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慢心しきったおぼっちゃんとしての大衆と、地方のお殿様としての政治家 〜世襲と慢心
もし大衆というものが慢心しきったおぼっちゃんであり、努力より怠惰を選び、しかし当然の権利として自分の分前を主張して世の中は変わらず維持される(なんか並べて書くとますます嫌になりますね)と考えているのだとしたら、あまり重要な決定をするところにいないで欲しい気もしますが、実際どうなのかはそれぞれの現場にいる人によって判断された方がいいのかもしれません。
ただちょっとここで脱線してみて、違う人の言ってることと付き合わせて考えてもみましょうか。
お殿様としての現代政治家 〜柄谷行人の意見
柄谷行人が戦後政治についてインタビューを受けた本があるのですが、そこで面白いことを話していました。それは日本の政治家って選挙によって民主主義で選ばれてるように見えるけど、みな二世、三世、下手をすれば四世、五世なんかであって、世襲で政治家になってる。これは民主主義的というよりも封建的な状態と似ていて、いわば今の政治家はかつての藩のお殿様みたいなもんで、地元のお殿様が東京来て日本の政治をしているようなものだ、といったことを指摘されていました。
言われてみればその通りで、政治家は選挙区で選ばれますから地元の支持者を固めていれば対立候補がいても選挙で勝てるわけですね。そして政治力を持って地元へと還元することによって支持者へと利益を与え、現役が引退しても後継者に子供を選ぶことによって支持母体と利益還元の関係性を壊すことなく続けられますし(多分)、それが有力政治家ともなって続けられれば地元では名家になり生まれながらのサラブレッド=お殿様みたいなものになるかもしれません。
おぼっちゃんとお殿様と政治 〜慢心はあるかないか
とりあえず柄谷行人の言うことをなるほどと聞くとして、その上でオルテガのいう慢心しきったおぼっちゃんという大衆の特徴とアナロジーで結びつけて考えてみましょう。すると日本の政治は世襲によって行われるお殿様(=おぼっちゃん)の営みに見えてくるような気もしてきます。
しかしおぼっちゃんであっても慢心していなければいいわけです。オルテガが言うように自らに多くを要求し義務を課すような人物であれば別におぼっちゃんであっても大衆ではなく貴族/エリート(オルテガのいう選ばれた少数者)に当たるかもしれません(渡邉恒雄は中曽根康弘と初めて会った時、いきなりカントの勉強会をしようと誘われたそうですけど)。また逆にそうしたおぼっちゃん性(二世、三世であること)を批判しながら、それだけでなにも学ばず政治家の席を奪いにくる人がいたとすれば、その人はおぼっちゃんという大衆性を批判しながらも、自らは多くを課さない大衆のままである可能性もあります。これは大衆が大衆を批判(というか、自分の利益のための攻撃?)して、場を奪い合ってるだけなのかもしれません。
まぁオルテガも100年前のヨーロッパでこんなことを書いていたので、なにも日本だけが政治的に悪いんじゃなくて近代国家が成熟していくと世界中どこでも起こってくることなのかもしれませんが、本来みんなで自分たちのことを決めるはずの民主主義が、なんだか近代以前の政治の仕方に似てくるというのは不思議な気がしますね。
…脱線の話まで陰気になってしまいました。
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気になったら読んで欲しい本
柄谷行人『政治と思想』
柄谷行人が話していたインタビューはこれだったと思います。比較的短くて、インタビューなので読みやすい本です。たしかちくま学芸文庫でも再編集された形で出てたような気もするのですが、私が読んだのはこちらなので平凡社ライブラリーを載せておきます。たしか部分部分を読んで、結局全部読んだんじゃなかったかな。
ミヘルス『政党政治の社会学』
どんな政治制度でも最終的には寡頭制政治になる、と書いてあるので載せておきます。なにか政治についての解説書に載っていたので、ふと今回のお話を書いていて思い出したので載せてしまいました。他の出版社からも出ているようですが、私が持ってるのはこれなのでダイヤモンド社のものにしておきます。どうもこのダイヤモンド社から出ている、清水幾太郎という有名な社会学者が編集した現代思想というシリーズは、よそでは中々出さない渋い古典が入っているようです。
パレート『エリートの周流』
またパレートという人は政治体制において少数者の支配であるエリートは避けられないものの、そのエリートを固定された階級から供給するのではなく広く階級を問わない形で供給することによってその社会は長続きする、というようなことを指摘していました。どうもパレートは読んでもすっと頭に入らないのですが、こうした指摘は今の世の中を考えていくためにも必要なものかもしれませんね。
オルテガ『大衆の反逆』
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お話その164(No.0164)