前回のお話
ストア派とキリスト教のローマ社会における立場と相違 - 日々是〆〆吟味
エピクロスの哲学と原子論とキリスト教
ローマ時代の哲学としてストア派が存在していましたが、なにもストア派だけがローマ時代に存在していたわけではありません。ストア派が一番大きな主流であっただけであり、他の哲学というものもありました。
ローマ時代の3つの哲学
ローマ時代を代表する哲学は3つあったそうです。そのひとつめが今述べたストア派で、ふたつめがエピクロス学派、みっつめが懐疑派というものです。
【ロング『ヘレニズム哲学』】
(そのものずばりな本があるんですが、残念ながら私は読んでいません。面白そうなんですが、ちょっと高額です。専門書ですから仕方ありませんね…)
これがお互いに相手を牽制し合いながら自分たちの哲学というものを述べていたようです。キリスト教はこの中に揉まれながら自分たちの立場を確立しようとしたのですね。
エピクロスの哲学
ストア派はゼノンとい人が始めたのですが、エピクロス学派は名前のとおりエピクロスという人の哲学です。そしてエピクロス学派は他の学派とちょっと変わっており、先生であるエピクロスの哲学をそのまま継承していったそうです。つまりそこから発展させたりすることをせずに、その考えを受け継ぐことを目的としたわけですね。
ルクレティウスに残されたエピクロス哲学
そのためエピクロスの考え方というのはのちの時代にルクレティウスという人が書いた哲学詩の中にそっくり残っているといいます。エピクロスの書いたものはほとんどが残されていないので、これはエピクロスの哲学を知ることが出来る貴重な史料でもあるといいます。
【ルクレティウス『物の本質について』】
(その翻訳がこちら。よくわからないんですけど、よくからないなりに読んでいて面白い気がしてきます)
デモクリトスの原子論とエピクロス
またエピクロスはギリシア哲学のひとつでもあるデモクリトスの原子論をそのまま受け継いだとも言います。原子論というのは文字通り物質をつきつめていくと最終的に他にわけることの出来ない原子にいきつき、その組み合わせで様々な物質がなりたっている、という考え方です。意外と現代まで続く考え方の基礎が古代ギリシアにまで遡れることに驚いてしまいますね。
ただデモクリトスはこの原子の運動は一律に同じであるように考えたそうです(多分。忘れた)。それをエピクロスはちょっとだけ改変しました。それは原子の運動は基本的に同じなのだけど、時折ちょっとずれるというものです。このずれる動きを想定しておくことによって自然世界の多様性を説明しようとしたそうです。
エピクロスの自然観とキリスト教の対立
そしてこうした自然観が他の哲学やキリスト教とも対立する原因のひとつになってくるわけですね。アリストテレスはデモクリトスの原子論を最大の仮想的として自らの自然学を築いたと言いますし、キリスト教も自然=世界は神さまが創ったものですからそんな原子みたいなもので勝手に動かれては困るわけです。なんだか現代からするとよくわからない対立のようにも思えますけど、宇宙の成り立ちについての議論も似たようなものだと思えばわからなくないでしょうか(やっぱりわからないか)。
なんだかややこしくて難しい関係のようです。
次回のお話
懐疑主義の持つ特定の心理を報じない積極的判断停止の立場 ~心の平静をもとめるひとつの知恵 - 日々是〆〆吟味
お話その266(No.0266)