前回のお話
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歴史的立場としての保守
相容れないはずの保守同士の立場
そんなわけで保守といってもほとんどバラバラで、一体何が共通するのだろう、と不思議になってきてしまいますが、それこそマンハイムのいうように新しく表れてきた勢力=敵によってまとまっている、ということなのかもしれません。福田恆存的保守からすれば経済的覇権主義のような保守とは相容れないはずですからね。
では本来の保守とみなされる歴史に根ざした伝統や文化を踏まえた上での保守ってどんなものでしょうか。実は私はまだよくわかってないのですが、ちょっと自分なりの整理も兼ねて無謀にも今回書いてみようかと思います(付き合わせてごめんね)。
変わりゆく政治権力や社会制度
政治権力や社会制度というものは歴史の中で変わっていきます。これはもう、残されているものの方が異常といっていいのではないでしょうか。たとえばヨーロッパの母体はローマ帝国にあると考えることが出来ますが、ローマ帝国の社会制度がそのまま残っているわけではありません。中国も秦の始皇帝の頃の社会制度が残っていたり、皇帝の政治権力がそのまま残っているわけではありませんよね。それに似たようなものは残っているかもしれませんが、直接そのままというわけではないかと思います。ローマ法はとても立派なものだったそうですが、その後各ヨーロッパ諸民族が学んで自分たち用の法律を作ったそうですし(どこで読んだのか不明。あまり当てにならない)、中国の権力構造は強烈なまま残っているかもしれませんが習近平は一応皇帝そのものではありません。
近代 〜歴史による自分たちの出所説明
代わりに今の時代から自分たちを位置づけるのに過去の歴史を持ち出してきます。ヨーロッパであれば今の諸民族はローマ帝国に支配されていた蛮族の子孫かもしれませんが、ヨーロッパ人としてローマを継承していると考えます。また近代思想を練り上げ近代的社会制度を作り上げていった根幹はギリシアに求められます。
ですがギリシアからローマ、そしてヨーロッパ近代諸国までの間にはいくつもの断絶があります。政治的にはギリシアは滅び、ローマも滅び、蛮族だったはずの異民族が各国を起こしています。社会的にもギリシア時代の民主主義はありえませんし、ローマ帝国のような皇帝もいません(ナポレオンは出たけど)。歴史的に捉えてみても古代(ギリシア・ローマ)から中世、近代と一直線に続いているわけではありませんね。その都度その都度世の中は変わっていっているわけです。
そうした中でヨーロッパ人は十字軍によってアラビアで発展していた思想を持ち帰り、その起源がギリシア哲学であって自分たちの祖先に近いのではないか、と気づくことによってヨーロッパ人はヨーロッパを自覚しはじめます。いわゆるルネッサンスですが、この時点で自分たちを位置づけるのに使ったのがギリシア・ローマ時代の思想や文化だったわけですね。そしてその後ヨーロッパが世界化することによって、この価値観も世界化しました。
世界標準化した近代ヨーロッパ的価値観 〜非ヨーロッパ諸国の出所説明の必要性
さて、こうした事情で近代国家が過去の歴史の大思想/文化に連なっていることがヨーロッパ的世界標準となりました。となると非ヨーロッパ圏も飲み込まれないようにするためには自分たちの国でも同じように歴史と文化が存在する事を示さなければなりません。そうしないとその時点(たとえば幕末)で先に進んでいるヨーロッパに屈するしかありません。植民地化ですね。
そして各々の国でも自分たちの歴史がいかに優れているかが探られることになります。これが近代初期のナショナリズムとなっていくのかもしれませんが、ヨーロッパという進んだ外国に対抗するために必要だったのだといえるかもしれませんね。ヨーロッパに対して日本、というものをひとつの単位として示さなければ国が呑み込まれてしまいかねない状況にあったわけです。
母国的価値観とヨーロッパ的科学文明の必要性
けどヨーロッパは確かにギリシアやローマから継承したものがあります。科学も民主主義もギリシアに遡れます。そしてヨーロッパは確かに今の自分たちを自分たちで先祖とみなした大昔の思想や文化から作り上げました。そのためギリシアやローマと連なるといっても間違いではありません。
しかし他の国では違います。近代初期の時点で植民地化されないためには、まずヨーロッパ的価値観を身につけることが重要です。自然を天与のものとして捉えず物として捉え、科学を身につけて富国強兵しなければなりません。残念ながら日本の大昔から遡って自分たちを位置づけたからといって、ヨーロッパに戦争を仕掛けられて勝てるわけではないのです。
たとえばアメリカではインディアンがゴーストダンスというものを起こしました。死者の霊が蘇り白人を追い出すというものです。またメラネシアではカーゴカルトといって先祖の霊が白人たちの品物をもってきてくれるという信仰が起こりました。どちらも自分たちの中に存在する民族的な習俗から起こったものですが、当然白人の侵略に対抗できるものではありませんでした。出来ないからそんな信仰が生まれたのだと思います。
となるとヨーロッパ諸国に対抗しようと自分たちの歴史を遡りながら、しかしそのまま今の自分たちを位置づけようとすることは近代初期の国には出来ません。必ず母国からよりもヨーロッパから学ばなければ支配されてしまうからです。すると現在の自分たちはヨーロッパ的な価値観で形成され直さなければならないのだが、そのままではヨーロッパと一緒になってしまう。対抗するためには非ヨーロッパ的な、しかしヨーロッパ的な文脈の中にもあり得る形で対抗しなければならない。そうすると歴史しか残されておらず、ヨーロッパの歴史に対して日本の歴史がある、ということになってしまいます。
均一化される世界の中での国家的オリジナリティとしての歴史
そしてこの歴史も政治や社会で捉えるわけにはいきません。ヨーロッパがそうしたように、文化や思想によって位置づけなければなりません。というのも政治や社会は変化して残っていないですし、どれかひとつを特権化出来ないからです(江戸→豊臣家→織田家→足利時代→鎌倉幕府→平安時代…)。前の時代を滅ぼして新しい時代は生まれたわけですからね。
しかしこの時平安時代から今日まで続いているものがあるはずだ、とみなすことによって日本の歴史や文化が想定されるわけです。そしてこうした歴史や文化は科学や民主主義のように学んで身につけられるようなものではなく、学習不可能で交換不可能なものとしてあります。私たちが日本の歴史を持っているように中国にもありますし、ベトナムにもシリアにもあるわけです。どれだけグローバル化してもその国に残されるオリジナリティとして、歴史や文化があるわけですね。
そして世界がグローバル化することによって均一化されていく中、ひとつの国として守らなければならないものとして提出出来るものはこうした歴史や文化ということになってきます。これを抜きにすればどこでもマクドナルドとケンタッキーと、ショッピングモールにコンビニだけの風景になってしまうわけです。いわば歴史や文化というのはひとつの国における唯一のオリジナリティなわけですね。ですからそれを守れと保守が成り立つ、と、とりあえずここでは考えておきましょう。
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気になったら読んで欲しい本
本居宣長『玉勝間』
う〜ん、今回のお話はなにを載せればいいんでしょう…私自身もやもやしててすっきりしていないものですからこれという本が思いつきません。
この本は日本におけるナショナリズムの端緒となった本居宣長のものですが、私は読んでいません。ここでは日本の文化的価値観をもののあわれとして読みとり、それを邪魔するものを漢意(中国思想、つまり外国思想ですね)として排除せよ、というものだそうです。今の日本と似てる主張のように見えますが、漢意は中国だけでなく外国すべてを指すのでアメリカ化も排除の対象に入るかと思います。このあたりでも経済第一主義と歴史的伝統/文化の保守では合わない気がしますね。
ムーニー『ゴースト・ダンス』
ゴーストダンスについてはこの本に書いてあるかもしれません。私は読んでいません。
ワースレイ『千年王国と未開社会』
カーゴカルトについてはこの本でしょうか。こちらも読んでいません。このシリーズは文化人類学の名著が揃っているようですね。
ホブズボーム『ナショナリズムの歴史と現在』
う〜ん、ヨーロッパのナショナリズムについてはこの本なのかなぁ。これも読んでいません。読んでないものばっかりで申し訳ありませんが、だからよくわからずもやもやしたままなのでしょうね。
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お話その141(No.0141)