日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

コロナウイルスとは我々を群衆と化し世界の歴史を変える要因となるのだろうか ~自然/社会的な国家の大事件と群衆による歴史的変化

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前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/04/28/170000

 

コロナウイルスという国家の大事件と、群衆化とその先 〜私たちは今、群衆と化しているのだろうか?

国家の大事件と群衆

群衆が具体的に集まっている人々のことを指さなくてもいいのだとしたら、ますます大衆との違いがわからなくなってくるような気もしますが、それと同時にもうひとつル・ボンは気になることも書いていました。

 

意識的個性の消滅、感情や観念の同一方向への転換、これは、組織されつつある群衆に見られる最初の特徴であるが、多数の個人が同一場所に同時に存在せねばならぬことを必ずしも意味しない。離ればなれになっている数千個の個人でも、あるときには、例えば国家の大事件のような、ある強烈な感動を受けると、心理的群衆の性質を具えることがある。

 

【ル・ボン『群衆心理』】 

【ひかりTVブック(電子書籍)】

 

 

ここで今回注目してみたいのは、国家の大事件のような、ある強烈な感動を受けると、心理的群衆の性質を具えることがある、という一文です。

 

社会的な大事変と、自然的な大事変

ついこの間まではこのような言葉の指すものは戦争や革命のような、まず普段目にしない状況が思い浮かばれました。いわば歴史的事変として国家の大事件が起こってるわけですが、それらは社会/歴史的な大事変といえるかもしれません。しかし今は自然要因によって普段起こらないような大事変に直面していることになります。

 

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自然的大事変によって変わる社会

自然要因の大事変も歴史上なかったわけではないようです。ペストやスペイン風邪の流行によって社会が混乱の極みに陥ったらしいことは、今回のコロナウイルスについて色々書かれている中で教えてももらいました。

 

テクノロジーが権力に 仏経済学者ジャック・アタリ氏 - 日本経済新聞

(有料記事で全文読めません。私は新聞で読みました)

 

【アタリ『1492 西欧文明の世界支配』】 

【ひかりTVブック(電子書籍)】

(ジャック・アタリの本。読んでいませんが、関係ありそうなので載せてみました)

 

ジャック・アタリによれば、そうした疫病によって西洋社会そのものが変容したそうです。中世的な教会支配の世界から、患者を隔離する組織へと権力が移り、ウイルス対策の出来る医学へとさらに移って、科学による世界へと変わっていった、ということです(うろ覚え。紙面にはもっと細かく具体的に書いてあった)。

 

群衆により変わる歴史

そのため今回のコロナウイルスも新たな世界へと移行していく可能性もあるようなことを書かれていました。そしてまたル・ボンはこのようにも書いていました。

 

群衆は、容易にある信仰、ある思想の勝利のためには身を殺すにいたるし、名誉光栄のためには熱狂するし、十字軍時代のように異教徒の手から神の墓を解放するためには、あるいは一七九三年におけるように国土を防衛するためには、ほとんど食糧や武器がなくても誘いの手にのるのである。これは、もちろん、やや無意識的な英雄行為ではある。しかし、歴史がつくられるのは、このような英雄的行為によるのである。もし単に、冷静に考えぬかれた偉大な行為のみが民族の名誉になるべきものとすれば、このような行為で、世界の歴史に記録されるものは、まずないといってよいであろう。

 

つまり歴史は偉大な個人ではなく、群衆によってつくられている、ということなのかもしれません。

 

アタリの指摘が現在にも当てはまるのか、ル・ボンの認識が今日も含まれるのか、それはわかりません。ただ各々の思想家による考えが、今日の私たちの状況を引き寄せて考えてみることも不可能ではないことはうなずいてもいいのかもしれません。

 

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それどころかコロナウイルスの問題は国家どころではなく世界的な規模で影響が出ています。一国でも群衆により大変化が起こるのだとすれば、世界規模の騒動ではどうなるのか未知数です。それも経済危機のような社会的な要因ではなく、ウイルスによる自然的要因によるものです。根本的な解決にはどうしても物理的な水準で解決されてくれないといけないようにも思えてきます(ウイルス死滅させるとか、人口の大半に免疫が出来るとか。しかもその後でまた経済/社会的な危機が来ると予想される)。

 

私たちは今、群衆と化しているのだろうか?

そうした状況を踏まえて、今私たちは群衆と化しているのでしょうか。それともちゃんと個人として状況を理解し、判断しているのでしょうか。

 

ル・ボンは群衆の一般的特徴と題された第一章の末尾でこう述べます。

 

前述の観察から次のように結論しよう。すなわち、群衆は知能の点では単独の人間よりも常に劣る、と。しかし、感情や、この感情に刺激されてひき起こされる行為から見れば、群衆は事情次第で、単独の個人よりも優ることも、また劣ることもある。すべては、群衆に対する暗示の仕方如何にかかっている。

 

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暗示の行方とリーダーシップ

私たちがすでに群衆と化しているとしたら、あとはそこに与えられる暗示により方向性が決まってくることになります。そしてもしこうした大勢の人を引っ張っていくものが理念化されるとしたら、それはリーダーシップというものになるのかもしれません。権力や恣意性による暗示によって動いてしまうのではなく、適切に動いていくための暗示が与えられるのか、また群衆と化していながらも個人をたもちながら冷静に判断できるのか、それらは現状わからないのかもしれませんが、せめて過去にこうした理論や認識があるのですから、それらから距離をはかってさほど大きく間違えないようにしたいと願ってしまいます。

 

【マグレガー『リーダーシップ』】 

【ひかりTVブック(電子書籍)】

(古典的経営学者によるリーダーシップ論らしいのですが、私は読んでいません。関係ありそうなので載せてみました)

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/11/063002

 

このままでは、コロナ自粛は「国民が勝手にやったこと」にされてしまう(平河 エリ) | 現代ビジネス | 講談社(5/7)

 

…なんか陰気な内容になってしまいました。
 
次回のお話

 

 

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お話その195(No.0195)