日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

他者という問題 ~同じ規則と異なる規則の間柄の人間関係(付:柄谷行人『探究』)

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他者という問題 〜日本人とアメリカ人が謝ったとしたら

コミュニケーションがいかにして可能となるか、を考えようとしましたが、その前に1つ考えておかなければならない問題がありました。

 

それが他者という問題です。

 

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これはコミュニケーションが可能かという前に、なぜコミュニケーションが成り立たないか、という問題を理解するために必要なことだと思いますので、ちょっと先に考えてみましょうね。

 

他者とはどのような存在か

他者というものはどのようなものでしょうか。自分以外の人のことを指して他者だ、と思うかもしれません。それはそれで間違ってないでしょうね。

 

しかしそれじゃ他人とどう違うんだ、と思われるかもしれません。そりゃそうです。他人と他者。どこが違うんでしょうか。どちらも自分以外の人のことを指す言葉だと思いますね。それをどちらがどうなんて、単なる言葉遊びみたいにしかならない気もします。

 

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ですが他者には他人とは異なる、1つのまとまった考え方があります。難しくいえば概念でしょうか。もちろん私が考えたものではありません。ここで日本では大変有名な柄谷行人の考え方を参考にさせてもらいましょう。

 

他者とは異なる規則をもつ者である

柄谷行人によれば他者とは単なる自分以外の人を指す言葉ではありません。そうではなく、自分と異なる規則を持つ人のことを指します。

 

どういうことでしょう。

 

例として出されるのは外国人や子供です。外国人や子供は、日本の、大人とみなされる人々からは異なる態度や行動をとることがあります。正確にいうと、我々の側からはそう見える、ということです。なぜならば外国人や子供には外国人や子供なりの理由があって、態度を示し行動しているからです。ただそれを日本や大人は理解できないので、相手の行動を不審に思ったり困惑してしまうわけです。

 

たとえば子供

たとえば(ここからは私の勝手に考えた例)子供が欲しい物をねだって店で動かなくなる、という場面を考えてみましょう。これは子を持つ親であれば一度くらいは直面した出来事かもしれませんし、思い返してみれば自分でもやったことがある人もいるかもしれません。それを親の側であれば周りの人やお店に対してみっともないと思うからやめてほしいと子供をしかりますが、子供の側であれば周りの人の反応など気にもならないので、まず第一に重要なのは目の前にある欲しい物です。そのため手に入れるまではテコでも動かない、という態度に出ますが、親の方では高々そんなもののためにこんな恥ずかしいことをするなんて信じられない、となります。ここで子供と親の間にはそれぞれの行動を導く理由が異なっていることになります。

 

たとえば外国人

これを外国人の場合で考えるともう少しやっかいです。

 

子供と親の対立は、欲望と規則の対立に見えるかもしれません。しかし外国人の場合、文化的な差が生じてきます。

 

たとえば日本であれば少し間違ったくらいであればごめんと謝りますし、謝りもしない人はわがままだとみなされそうです。けれどもアメリカであれば少々失敗しても自分の非を認めたことになるから絶対謝ってはいけない、とみなしているとします。

 

これが前提となる認識で、文化的に形成された内的な規則となります。その背景として日本では村落共同体が歴史的に大多数で、共同体の中で暮らすには協調が大切なため多少の問題はカバーしあうことによって困難を乗り越えてきた、とします。一方アメリカでは開拓民であるため一瞬の隙もつけ入れられることになり、そのミスによって周りの人間まで巻き込まれ全体まで崩壊しかねない、そのためつけ入れられてしまえばその人の問題として切り離さざるを得ず、自己責任を社会の知恵として当然としてきた、とします。

 

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その上でどこかで日本人とアメリカ人が仕事の上で小さなトラブルが起こしたとします。この時日本人が悪いと思って謝ったとします。日本人は謝ったからこれで許してもらってまた一緒に仕事をやっていこうと思ってそう言ったかもしれません。しかし聞いたアメリカ人はこの問題は日本人側が悪いのだと思って責任問題をすべて日本人におっかぶせてきたとします。

 

これは日本人側にとっては驚きです。なぜならこれからの協力のために謝ったからです。しかしアメリカ人からすれば当然の権利でしかありません。なぜなら日本人は謝ったからです。非は日本人にあり、責任も日本人にとってもらわなければなりません。

 

この時、日本人もアメリカ人も謝罪という行為に対して、お互いの持つ規則が全く違います。そのため1つの行為がスムーズにこなせないわけです。しかもこの場合、日本人もアメリカ人も自分に問題があると思いません。そして事実、問題がありません。ただ問題がないのは、自分たちの規則が通じる範囲の中での話であり、同じ文化圏の人間同士での話です。日本人同士であれば気軽に謝って仕事を続けたでしょうし、アメリカ人同士であれば謝らずに問題点を指摘して共有してから仕事に戻ったでしょう。それがうまくいかないのは、お互いの規則が違うからだ、ということになります。

 

まとめの図解

つまり

 

                     〈行為〉〈意味〉

日本人              謝罪       協調

アメリカ人       謝罪       責任

 

となっていて

 

自分(日本人)          行為(謝罪) ← 規則(協調)

                                 ⇅対立

他者(アメリカ人)   行為(謝罪) ← 規則(責任)

 

とでもなるわけですね。

 

これが他者ということになります。

 

参考となる本

【柄谷行人『探究』】
探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

 

(↑Amazonへのリンクを覚えました/←当時)

詳しくは直接お読み下さることを願います。

 

日本の代表的な文芸批評家であり思想家でもある柄谷行人の代表作の一つですし、知らないことをたくさん教えてもらえます。ただ聞いたこともない名前がずらずら出てくるのでびっくりしてしまうとは思います。難しいことは難しいので、飛ばしながらわかるところだけを読まれてもいいかと思います。他者の問題が出てくるのは結構中盤になってからですしね。

 

他者という問題を非常によく考えられていて、読むことによって色々と当てはめて考えたり応用することが出来て便利です。人との接し方やコミュニケーションに悩まれている方にはおすすめです。なるほど、と納得がいけば同じ問題には悩まなくてすみますし、もっと発展して考えることも出来るかもしれませんしね。

 

もちろん買わずに図書館で借りてもかまいません。よく読まれたので古本屋でもよく見かけます。2巻は他者とは別の問題に進んでいますので、まずは1巻を読まれて興味を持たれれば次を読んだらいいかと思います。難しいと感じられる方もいるでしょうけれど、面白いですよ。

 

次の日の内容

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お話その24(No.0024)