前回のお話
キリスト教とローマ時代の哲学の存在を賭けた緊張関係 ~キリスト教が自らを確立するために行った思想闘争 - 日々是〆〆吟味
ローマとストア派とキリスト教
キリスト教とストア派
ローマ時代のキリスト教徒にとって直接に戦わなければならなかった思想的相手は、特にストア派と呼ばれる人たちだったようです。
ストア派とローマの上層社会
ストア派というのはローマの上層社会において特に支持されていた哲学の流派らしく、ギリシア哲学の後継者としての側面もあったそうです。しかしストア派だけがギリシア哲学を受け継いでいたわけではなく様々な哲学流派があったようでもあります。それはギリシア時代の哲学でもそうなのですが、ギリシア哲学が基本的にプラトンとアリストテレスと両巨頭が定まった後にまたローマ時代の哲学では色々と考えがあったようですね。
【マルクス・アウレーリウス『自省録』,エピクテトス『人生談義』】
(ストア派の代表的なものなのですがローマの上層社会の哲学らしく、マルクス・アウレーリウスはローマ皇帝でありました。プラトンの夢想した哲学王はここで一度だけ達成されたとも言われたりしています。またエピクトテスは真逆で奴隷でした。ですからストア派がローマ時代の哲学として主に上層社会のものだったとしても、それだけではない広がりがあったようでもありますね)
ストア派と厳格主義
ストア派はその名がストイックの語源になったほどに厳格的な哲学でした。なんといいますか、キリスト教とは違うのですが、一種宗教的な態度を求めているようにも感じられます。しかしそれはストア派だけの特徴というわけではなく、この時代の主流哲学全般の特徴だとも言われます。
【アームストロング『古代哲学史』】
(このようなお話はここで読んだような覚えがあります。なんと書いてあったかは忘れましたが、ローマ社会の腐敗や異民族の流入などから起こる社会不安に対しいかに自己を救うかということが大きな課題であったようなことだったかと思います。当時の各哲学流派はその問題にそれぞれの観点から答えようとしたのでしょうね)
ストア派とキリスト教
しかしそう言われるとキリスト教とも親和性があってよさそうな気もしてきますね。ですがギリシア哲学の後継者としての側面を持つストア派と、ユダヤ教から生まれながらも断絶して新しい宗教として現れたキリスト教とはその根本的なところで結びつきようのない対立があったのかもしれません。ストア派からすれば自分たちの伝統あるギリシア的態度とまったく違う新興宗教程度にしか見えなかったのかもしれませんし、キリスト教から見れば同じように立派なことを述べていても腐敗したローマ社会の一部にしか見えなかったのかもしれません。
しかしお互いに相手の個々の人物の立派な様子は尊敬してもいたようです。腐敗した世の中において自らの誠実さを通すような生き方をすることには哲学も宗教も問わない面もあるのかもしれません。ですがそれでもお互いが歩み寄って仲良くすることは出来なかったのかと思うと、現代日本人の観点からするとちょっと残念な気もします。しかしもしそうなっていればキリスト教はなくなっていたかもしれませんし、ストア派がいかに高潔であろうとも支配者層の哲学である限りは余所者には手を差し伸べなかったでしょうし、本当に社会からあぶれた人たちへと直接に助けるために動いたのはキリスト教の人たちだったそうですから、理想や思想とは別に行動の面でも違うところがあったのかもしれませんね。
なんだか難しい関係です。
次回のお話
エピクロスの哲学と原子論の考え方とキリスト教における自然観の対立 - 日々是〆〆吟味
お話その265(No.0265)