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まとめ47 フロイトによる群衆の分析と理解 ~自我の代わりの暗示をかける者としてのカリスマ
このまとめの要旨
群衆についてはル・ボンのあとにフロイトも考えたことがあるので、そのことについてお話ししてみたもののまとめ。
書いたものの一覧
群衆はル・ボンが最初に分析したけど、その後にフロイトも分析していて、今回からその話を少ししますよ、ーというようなお話。
フロイトによれば群衆の中に入っちゃうと自我が失われてしまって、群衆そのものが自分たちの代わりの自我を求めてしまうらしい、ーというようなお話。
でもそんな我を失う状態っていうのは我を作るっていう時期の心性とも似ていて、だから思春期っていうのは自分の理想となる誰かを求めるのかもしれないね、ーというようなお話。
また自我が確立されてなくって困っている人は、自分の自我の代わりに誰かカリスマを求めていて、それが群衆っていうことともつながってくるのかも、ーというようなお話。
でも現代においてもそんな明確な自我っていうのは作り上げにくくって、そんな自我の代替者を求めて代わりに与えてあげているのが現代の文化なのかもしれないね、ーというようなお話。