資本主義の生産と環境問題 〜解決策は…難しそうですね
現代資本主義状況とマルクスの非難
マルクスの資本主義批判は、基本的に資本主義というものは労働者を搾取するためのシステムだ、ということになるのかもしれませんが、案外今も変わってないのかもしれませんね。儲けが労働と賃金の差にあるとしたら、この差を大きくすればいいわけです。正社員から非正規に変わったのは人件費を安くあげるためですから、マルクスの非難そのものですね。なんといいますか、社会主義が頓挫したというのに、その開祖の批判がそのまま当てはまるのもちょっと困ってしまう気もしますね。
そう思っていますと、以前佐藤優が面白いことを書いていました(たしか週刊新潮の連載だったような気が)。なんでもソ連の崩壊と共に西側諸国(資本主義の国)は自国の共産主義化の心配がなくなった。そのため今まで共産主義化しないように社会福祉政策をとって資本主義国も悪くない、と見せる必要があったが、最早共産主義化の心配がなくなってしまったのでそんな必要もなくなった。だから重石がなくなり元々の資本主義の姿が露わになってきた、と言うのです。あぁ、なるほど、と思わないでもありません。でもそんなことしてたら新たなマルクス(もしくはレーニンや毛沢東、果てはスターリン)が出てくるんじゃ…
資本主義の他の問題点
それはともかく、マルクスが考えた資本主義の問題点は他にもあり、現代でも同じように問題なままのものがあります。
生産のために必要となる物資
資本主義というのは商品を生産しなければならないのですが、当たり前の話ですが物を作ろうとすれば材料がいります。材料といってもこれも物ですが、どこからか勝手に降って湧いてくれるわけではありません。物は物質ですから、自然世界のどこからか取ってきて材料にしなければなりません。
そして資本主義の運動は生産を止めることはありません。商品の生産を止めることは、その経営体が資本主義の場から撤退することを意味します。閉店したり倒産したりするわけですが、1つのお店が潰れてもまた別のお店が同じことをします。店の数や種類とは別に生産の運動は変わらないわけです。
使い続けられる物資
となると、ずっとどこかが生産し続けるということであり、ずっと材料を使い続けることになります。しかし材料となる物は自然世界に存在する物質です。紙を生産するためには木を倒さなければなりませんし、布を生産するためには綿や麻を育てなければなりません。それも小さな規模ならいいのですが、ウォーラーステインが述べたように資本主義は世界規模で運動します。森林は大量に伐採されますし、綿や麻のために過剰に開拓されるかもしれません(よく知らないのでこんな例になってしまいましたが、もしかしたら実態は違うかもしれません。ただの例とだけ思って読んでください)。
しかしこうした材料を取ってこれる自然世界も地球という範囲でしか不可能です。どうあっても地球以上に増やすわけにはいきません。限界があるのです。しかしいくら限界があっても資本主義の運動は生産をし続けます。どんどんどんどん生産をします。材料の限界など資本主義の運動は配慮しないのです。
資本主義の運動の結果としての環境破壊
そのため資本主義の運動の結果、必ず環境破壊が起こるということになるようです。ですがこれを制御するためには資本主義の自律に任せるわけにはいかないらしく、政治的に自制するしかないらしいのですが、残念ながらまったく無力のようです。京都議定書なんかありましたね。でも後進国はそんなこと言ってられないくらい貧しく、まず自力で資本主義経済を形成しなくちゃいけないですし、先進国もそんなこと言ってたら経済が落ち込むのでアメリカなんて逃げました。結局理性を尊ぶヨーロッパだけが残っているのかもしれませんが、ヨーロッパ自体が斜陽にあります。この問題はマルクスの時代に既に予見され、マルクス主義国家も多数誕生したにも関わらず、出口なしのような気がします。どうしたらいいんでしょう。
こうして環境問題は資本主義の問題としてマルクスによって俎上にあげられたのですが、今以て変わらず問題のままです。でも環境問題を共産主義だ、って非難しませんから、やっぱりどうあっても問題であることは意識し共有されているのかもしれませんね。
気になったら読んで欲しい本
【マルクス『資本論』】
マルクスが環境問題を扱ったのはどこでだったか、ちょっと『資本論』が長すぎて覚えていません。原著2巻か3巻だったと思うので、岩波文庫版では4〜9巻のどれかです。…って、ほとんどやないかいっ! 仕方ないのでセットで載せてるのあったのでそれ載せておきます。
【玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』】
私は読んでいないのですが、日本において環境問題について傾注した経済学者の本としてどこかで載っていたのでここでも載せておきます。なんか昔の版はやたら安くAmazonにあるので同じ本ですが2つ載せておくことにしました。
【長谷川宏『新しいヘーゲル』】
ところで環境問題について哲学的な観点から面白いことがこの本に書いてありました。ヘーゲルの自然観には神によって人間に与えられたものである、というものがあるらしく、動物は人間が食べるために用意されており、自然も人間が暮らしやすくするために存在している、という考えが暗に含まれているというのです(多分。だいぶん前に読んだんで忘れちゃった)。そのため自然は人間が使ってもよく、あとは神の手によってちゃんと回復するものとして捉えられている、といったことが書いてあったかと思います。そのためいくらでも自然は使い潰すのです。
ヘーゲルはマルクスが先生にした人ですから、あからさまな資本主義以前の人といっていいかと思いますが、その時代であれば町の周りの自然に対してそうしたことが言えたかと思います。しかしその考え方の前提が残されたままで地球規模になってしまったら、とんでもない環境破壊がおこった、ということかもしれませんね。
次の日の内容
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/07/170030
前の日の内容
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/03/193001
お話その112(No.0112)