新しい小さな自由=無秩序な世界と、旧い大きな既成秩序の世界 〜新しい世界から旧い世界の世代交代ってことでしょうか。でもまた新たな世界がせまる…
新しい世界と自由と実力
新しい世界が開けるということは、そこでまったく先行世代のことを考えずに自由にやることが出来る、というようなお話を書いてみました。しかし同時に相当の実力を他の世界で養っていないと新しい世界で自由に判断して決定し行動していくのは難しいかもしれない、とも考えてみました。
前回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/2020/03/13/200007
自由と無秩序
しかしそんなことは関係なく、誰でも入っていけるのが新しい世界のいいところ。やはり実力なんかが問題になるのは相当後の話であって、まずは大挙して素人が駆けつけるのが新世界の在り方かもしれません。事実TVに比べるとネットの参加人数はケタ違いでしょうが、そりゃTVと違って自由に入っていけるのですから増えるのは当たり前かもしれませんね(TV出るための下積みの人と比べてもネットの方が多いのかな。どうなんだろう)。
そのため実力者によってその世界が占められるまでの間、ある意味ではなんでもありの無秩序の世界が現れてくるのかもしれません。それは自由と裏腹の現象なのかもしれませんが、このあたりの問題はもしかすると永遠の課題になるのかもしれませんね。ここでは簡単にTVとネットの話題と関わりありそうな点だけ取り上げてみたいと思います。
問わぬ参入者と、模索する無茶
TVがいっとき街のあんちゃんが出る素人の時代があったとしても、その人たちは数十年の時をへて本物になり大御所となりました。つまり玄人としての実力者になったわけですね。しかしそれまではきっと色々模索されたこともあるのでしょう。その中で受け入れられるものと受け入れられないものが峻別されていったのだと思います。おそらくそうした人の中には本当に素人のままの人だっていたのかもしれません。そうした人たちは実力者として大御所になるまで残らなかったのかもしれませんが、しかし当初はそうした新しい世界に参入していたのだと思います。
そして実力がまだ伴わない間に、模索して無茶苦茶なことをすることもあるかもしれません。しかもその数が膨大であればその無茶も破茶滅茶なものになったっておかしくないかもしれませんね。それは自由でもあるから起こるのですが、かといって自由に任せていると土台から崩れていく可能性だってあります。
小さな無秩序な世界と、大きな秩序ある世界
とはいえ新しい世界は新しいがゆえに規模はまだまだ小さいものとも考えられます。ある意味ではどうでも良いものとして歯牙にも掛けられていない、そうした状況で無茶苦茶なものが現れてもさほど問題はないのかもしれません。その小さな世界では大問題でも、そうではない他の世界の方が圧倒的に多いからです(だから家庭や教室内の問題は見過ごされてしまうのかもしれないけど…)。
しかしそうした自由だけど無秩序な新しい世界も、そのうち洗練されていきます。するとそれまでは世界の一部として見られていなかったのが、急に大きな既に存在している世界を脅かすような存在として受け止められる可能性もあります。その時新しい小さな世界の自由=無秩序なものと、既にある大きな世界で洗練され、制御されたものとがぶつかってしまう気もします。この時新しい世界が旧い世界を突破するだけの力があれば自分たちのやり方を正統なものとして認めさせることが出来るかもしれませんが、旧い世界は旧い世界で高度に洗練された秩序を保っていますからそれを塗り替えるのは大変です。多分余程の好条件が揃っていないと不可能なのだと思います。
新しい小さな世界が、広がっていくうちに大きな世界と融合し一部と化す
となるとせっかくの新しい世界の自由も、自分たちの世界が広がっていくことによって、元々存在している旧い大きな世界へとすり合わせ融合していくしかないのかもしれません。そうして自分たちのやり方を正統なものへとするために窺っている間に新しいものは既成のものへと変わり、正統とみなされるようになると今度は別の新しい小さな世界から、我こそが新たな正統である、と挑戦される立場へと変わっていっているのかもしれません。こうして世代交代していくのかもしれませんが、新しい世界であったものが大きな世界と融合することで旧い世界へとなり、また他のところで新しい世界が作られていく…となると、もしかしたら今日のネット状況というものも人類の行ってきた営みを繰り返しているだけなのかもしれませんね。
【山口昌男『道化の民俗学』『文化と両義性』】
(文化人類学の山口昌男の主著なのですが、中心と周縁という考え方をしていて、中心となる文化は中心であるゆえに支配的で静的であり、停滞を余儀なくされる。しかし中心から外れた、見捨てられた周縁の存在は自由であり、そうした周縁的存在が中心の文化に入りかき回すことによって中心の文化も活性化する。そして中心の文化をかき回す周縁的存在のことをトリックスターと呼び、非常に重要な存在として評価しています。なんとなく関係ありそうな気がしたので載せてみました)
【ラディン,ケレーニイ,ユング『トリックスター』】
(こちらはトリックスターについて書かれた本。トリックスターとは神話に出てくる悪戯小僧みたいな役割の神様のことです。天界を暴れ回る孫悟空みたいなやつです。北欧神話のロキなんかもそうで、エッダの中には神々の悪口を言いまくるロキの口論なんてのもあります。ただこの本は私は未読。すごい大物が集まって書いてますね)
【エッダ】
(ロキの口論はこの中に入っています。北欧神話は基本的にこの一冊しか現存していませんので、これだけ読めば一応全体像を捉えることが出来るので大変便利です。トリックスター像を捉えるのにロキは最適かもしれませんね)
やっぱり久しぶりに書くと何言ってんだかわからないような内容になってしまいました。とほほ…
次回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/2020/03/20/210042
お話その183(No.0183)