日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

自分のことだけ考える当たり前とそれぞれの宗教と様々な価値観 ~自分たちの規則/価値観を基礎づけるための民族宗教

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それぞれの宗教とそれぞれの価値観 〜でも自分たちの価値観は自分たちのものだし、自分たちの中でしか伝えられないし

自分たちのものとしての規則

こうして世界宗教が民族宗教を乗り越えたものとして、普遍性を持って歴史に登場してきました。しかし、民族宗教が宗教として自分たちのために存在すること、これは別におかしなことではないようです。むしろそれが普通なのです。自分たちのことだけを考えて秩序や倫理が存在するのであり、大抵は余所者のことなど考えないのです。

 

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ユダヤ教を民族宗教の例として出してしまったので悪く書いてしまった気がしますが、しかしこうしてユダヤ教を対象化して書けてしまうのも、私が自らの内にユダヤ人を含めていない、つまり余所者のままにしか捉えていないがゆえにこんな書き方が出来てしまうのです。問題を指摘していながら、その当人が渦中にはまり込んでいるいい例ですね。ユダヤ教徒の方には申し訳ありません。

 

それはともかく、民族宗教的な秩序や倫理が自分たちの内部において守られるものであるというのはある種当たり前のことです。家族のルールは家族で守るもので、よその家にまで守らせようとは普通しません。よく言う親の小言に、うちはうち、よそはよそ、というものがありますが、これこそ身内ルールの及ぶ境界線を明確に語っています。よそはよそのルールがあるのです。が、それを知らなければよそは治外法権で無法地帯となります。

 

自分たちのための規則=余所者とは違う規則

ユダヤ教がユダヤ人のためにある宗教であるのは当然のことですが、それは同時にユダヤ人以外とはルールが違うことを意味します。特にユダヤ人はよそから見て変わった儀礼や規則を持っているがために忌避された、とも読んだ覚えがあります(どこでかは忘れました)。それはユダヤ人とそれ以外の人が他者として存在しながら、同じ町で暮らしていることになります。そうなると価値観がぶつかるのは自然の流れとなる気もしますね。そしてユダヤ人はウェーバーによれば賎民ですから、差別されるのはユダヤ人になってしまいます。ユダヤ人はユダヤ人の宗教でまとまれますが、その町は他の宗教ともごちゃまぜでどうやってまとまればいいのでしょうか。これは大きな問題です。そのためには宗教とは別のまとまり方が必要で国民というものもそのひとつかと思いますが、しかしそれが新たな争いの種になるのは最近のニュースを見ているだけでも思わざるをえません。

 

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ここで問題となっているのは宗教そのものの問題ではないかもしれません。そうではなく、宗教が持つ認識の共有が問題となるのかもしれません。

 

自分たちの規則を基礎づけるものとしての民族宗教

宗教がなにかは、大問題なので私には問うことは出来ません。しかし宗教の持っている要素を適当につまみあげることぐらいは出来るかもしれません。そうしてつまみあげてみますと宗教には倫理や価値観があります。多神教の民族宗教であれば、理想像や法を擬人化した神様もいます。ギリシア神話ではたしかアポロンは青年の理想像です。女性はヴィーナスやヘラですね(イケイケなねーちゃんと嫁ハンみたいな区別だそうです)。法や掟はテミスです。また宗教の価値観も違います。ユダヤ教は唯一神を祀りますから偶像崇拝は禁止です。しかしギリシア神話は彫刻が沢山あるようにそんな禁止はありません。また北欧神話はヴァイキングの宗教でもあるためか、敵への攻撃や復讐は悪いことではないようです。『エッダ』に書いてある人間の営みは、ほとんど復讐ばかりです。

 

つまり、宗教が形作る価値観や倫理は、その宗教の内部において正しいのであって、他の宗教と並ぶとかち合ってしまいます。そしてどちらの価値観が正しいか、という問題が起こります。世界宗教が克服したかったのはこうした宗教的対立(価値観上の対立)もあったのかもしれません。少なくともひとつの町に多くの宗教を持つ者がいれば対立も生じてくる可能性は大いにあるかと思います。それを俺とお前、という対立から、皆一緒の人間、という価値観に転換させたわけですね。

 

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しかし民族宗教は民族宗教で、自分たちの価値観を形作ってきたことは変わらないはずです。いきなり別の価値観に染まれ、なんて真似無理です。ギャルが明日からオタクになって、オタクが明日からヤンキーになり、次の日はインテリになれと言われてもフリができるのが精々でしょう。そして世界宗教が普遍性を持っているとして、それを伝えていくためには民族宗教と同じように自分たちの範囲の中でしか伝えることは出来ないのではないでしょうか。それを越えて伝えようとすると伝道であるつもりが侵略になってしまいかねません。となると、やはりある種の境界線の中で価値観の共有がされているような気がします。

 

なんだか書いていて自分でもわからなくなってきました。長くなりましたし、ちょっと切り上げて次回へと仕切り直しにしたいと思います。

 

気になったら読んで欲しい本

【呉茂一『ギリシア神話』】 

前も載せましたが、ギリシア神話のとっても丁寧な解説書。読んで面白い。いろんな宗教や神話があるなぁ、と思って読んでみるといいんじゃないでしょうか。

 

【エッダ】 

で、こちらは北欧神話。これもとても面白いです。ただこうした神話はばらばらになっているもののうち残っているものだけを集めていますので、読むとよくわからないところがたくさんあります。とりあえず今回はいろんな民族宗教があるんだな、と思ってもらえればいいので、とりあえず載せておきますね。

【聖書】 

でまあ、どれ選べばいいのかわからないのでまた1番最初に出てきた聖書。旧約聖書にあたるものがユダヤ教の聖典です。他の民族宗教と比べてみるのもいいですし、新約聖書と比べてみるのもいいかもしれませんね。でも旧約と新約を比べてみてもどこが普遍性に転換したのか意味不明になるかもしれません。ただイエスの有名な言葉に、汝の敵を愛せ、や、すべての人を隣人のごとく扱え、とか、右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ、という価値観は、やはり世界宗教的なような気がします。イエス大先生も随分好戦的に読めるのですが、『エッダ』の好戦的と比べてみるのも面白いかもしれませんね。

 

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 お話その86(No.0086)