前回のお話
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貴族精神を持つ層の必要性と喪失
モスカとオルテガの似てそうなところ
モスカがル・ボンと共通するようなことも書いているような気がしたのですが、それと同じようにオルテガと似たようなことも書いているような気もしました。ちょっと引用してみましょう。
【モスカ『支配する階級』】
(モスカの本はこちら。今回引用している文章もこちらからになります。分厚くて読み応えありますけど、重要なことが書かれていると思いますので、世の中に関心のある方は一読してみると色々勉強になるかもしれません)
社会が比較的完全な政治組織を発展させるのにもっとも都合のよい環境にあるのは次のような場合である。すなわち、社会の中に、その経済的地位が最高権力を握っている人びとから実質的に独立しているような人びとの大きな階級が存在すること、これである。そしてこのような階級の人びとは自分たちの文化を発達させら人びとにただ自負と誇りからくる満足だけで国に仕えさせることのできるような公的幸福の利益ー貴族精神と呼びたくなるのうなものーを追求するために、それに自分たちの時間の一部を捧げるだけの十分な手段をもっている。法的防御ーあるいは一般のいい方をすれば自由ーに関してこれまで先頭を切ってき、今でも先頭を切っている国を見るといずれもこのような階級が目立っている。
オルテガのエリート/貴族に似たような貴族精神を持った階層の必要性
この説明はオルテガが大衆に対するものとして挙げたエリート/貴族の社会的な具体的な姿の記述であるようにも見えます。オルテガにおいてはエリート/貴族とは大衆のある種無責任性に対して自らに多くの義務を課す存在として理想的に仮定されていたにすぎません。
【オルテガ『大衆の反逆』】
(オルテガの本はこちら。しかしこの本は大衆に対する分析が主眼で、エリート/貴族というものについては対抗軸として少し述べられているだけにすぎません。その辺りを補填するためにも他の本を読んでみるのはいいかもしれませんね)
しかしモスカになると具体的な社会階級にそのような人びとが存在していなければまともに政治が動かない、と述べているようにも思います。
失われつつある貴族精神を持つ層
こうした階級は中間層になるのか上流になるのかは私にはわかりませんが、ただある程度以上の経済基盤と倫理観と教養を有しているであろうことは想像がつきます。おそらく大学が支えている層というのはこれらの階級と重なるところがあるかもしれません。
しかし今の日本を見回してみると、大学だけでなく知識人に対しても随分辛辣です。それも中身を理解しようとした上で辛辣なら別に全くかまわないでしょうが(それはきっと単なる論戦な気がする)、なにせ難しいことばかり書くもんだからわからないままに感情で反応できる面で辛辣に文句言っているようにも見えます。
そのうえそうした感情を掬い上げるようにして政治的権力を増していく人たちも増えました。むしろ政治的状況の中で若い人はそれが当たり前のようになっているような気もします。ネットで表れた上級国民なんて言葉もテレビまで平気で流していますが、その結果大衆にとって自分たちと違うであろう上の階級を滅ぼせば政治ば立ち行かぬかもしれません。
【内田樹編『日本の反知性主義』】
(読んでないんですけど、こうした状況は反知性主義というそうですね。私はよく知りません。ただ山形浩生はこの本では反知性主義の意味が逆転してる、と反論していました。私にはどっちが正しいのかわかりませんが、一応載せてみることにしました)
貴族精神を持つ層が失われるとどうなるか
モスカは続けてこうも言います。
このような階級が文化か教育か富などに欠陥があるためにその任務を遂行できないとき、他の政治システムの場合も同じであるが、議会制統治はその最悪の結果を生む。
今現在の日本の姿ではないことを祈るばかりです。
次回のお話
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お話その311(No.0311)