前回のお話
群衆の持つ歴史的意義 〜革命のきっかけとその世界史的意義
歴史的現象としての群衆
群衆の問題もまた、歴史的に現れてきたものと受け止められたようです。ル・ボンは次のように言います(本見つかった)。
【ル・ボン『群衆心理』】
文明の変遷に先だって現れる大動乱は、民族の侵略とか王朝の転覆のような、著しい政治上の変革によって、一見決定されるかのように思われる。しかし、これらの事件を綿密に研究すれば、多くの場合、その表面的な原因の背後に、事実の原因として、民衆の思想に深刻な変化があったことが発見されるのである。
わずか一世紀前までは、諸国家の伝統的政策や帝王間の抗争が、事件の主要な原因となっていた。群衆の意見などは、たいていの場合、問題にされなかった。だが、今日では、政治上の伝統や、君主の個人的な意向や、その抗争などは、ほとんど重きをなさないのである。群衆の声が優勢になったのである。この声が、王侯に、その採るべき行動を命ずる。国家の命運が決定されるのは、もはや帝王の意見によるのではなくて、群衆の意向によるのだ。
民衆階級が、政治生活に進出して、支配階級に次第に変わりつつあること、これが、この過渡期の最もきわだった特徴の一つである。
なんとなくオルテガといっていることと似てますね。つまりそれまでは政治的な事柄というものは王さまたちが決めていて、そこらにいる普通の人々は蚊帳の外だったわけです。そして物事の決定は王さまたちによって決められるし、王さまたちの都合によって動いていた、ということなんだろうと思います。それがル・ボンの時代には変わりつつあって、普通の人々の属する民衆階級が決定権を握りつつあり、王さま立ちの方がその意向に従わなくてはいけなくなりつつある、ということのようです。
【オルテガ『大衆の反逆』】
(まぁ驚きました。『大衆の反逆』も岩波文庫で出るんですね。でも既訳のたくさんあるものいちいち岩波文庫で出さなくてもいいから、新しいものや珍しいもの、まだ文庫化されてないもの出してくれないかなぁ。別にちくま学芸文庫や中公クラシックスでいいのに。この辺りが時折岩波文庫が批判される所なのかもしれませんね。でも新しい研究を踏まえて、とか言われると、門外漢の素人には何も言えなくなります)
フランス革命と群衆
そしてどうも恐らく、こうした群衆が重要なものとして現れてきた最初が、またフランス革命のようです。フランス革命では貴族に対する反発からベルサイユ宮殿に人々が集まり抗議していました。それがいつのまにか膨れ上がっていき、集団的な勢いによって誰かにより意図された(クーデターとかテロによる政府転覆ではない)わけでもないのに、貴族社会が打ち倒されてしまったわけです。
【池田理代子『ベルサイユのばら』】
【ルフェーヴル『革命的群衆』『1789ーフランス革命序論』】
(私は読んでいないのですが、ルフェーヴルという人がまさに群衆を革命的群衆と呼び本を書き、フランス革命についても書いています。私はなんとなくそのイメージから上のように書いてしまっただけかもしれませんので、もし気になりましたらルフェーヴルを読んでみてください。正しい見解が述べられていることかと思います)
【フランス革命下の一市民の日記】
世界史的存在としての群衆
この時ベルサイユ宮殿に群れ集まった人々こそが群衆というわけなのだと思います。そしてこの群衆は革命を成し遂げてしまっただけでなく、貴族社会から市民社会への移行を成し遂げるという、世界史的な使命まで果たしてしまいました。そのため群衆は歴史的価値のある重要な現象として(また同じことが起こっては困るので、ニ度と起こらせないようにする、もしくは再度革命を起こすための力として)研究されるようになったのかもしれませんね。そしてその最初の研究がル・ボンによるものだそうです。
【ヘーゲル『歴史哲学講義』】
(ヘーゲルはフランス革命を歴史的達成として受け止め、自身の哲学にも多大な影響を与えた、と言われます。そしておそらくはヘーゲルのうち歴史哲学こそそうした側面が最も強いかもしれません。ただ難しくて私にはさっぱりわからなかったりします。とりあえず群衆がフランス革命と関わりあるのなら、フランス革命の歴史的意義をヘーゲル先生に尋ねてみるのもいいかもしれないと思いましたので載せてみました)
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