前回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/309/2021.02.23
少数者の支配としての宗教的指導者の信念の伝染と群衆心理
モスカとル・ボンのなんとなく似ているところ
モスカについて少し書いてみようかな、と思っていたのですが、本を引っ張り出してきてぺらぺらめくってみるとちょっと情報量が膨大でしたので諦めてしまいました。そこで今見て気になったことでもさわり程度に書いてみたいと思います。
【モスカ『支配する階級』】
(モスカの本はこちら。みもふたもない現実政治の力学が色々と書いてあります)
宗教的指導者の信念と信徒への伝染
前回たまたま宗教を例にして書いてみたところがありますが、モスカも宗教家について書いているところがあります。それはいかにして宗教家が信者たちに言うことを聞かせるようになるのか、ということです。
宗教の開祖となる人は自分が重要な役割を担っているという深い確信、あるいは自分の仕事が効果があるという心からの信念を持っていて、なおかつ欠くことの出来ないものとして自分の信念や熱狂ぶりを他人に注ぎ込む能力がいる。すると周りの人たちにたいしてちょっとした仕草が意味を持って受け取られ、少し首を動かしただけで全員が盲目的に動くようになる。この熱気は人にすぐ伝染しやすく、普通ならとても出来ないような大胆で犠牲的な行動に信者を駆り立てる。
大体こういうことを述べている箇所があるのですが、なんだかこれはル・ボンの『群衆心理』にある内容と似ている気がしてきます。
【ル・ボン『群衆心理』】
(ル・ボンについてはこちら。どうやら人間というのは集まってしまうと我を忘れてしまうらしいです。ちょっとhttps://www.waka-rukana.com/entry/summary/046でまとめてみたことがあります。よろしければご覧になってみてください)
群衆心理と少数者による支配
もしかしたら似たようなものを対象にして分析しているのかもしれませんが、違う人が似たような特徴を挙げているということは面白い指摘かもしれません。そういえばル・ボンも群衆心理の特徴を利用した者は自覚的・無自覚的に問わず様々な宗教家も含まれると書いていたかと思います。
使徒から信徒への組織化と永続化
モスカは宗教の開祖の次に使徒たちとして次のように述べています。
最初に新しい教義を体系化する個人のまわりには、その師の口から直接言葉をきき、師の感情に深く染まっている多かれ少なかれ大勢から成る集団が必ず生まれる。どんな救世主も使徒を必要とする。というのは、人間は自分の精神的・物質的活動を明らかにする場合、ほとんど必ず社会を必要とするからである。
そして洗練された競技と組織を持った開祖の思想を持つ集団は、のちの世代へと影響を与えていき新しい信者を獲得していくそうです。
ただこの活動も長続きするかはわかりません。
政治的教義や宗教上の教義が広く支持されるかどうかはもっぱら次の三つの要素にかかっている。第一にその教義はある歴史的瞬間にぴったりしたものでなければならない。第二に、それは最大多数の人間の情熱、感情、傾向を満足させるものでなければならず、とくに公衆のあいだにもっと広く見られ、もっともしっかりと根づいている情熱や感情を満足させるものでなければならない。第三に、信仰を生き生きとさせる精神を維持し広めるために自分の生命を捧げる人びとのらよく組織された指導核、あるいは「執行委員会」がなければならない。
なんだかこのあたりまでくると群衆心理というだけでなく、その組織化が必要ということになってくるのかもしれませんが、おそらくこの組織化という点において少数者の支配ということは必然になってくるのかもしれませんね。それがいかに理想的で倫理的な理念であったとしても、組織とは必ずピラミッド型になる、ということの帰結なのかもしれません。
次回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/311/2021.02.25
お話その310(No.0310)