日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

宣伝/広告の政治的機能と消費社会における群衆 ~溢れた商品の宣伝による広告的イメージ化によって誘惑される群衆と、同じ方法による人間のイメージ化による政治利用

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前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/04/14/170029

 

宣伝/広告の政治的機能と消費社会 ~なんで私たちは群衆になってしまうのだろう…消費者となることで群衆となる。

前近代的群衆と近代的大衆と、現代

大衆が歴史的に現れてきたと仮定して、群衆はそれ以前の在り方に近いような気もしないではありません。しかしやはり現代においても群衆は現れており、それ相応の問題がありそうな気もします。それはなんでなんでしょう?

 

【ル・ボン『群衆心理』/オルテガ『大衆の反逆』】 

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農業から生産、そして消費の経済システムへ

大衆が現れるためには農業から生産に経済システムが変化し、都市に大勢の人が集められたからだと考えられました。しかし近代初期であれば生産中心の経済システムが機能していますが、大量生産を続けているとそのうち生産したものは余ってきます。それが続けばマルクスが予見したように資本主義の必然として恐慌が起こりますが、資本主義システムはそれを乗り越えようとあの手この手でやりすごそうとします。その方法のひとつが購買意欲を高めて必要以上に生産されてしまう商品を売ることにありました。それが消費中心の経済で、生産ではなく消費によって経済システムは回っていくことになるようです。

 

【ダグラス『儀礼としての消費』】 

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消費のための意味づけ=価値の生成

しかし消費経済は本来必要のないものを買ったり売ったりするので、考えてみるとヘンな経済システムです。だってお茶飲むのにコップがひとつあればいいのに、わざわざいくつも欲しがらせるんですからね。要を足すだけであれば百均のコップもバカラのコップも機能は同じです。しかしダイソーで買うのとバカラを持っているのは違うように人々に思われます。この意味づけこそ消費の原動力になるわけです。どっちも一緒じゃん、と思われては、誰も100倍も高いコップを買ってはくれないですからね(まぁ、ものがいい、という差もあるでしょうけども)。

  

 

つまり商品にイメージを結びつけて価値を生み出すわけですね。そしてそのような真似をすることが出来るのが、広告の効果です。広告、つまり商品を宣伝することによって、その商品は本来の機能とは別の、それだけであればいったいなんの価値があるのかわからない意味づけをなされて新しい価値を生み出すわけです。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/09/170029

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/10/170055

 

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政治における宣伝/広告 〜ヒトラーゲッベルス

そして宣伝、と言いましたが、前回載せたゲッベルスの本の邦訳タイトルを思い出してみますと、それは『宣伝の偉力』でした。すなわちナチスドイツによりヒトラー/ナチスの神話を形作っていったものは、まさに宣伝だったわけです。それは政治的に演出された宣伝であり意味づけだったわけですが、その技法は単に技法であり、非政治的な領域においても使用することは可能なわけです。

 

ゲッベルス『宣伝の偉力』】 

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いわばゲッベルスのやったことはヒトラーというカリスマを広告的に演出して売り出したわけです。ヒトラー自身もそれにかなうカリスマでもありました。そしてナチスが相手にしたのは賢明なるドイツ人というよりも、群衆としてのドイツ人だったのではないかと思います(どこかでヒトラーゲッベルスはル・ボンをよく読み研究していた、みたいなことを目にした覚えがあるけど…どこで読んだのかな)。

 

ヒトラー我が闘争』】 

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政治的広告の応用 〜小泉純一郎/安倍晋三世耕弘成

今世紀に入っても小泉純一郎は同じような広告的手法により政治を行なっていた、と大塚英志が分析していたことがありました。小泉ー安倍ラインの政治は世耕弘成が演出して国民を群衆化して権力を固めていく側面があるので、やり方としてはかなり危険な方法をとっているわけです。そのため彼らの政策いかんに関わらず批判されている側面もあるのでしょうね。いわば小泉純一郎安倍晋三ヒトラー世耕弘成ゲッベルスの役回りになっちゃうのです。そして日本は元々前近代的な側面が(特に内面形成において)克服されていない、と言われていますので、結構簡単に引っかかってしまうのかもしれません。多分政府はわかってやっていると思うのですが、それはつまり日本を近代国家から溢れ落としていくことになるので、多くの知識人が問題ありと述べてしまうわけですね(ヒトラーなんか昔の話、と済ませるわけにはいかないのかもしれませんね)。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/11/070051

 

大塚英志戦後民主主義リハビリテーション』】 

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商品の広告化 〜消費経済/社会の必要な前提

しかし政治の広告化は問題とすることは出来ますが、経済において商品の広告化はそんなこと言えません。なぜなら消費者が本当に必要なものしか買わなければ経済システムはうまく回っていかないからです。いわば回転の速度が落ちるわけで、高速回転させて国中(つまり国家という大規模な経済単位)の経済を活発化させていくためには、なにがなんでもいろんなものを買ってもらわなければいけないことになります。そのためには消費経済にとって広告、すなわち商品への誘惑を仕掛けなくてはいけません。これを抜かしては消費経済は立ち行かないわけです。

 

ボードリヤール『誘惑の戦略』】 

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(消費社会論の代表的思想家であるボードリヤール後期の作品タイトルですが、そのものずばりな気がしてきます)

 

消費社会の中で、消費者として群衆化していく私たち

そして消費経済のための広告=宣伝は、ゲッベルスが行ったことを人(=ヒトラー)ではなく物(=商品)に行わなければなりません。

 

結果消費経済、それどころか消費社会における私たちは、常に広告/宣伝によって誘惑され、その影響力に感染され催眠状態に陥るように仕掛けられた環境で生きていることになるのです。

 

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つまり消費者として存在することにより、群衆として存在規定されていくことになっていく、とも考えられていくのでした。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/04/24/170037

 

 

 

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お話その192(No.0192)