったわけですね。元の漢字を崩していって、漢字を捕捉するようなひらがなを生み日本語の基礎としていったのです。ですからお習字などで草書という書き方をすれば、ひらがなはもとの漢字に近づけて書いたりします。博物館などで昔の手紙が展示されていたりしますが、見ても読めないのはこういう風に草書体でひらがなを崩しているからです。それも漢字を崩したものからひらがなのまま崩したものまで混ぜこぜで書いてあるから読めないのですね。
ちゃんぽんして混ぜこぜ
ひらがながこうして作られ、今日まで使用しているのですからその自家薬籠中加減がわかるというものです。完璧に自分のものにしてしまいますが、しかし漢字も残っていて、外国文化がそのままの姿でも組み込まれているという、よく考えてみると不思議な文化です。いわば外国のものと日本化したものをちゃんぽんにしておかしいと思わないのが日本文化というわけですね。しかし取り込むのは完璧でも自分に都合よく取り入れるので、もとの在り方をそのまま取り入れるのは日本は苦手です。なんでも日本流にしてしまいます。
歴史の始まりから行い続ける年季のいりよう
ひらがなの話はよく知られた話かもしれませんが、よく考えると日本が成立するかどうかほとんどわからない頃から大国の文化を取り入れてきたので、年季の入りようは半端ではありません。いわば日本の歴史と重なるぐらいに大国の文化を取り入れてきたわけです。ですから明治に入って西洋が重要になれば西洋から取り入れ、戦後アメリカになればアメリカから取り入れるわけです。しかしそれもまた日本流に取り入れているのかもしれません。
参考となる本
【くずし字解読辞典】
草書についてどんな本をあげていいかわかりませんので、ぱっと見で選んでみました。こうした本や辞典を熟読すれば、江戸時代の手紙とかも読めるようになるのかもしれませんね。
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お話その57(No.0057)