前回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/300/2021.02.10
マルクスの唯物史観によって転換された、生活を基礎とした歴史観
マルクスと唯物史観
マルクスの歴史観(もしくは歴史哲学)というと唯物史観というもので、よく知られた名前なので見たり聞いたりしたことのある人は多いかもしれません。なんだか見ただけではどんな歴史観なのかわかりませんね。でも、唯物史観、なんて言われるとなんだか凄そうで、ちょっと身を引いてしまいそうになります。
【マルクス『ドイツ・イデオロギー』】
(たしか唯物史観はこの本の中で誕生したと解説に書いてあったような気がするので載せてみました。こちらの訳はマルクスの手稿をそのまま復元する形で載せており、原意を探りやすいかもしれませんが読みにくいです)
しかしマルクスの本を読んでみると、唯物史観の考え方は結構簡単なものです。いえ、むしろ単純といってもいいのかもしれません。それは、歴史歴史といっても、坊主(宗教・思想)や貴族(政治・権力)によって作られてきたものである以上に、食って生きていくこと(生活)を前提としなくては成り立たない、というものです。
理念や観念より生活の歴史
なんだ、当たり前じゃないか、と思えますね。でもこの考え方の前提にはヘーゲルの歴史観があります。ドイツ観念論の完成者たるヘーゲルの歴史哲学は理念の闘争とみなされました。つまり思想同士の戦いなわけですね。歴史も観念論なわけです。しかしマルクスはそんなわけあるか、と逆転させました。思想だのなんだのと言う前に、まず生きていくために食っていかなくてはいけないのだ、その食べるということ、つまり食物を生産するということを抜きに歴史なんてあるわけなく、この食べるということを保証する生産というものを基礎にした歴史というものの方こそより大切である。とまぁ、こんな感じです(多分そんなに間違ってないんじゃないかなぁ)。
【ヘーゲル『歴史哲学講義』】
(ヘーゲルの歴史哲学はこちら。マルクスと比べてみるのがきっといいのだと思います)
歴史の基礎としての生産様式
そんなわけでマルクスは生産様式というものを歴史の基礎として据えて、政治とか文化もこの生産様式、つまり経済によって都合の良いものが作られていて動いている、と考えました。こういうのを上部構造ー下部構造論なんて言ったりします。要は経済っていうものの上に政治や文化も乗っかってるっていうわけですね。
これは今でも変わらない見方として行き渡っているでしょう。自民党がなにかを決めた時も、大抵悪口として言われることは利権か経団連の意見を呑んだ、なんて形をとります。多分マルクスや共産主義や左翼が嫌いな人でもこの見方をして社会的な事柄に対して批判している人は多いかと思います。概念の起源が忘れられて、使い勝手のいいものが流通しているというところかもしれません。
世界の動き方についての認識の変化
ま、それはともかく、マルクスの唯物史観というものは思想や政治ではなく経済によって世界は動いてるんだ、という点で今日でもなにも変わらない認識を持っているかと思います。多分歴史の見方としても信長や家康といった戦国ヒーロー史観で見るよりも農家の米と流通で見る方が、その時代の社会を理解するという点では正しいでしょう。
もしかしたら社会史というものはこうした唯物史観を踏まえて出てきた新しい歴史観なのかもしれませんね。
お話その301(No.0301)