前回のお話
アカデメイアに起こったピュロン主義とは異なる懐疑主義 ~ストア派に対するための後期アカデメイア的懐疑主義 - 日々是〆〆吟味
プラトンのアカデメイアと哲学の変遷
アカデメイアと懐疑主義
プラトンの学園であるアカデメイアからストア派と対立するために懐疑主義が現れてきたというのもなんとなく変わった話だなぁ、なんて思ったりもするのですが、アカデメイアはもしかしたらプラトンとはまったく異なる形で発展していたのかもしれません。
と言っても私はよく知りません。一冊それに関する本があるんですけど、すっかり値段が上がっていて手に入りません。そのため他の本で読んだことをおぼろげに覚え書き程度に今回書いてみようかと思います。
【廣川洋一『プラトンの学園アカデメイア』】
(すごい面白そうなんだけど、高いよー)
プラトンの弟子アリストテレス
プラトンのお弟子さんには、もしかしたらプラトンより偉いかもしれないアリストテレスがいました。基本的にヨーロッパの哲学/思想というものはプラトンかアリストテレスの流れのどちらかと言われるくらいのものです。そんなアリストテレスもプラトンのお弟子さんでしたから当然アカデメイアにいました。在学中から才気迸る天才だったそうで、晩年のプラトンの理論をとことん批判してやりこめてプラトンが1週間(だったかな)来なくなるなんて話もあります。ヤな生徒ですね。
【ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』】
(この話もこの本の中のアリストテレスの項目にあったんだったかなぁ…ちょっと忘れました。あちこちでよく紹介されているのですが、多分古代の哲学者のゴシップみたいなものは大抵この本が出典のはずですし、載せておくことにします)
プラトン亡き後のアカデメイアの後継者
しかしアリストテレスが優秀なのは当時からであり、また歴史的にでもあります。ほとんどヨーロッパ思想史の柱でもあるプラトンとアリストテレスですが、そんな優秀だったのも当時から知られていたのですから、プラトン亡き後のアカデメイアはアリストテレスが継ぎそうなものです。しかしアカデメイアを継いだのはプラトンの甥でした。そしてアリストテレスはアカデメイアを去って自分でリュケイオンという学園を作ります。
アリストテレスのアカデメイアへの態度
この時別にアリストテレスはアカデメイアを去らなくてもそのまま居残って研究してもよかったとも言われるのですが、なぜそれをしなかったかというと、おそらくプラトンの甥によってプラトンの哲学が数学化されていく態度に納得しなかったからではないか、という話もあります。つまりアリストテレスから見ればアカデメイアはプラトンの学園でありながらプラトン哲学を正統に扱っていないと思われたのでしょうね。
アカデメイアとプラトンの哲学
とはいえまたアカデメイアはプラトンの哲学に戻って研究を続けたとも言われていますが、それまでには何世代かの時間がかかったのかもしれません(よく知らない)。そしてその頃にはアリストテレスのリュケイオンも発展していたかもしれませんし(これもよく知らない)、他の考え方も出てきていたのかもしれません。
【プロティノス『エネアデス』】
(新プラトン主義の代表的な本と思いますが、私は読んでいません。中公クラシックスのものは抄訳のようです。全部読むには全集になるのかもしれませんが、巻数が少ないのに無茶苦茶高いです)
そしてアカデメイアも末期になりますとストア派が主流になっていってそれに対抗するために懐疑主義となっていったようです。プラトンの哲学はちゃんとした形であまり受け継がれなかったのかもしれませんね。しかしそうしたプラトンの継承はプロティノスによって新プラトン主義としてまた歴史に蘇り、アウグスティヌスによってキリスト教と強く結びつきヨーロッパ思想の主柱になっていったりするのでわからないものです。
なんだか歴史の不思議な感じもしてきますね。
お話その270(No.0270)