日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

能力と質の担保とフォロー体制:ネット世界の事務所や編集者の可能性と必要性 ~ネットという開拓地の将来の飽和状態と競争から起こりえる質の担保とトラブルからの自衛

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前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/03/17/200014

 

質の担保とフォローの必要性 〜ネット世界の事務所や編集者の可能性と必要性

ともかく新しい世界が旧い世界と融合されていくとしても、それは大分後の話、多分最後になって起こることのような気がします。ネットはまだ当分そのような局面にいたるようには思えませんね。今はまだ新しい世界に大挙して人がやってきている状況かもしれません。

 

送り手と受け手のバランス 〜空白の余地と飽和状態

とはいえまだ素人の時代であったとしても、それが表現の一環であることは変わらないかと思います。そしてまだまだ空白の余地が残されているといっても、受け手側の数まで参入者と同じように増えるわけでもありません。となると同じ数の受け手に対して送り手の方が多く増えるとしたら、ネット自体の空白の余地は多くとも、その前に飽和状態に陥ってしまうこともあるわけですね。人が多すぎて誰も振り向いてくれなくなってしまうわけです(なんだか書いてて悲しくなってきました)。

 

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質の担保と飽和状態 〜競争の発生

しかしそれでもやはり人より多く見られる方はいるわけで、それは一応その人は見られるに足る表現をしている、と考えてみることも出来ます(炎上商法なんてのもありますから一概に言えないのかもしれませんけども)。いわば質の担保がなされているわけで、言い換えると素人から玄人へと変わっていっているわけですね。

 

吉本隆明『情況としての画像』】 

 

そしてそのうちどんどんこうした質の担保された、実力のある玄人へと空白の中に占める人が増えてくるとも考えられます。するといつのまにか実力者同士による飽和状態にたどり着くかもしれません。となると他の世界でもどこでも起こってくる競争が始まってしまうのでしょうね。

 

質の担保とそのフォロー 〜事務所や編集者

そうした時、素人として個人のまま質の担保を続けていくことは難しいかもしれません。TVでも出版でも、ただ個人のタレントや作家が表現しているわけではなくTV局や制作会社に事務所、または出版社に編集者がいて質の担保がなされているわけですね。最近は出版不況ということもありまして(何十年言われてるんでしょうね)出される本の内容のチェックが行き届かない様子で、その間違いが話題になっているのを時々目にします。

 

松岡正剛『知の編集工学』『知の編集術』】 

(80〜90年代に出版界を牽引された松岡正剛の、編集っていうものがどのように大切で使えるか、という考えを書いた本。今回のお話とは直接関係なくむしろ知的生産の技術みたいな内容だったような気がするのですが、ふと思い出してしまいましたので載せてみました)

 

しかしネットであればこんなこと頻繁に起こってきますね。少し前にあるYouTuberの方が大きな事故現場を心霊スポットと紹介して正式に抗議されていたのを読んだ覚えもあります。TVや出版であれば一応こうした点はチェックされるような気がしますし、それも専門の部署を置いてあるとしたら(よく知らない)、個人のYouTuberではとてもカバーしきれない規模を助けてくれていると考えられます。

 

自衛の必要性 〜世間と異なる反社会勢力の存在

もしYouTuberが個人のまま行っていくとしても、ネットやYouTubeが大きなメディアとなっていくに従って神経を逆撫するような内容に世間は黙認したままではすまさなくなるかもしれません(それとももうなってるのかな?)。そうなればやはりYouTubeであってもチェック機関は必要となってきます。そういえば紳助が辞めるきっかけとなった反社会勢力との交際も、もとは番組中の発言に右翼が怒って連日街宣車を出し、誰も止めれなかったのにその反社会勢力の方が助けてくれたおかげで止んだ、というのがきっかけでした(当時の週刊誌に載っていた)。YouTuberも単に世間に目くじらをたてさせるだけならまだよくても、こんなトラブルに巻き込まれたらとんでもないことになります。ですから影響力が増せば自衛のためにも必要となってくるかもしれません。

 

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(こんな可愛らしい抗議ならなにも気にしなくていいでしょうけどね)

 

フォロー体制の在り方 〜日本式とアメリカ式(集団か個人か)

またYouTuber自体がタレント化していくことによって、YouTuberタレント専門の芸能事務所が完全に成立するかもしれません(声優の世界もいわゆる芸能界とは一応別個に成立してるはずですしね。将来はどうなるかわかりませんけれど…)。そしてYouTuberもそうした芸能事務所に所属しないとまともに質の担保されて作品を作れなくなっていくとしたら、こちらの面でも個人のままでは続けていきにくくなるのかもしれません。

 

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ただこの場合、芸能事務所みたいなものも日本式とアメリカ式が考えられます。日本式は事務所がタレントを抱え込んでいくもので、事務所がタレントを育ててスターにし、売り上げていきます。アメリカ式は個人が勝手に自律し、自らでスタッフを雇ったりして自分を売り上げていきます(と、デーブ・スペクターがどこかで言っていた気がする)。日本の風土にあっていたのは日本式のやり方なのかもしれませんが、代わりに組織に逆らえない側面があります(日本だけでなく韓国でもすごい話聞きますから、正確には日本式というよりアジア式なのかもしれませんね。しかしなによ、性接待って)。アメリカ式のためには強固な個人主義が必要ですが、日本でどれだけそんな人がいるのかはわかりません(とはいえネットによってそうして人が適した環境に変わってきており、うまく適合する可能性だってあります)。

 

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これはどちらがいいかはわかりませんが、多分ネットの持つ自由さを考えると個人主義的なフォロー体制の方が相性がよく、内容のチェックやタレント化したYouTuberの保障などをする専門職が生まれてくる(もしかしてもうある?)かもしれません。けどやはり日本的風土に飲み込まれて、結局新しい芸能界や文壇みたいなものがネットに現れるのかもしれません。

 

吉本隆明『マチウ書試論・転向論』】 

 

どっちにしろ質の担保を求めると、なにかYouTuberや他のネット職をフォローするものが必要になってきて、それは結局既存の世界と最終的には似たものになってくるのかもしれない、というお話でした(なんだか最近似た話ばかりだなぁ)。

 

余談:コロナウイルスによって劇場を追われた芸人と、ネット/YouTubeに大挙して訪れる玄人たち

…ところで、コロナウイルスの影響で最近は様々な劇場施設の自粛が続いております。そのため普段劇場に出ていた芸人さんたちも仕事の場を失い、YouTubeによって表現の場を求めている様子です(ラジオで耳にした)。ここししばらく書いていたTVとYouTubeの関係で言えば、劇場によって腕を磨いていた芸人たちがTVを目指していたものが、コロナウイルスという不意の出来事により劇場自体が閉鎖情況にあり大挙してネット/YouTubeへとなだれ込んでいると捉えることも出来ます。今まではTVこそが花形で、ネットはまだ落ち目の芸人の行く場と思われていた(かもしれない)のが、そんな価値観と関係なくネット/YouTubeへと向かわせる状況になってしまいました。

 

ネット/YouTubeはまだ誰もいない空白の世界として素人が大挙して訪れて場を占める余地がありましたが、コロナウイルスというまったく無関係であるはずの出来事によって、玄人が大挙して訪れそうな状況です。こうなるとネット/YouTubeの素人の時代は、もうあまり長くないのかもしれませんね。これからどうなっていくのかはわかりませんが、コロナウイルスという病気がきっかけとなって表現の場まで変わるとしたら、なにが影響するのかまったくはかれない気もしてきます。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/03/24/210036

 

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お話その184(No.0184)