余所者との接触から現れてくるもの 〜決定と反発、そして政治
しかし余所者と出会うということは二重に考えられるかもしれません。一つは個々の人間が余所者と出会う場合。もう一つは自分たちの文化圏自体が余所者の文化圏と出会う場合。一つ目は柄谷行人が述べた他者で、二つ目はサミュエル・ハンチントンの文明の衝突みたいなものでしょうか(読んでないので噂しか知りません)。
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/06/04/153050
余所者との接触による内部と結束
こうした自分たちと違う存在と出会うことが二重になっているとしたら、その中にいざこざが混じり込んできそうな気もしますね。余所者と接触することで自分たちの内部を結束させなければならないとしても、それを嫌がる人がいれば強制になってしまいます。ましてや余所者と思っているものの方がいいとなれば裏切者扱いされるかもしれません。しかし鹿を追いかけるよりもジャガイモを作った方が自分たちの仲間がより飢えずにすむかもしれません。余所者=新しいものが悪いともいえません。しかし当然、その結果奴隷にされてしまうような支配もあるでしょうから一概には言えませんね。
まぁ、これは個々の状況と背景によって変わってくるでしょうから、すべてその時々に決定しなければならないことでしょう。いわば人生の選択を間断なく常に迫られるようなものかもしれません。多分組織のリーダーはこうした重圧に晒されているのだろうな、と想像することぐらいは出来ます。
しかし、その状況や背景というものは必ずしも満足いくまで分析や理解が出来ているとも限らないので困ったことになります。それも個々の人々においてその程度も差があります。となると決定権のある人がどうするか決めて、それ以外のメンバーはそれに従うしかありません。
決定と同意
となると、決定権を持つ人が抜群の慧眼の持ち主であればいいのですが、そうでない場合従わなければならない人たちから反対の声があがるかもしれません。決定する人より従う人の方が理解がある場合ですね。また逆に決定する人が最も優れていたとしても、従う方が、あっちがいい、と言うこと聞いてくれない場合もあります。これは本来従うべき人たちが無理解で自分たちの都合を優先させた場合になるでしょうか。
これで揉めなければいいんですけれど、人が増えれば増えるほど揉めそうです。強力なリーダーがいればいいのかといえばそれもわかりません。安倍総理を批判する人もいますが好きな人もいます。けど同じように金正恩を好きだったり嫌いだったりではすませられません。ですがきっと北朝鮮では本気で好きな人もいるでしょう。しかし周辺国である身からすればミサイル飛んでくると怖いのでそんなこと言ってられません。やめて欲しいですが金正恩に同意してもらうしかなく、周りにいる人に働きかけても粛清されてしまえばどうしようもありません。強力すぎるリーダー(独裁?)の弊害として、他の人たちをないがしろにしすぎてしまいます。
政治の登場
まぁ、北朝鮮の話は強力なリーダーですむ話ではないでしょうし、また北朝鮮からすればこちら側が余所者になりますから、そうした余所者(米韓日?)に対する結束としてあんな強硬な態度をとっているのかもしれません。なんか物騒な例えになってしまいましたが、つまりはこんな物騒なものである政治がここで現れてしまうようにも思える、と、書いてみたかったのでした。
そしてそうした政治状況で決定権を持つ人=権力者が存在することは動かせませんが、しかしその権力者が横暴な人間にならないように、またそうであれば否定できるように決定権を持たない人たちは対処しなければなりません。
それが思想としてそれぞれの文化圏、または文明圏で作り上げられていったものにもなっていくのかもしれませんね。きっと宗教が認める倫理観は権力者を認めるものだけではなく、人間を認めるものとして現れてきたのではないでしょうか。
気になったら読んで欲しい本
【柄谷行人『探究Ⅰ,Ⅱ』】
自分以外の人間を余所者として捉えたとすれば、他者を同じ規則を持たない者、と考えた柄谷行人のこの本から学べることが多いような気がします。こうした他者は原理的に考えられているので、他の個々の状況に当てはめて考え直すのにも役に立つのではないでしょうか。
【ハンチントン『文明の衝突』】
それが文明圏同士であれば、この本のように文明の衝突となるのかもしれませんが、私は読んでいませんので判断は出来ません。ただ、イスラーム諸国との衝突が不可避と分析し、事実歴史がその通りになってしまったので無視は出来ないのかもしれません。でもバブルの時アメリカと日本との戦争は避けられない、って、アメリカの一流の学者たちが叫んでいたらしいですから、もしかしたら何かあるとすぐ言うのかもしれませんけど。
で、柄谷行人の本の2巻。こちらは他者ではなく世界宗教と呼ばれるものを考えています。簡単に言えば世界宗教以外の宗教は共同体の宗教で、自分たちのみのためにあるけれど、世界宗教(キリスト教、イスラーム、仏教)は“自分たち”という共同体を越えた普遍的な“人間”というものを基礎にして説かれた教えだ、ということになるかと思います。
この2冊はとても重要なことを考えていると思いますし、かつ世評も高いので、どこでもいいから目を通してもらえれば嬉しいなぁ、と思ってしまいます。でも知らない名前ばんばん出てきて、最初、面食らうんですよね…日本を代表する思想家の代表作の一つでもありますから仕方ないのかもしれませんけど…すごくいいんですけど、ちょっと諸手を挙げて勧めにくい…単に私が最初読んだ時に苦労しただけの話かもしれませんけどね。
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影響すると共に自覚することへとつながる余所者=外部との接触 ~自らの文化の自覚と思想の鍛錬へのきっかけ - 日々是〆〆吟味
お話その81(No.0081)