前回のお話
新プラトン主義とキリスト教の結びつきと大きな影響関係 - 日々是〆〆吟味
ローマ社会におけるキリスト教の苦闘
ローマ時代のキリスト教
ローマ時代にもキリスト教はありましたが、今日のような形のキリスト教ではまだなかったようです。というのも思想的にはキリスト教は生まれて間もないといった状態で、自分たちだけで立って歩けるようなものでもなかったようです。
ローマ時代の哲学と宗教
しかしローマ時代にはローマ時代で自分たちの哲学というものがありました。それらは主にギリシア哲学の後継者として現れていたものであり、自分たちの祖先からして正統なものとしてあったわけですね。そしてローマの宗教もギリシア神話を自分たちに取り込んだものでした。こうした点ではローマは完全にギリシア化された世界なんですね。
【ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』】
(手軽に読めるギリシア神話やローマ神話の本はこちらになるのでしょうか。面白かった覚えがありますが、大体忘れてしまいました)
またそれとは別にユダヤ人がローマ内にも暮らしており、その独特な生活様式から自分たちになじまないものとしてちょっとかわいそうな目にあっていたそうです。それと共にローマから見て野蛮人とみなされた異民族たちがいました。大体これが当時の社会/人間的な分類だったそうで、ローマ人とユダヤ人と野蛮人、という三分類だったわけですね。
ローマ社会の虐げられし人々
しかしローマ人といってもそれは支配階級の人たちです。ローマにも末端の人間はたくさんおり、あまり人から喜ばれない仕事をさせられていた人たちもいました。いわば差別されていた人たちがいたわけですね。
イエスはいわばこの虐げられた人たちへと布教を開始したといいます。当時としては差別されていた仕事をしていた人や女性、病人などに教えを垂れたり奇跡で治したりしていたわけです。ただそれが気に食わないものですから内部から告発されて別に罪もないのに死刑にされてしまいました。
【新約聖書 福音書】
(イエスの言行録のような福音書ですが、これが困ったことにとても面白かったりします。イエス大先生が舌鋒鋭くレトリックを駆使して反対者をやっつけてる姿は、なんといいますか、現代のネット社会と似ているような気もしてきて、ちょっと困ってしまいます)
イエスの死後とキリスト教の建設
しかしキリスト教はイエスの死と共に始まるとも言える側面もあり、その後イエスが亡くなった後使徒たちが宣教に奔走してあちこちで説得してキリスト教徒を増やしていくのですが、その使徒たちも亡くなってからもキリスト教は続いていきます。
【新約聖書 使徒のはたらき】
(イエスが亡くなった後の使徒たちの奔走する姿はこちら。やっぱりイエスの方が迫力ある気がします)
新しい立場としてのキリスト教
そしてキリスト教はローマ社会の中で自分たちの立場というものを改めて作り上げていく必要がありました。その時キリスト教は既存の社会の在り方から新しいものとして自分たちを規定していきます。それがローマ人でもユダヤ人でも野蛮人でもない者としてのキリスト者、というものです。
これによってキリスト教は既にある社会の中の一部としてではなく、またローマ人やユダヤ人や野蛮人というそれぞれのカテゴリーの中に収まる者でもない存在として普遍的な人間というものを基礎においた宗教として世界史の中に現れてくるのでした。
しかしそれだけではまだキリスト教はひとつの態度であっても思想とはならないようでもあるのでした。
次回のお話
キリスト教とローマ時代の哲学の存在を賭けた緊張関係 ~キリスト教が自らを確立するために行った思想闘争 - 日々是〆〆吟味
お話その263(No.0263)