日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

命令者に与えられた規則に従うことの問題の困難 〜戦争の中で業務を遂行すること(付:アーレント『エルサレムのアイヒマン』/フランクル『夜と霧』)

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命令と従うこと ~その命令は正しいのでしょうか…

命令の規則と他者性

他者性を失うことによってコミュニケーションが成り立たなくなっていくことは納得がいきそうです。しかし、もしかしたら命令やら決められた規則(他者との間で異なる規則とは別ですよ。廊下は走るな、とかゴミはゴミ箱へ、みたいな共同の規則です)などは、こうした他者性を無視したり拒絶することによって成り立っている可能性もあります。

 

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命令の場合を考えてみましょう。命令が求められるのははっきりとした上下関係が成り立つ場合です。それを常態化して制度化された集団は組織となるでしょうか。その中で最も顕著なのは軍隊でしょう。当たり前ですが、隊長の命令を無視して勝手に行動しては作戦など遂行できません。TVゲームでもなんでも、コマンドを入力すればその通り動きます。だからゲームは作戦の通りに動かせるのですが、これを実際の軍事行動にあてはめてみれば、命令が守られていることが必要になるかと思います。

 

他者性の尊重と作戦の遂行

さて、こうした命令は他者性を無視しているでしょうか。一人一人の兵士が戦いたくないと思っているのに戦地へと向かわせるという点であれば、確かに他者性を無視していることになるかもしれません。

 

では他者性を尊重して一人一人の兵士の望むように行動させたらどうなるでしょう。すると、おそらくは作戦は遂行できないでしょう。そもそも作戦を立案すること自体が難しくなるかもしれません。なぜなら一つの作戦を立てた後に個々の兵士一人一人に了承を得てようやく立案になるからです。

 

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かといってなんでもかんでも上の命令を聞いていればいい、というわけにもいきません。有名な話ですが、第二次大戦時のナチスドイツでユダヤ人収容所の責任者だったアイヒマンは、なぜこのような酷い真似ができたのかという問いに対して、命令だったからだ、と答えたといいます。同じ戦時下の問題ですから、軍事行動の場合と無関係ではありません。となると作戦がうまくいかないからといって、命令だけ聞いていればいいことにはなりませんね。

 

まぁこれは極端な例ですが、ならば極端ではなければいいかといえばそうはいかないでしょう。軍隊とは違いますが、一応戦うとつく選挙戦を例にしてみましょう。選挙で勝つためには有権者の支持を得なければなりませんが、容易ではないのは選挙の様子をTVで見てもわかります。かといって袖の下をだせば捕まります。しかし票を金で買えることほど楽で確実なことはないでしょう。そしてこんなこと選挙ごとに起こっている気すらします(実際はどれくらいの頻度なのでしょうね)。政治家は選挙に落ちればただの人、なんて言いますが、それを避けるためには何が何でも勝たなくてはならず、そのためには行き過ぎた行動をとるかもしれません。その時候補者のもとで働いていて、命令された方はどうするか。犯罪とわかっていても従うか、拒絶して目の前の代議士を見捨てるか。これも命令だからといって盲目的に言うことを聞くのは憚られます。

 

命令というだけで従うことのリスクと、完全合意のうえで成り立つ命令の困難

ともかく、命令を命令というだけで聞くことにはリスクがありそうです。しかし命令を完全な合意の上で成立させようとするのが難しいことも理解できそうです。この二つは矛盾して対立していますが、他者性というだけでは納得のいく解決が見出せそうにありません。おそらくこうした問題はコミュニケーションの問題だけではないのです。きっと組織や集団の問題になるのだと思います。ですからここでは正確に考え続けることは難しいのでしょう。

 

 

しかし、命令されるということは組織や集団の問題であると同時にコミュニケーションの問題でもあることは、間違っていないとも思えます。たとえ命令であっても具体的な上ー下の関係の中でしか起こらないのであれば、それはある人とある人のコミュニケーションである、もしくはその一部であるように感じます。

 

従うべき規則は一体なにか

ではどうして命令されることによって、ただ従うだけですまされない問題が生じてくるのでしょうか。

 

それは他者として互いの規則がかち合う時に、上の立場の人の規則に従うかどうか、ということであると同時に、命令される規則が本当に従うにふさわしい規則であるのか、ということが問われているからではないでしょうか。

 

つまり、ここでは相手の規則に対する正しさの問題がまた現れていることになります。

 

単純な話で、別段反対する必要のない命令に従わずにすます理由もありません。となると、軍隊の命令は前提として反対する必要のない命令だ、と受ける側はみなしていると捉えればいいのでしょうか。しかしユダヤ人抹殺はいくらヒットラーが理由をつけても認められることではないでしょう。となると、この命令となる規則は従うにふさわしい規則であるのか、と命令される側でも疑問に思いたくなるわけです。その時命令はどれほど多くの他者性を含めているのか、ということにでもなるでしょうか。

 

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ちょっと混乱してきました。これ以上混乱する前に、今日はこの辺にしておくことにします。

 

参考となる本

【アーレント『エルサレムのアイヒマン』】
 

 

私はまだ読んでいません。しかし命令に従うということを問題にするとしたら、きっとこの本を挙げずにはすませられないかと思います。

 

【フランクル『夜と霧』】

 

一方命令に従って行われたユダヤ人虐殺の様子は、この本が避けて通れないかと思います。

これはユダヤ人収容所に入れられ、奇跡的に生還した精神科医の記録です。現実に起こり得るということ自体に倫理観を揺さぶられます。凄惨の一言に尽きます。命令とその結果を対比してみると色々と考えることが出てくるかもしれません。

新版も出ているようですが、私が読んだのはこの版のはずなのでこちらを挙げておきます。

 

次の日の内容

命令に対してとれる態度/対処と相手の発言の確認 ~命令の言語化と正しい理由 - 日々是〆〆吟味

前の日の内容

相手を慮る他者性の欠如から生じる様々な問題 〜セクハラ/パワハラや虐待に忖度と命令もみ〜んな他者性の喪失だ!? - 日々是〆〆吟味

 

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 お話その27(No.0027)