前回のお話
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人々の群れと大衆と群衆 〜集まるだけでは大衆でも群衆でもないらしい
大衆が田舎から都市へと移動することによって生まれたのだとすれば、群衆はどのようにして生まれたのでしょうか。それは文字通り群れて集まることによって生まれたのだと思われます。
大衆と社会システムの変化
たとえば単純に大勢の人間を集めても、それだけでは大衆になりません。大衆となるためには社会的な変化が必要となります。その背景には経済システムの変化や人々の生活圏の移動、分断された者たちをつなげるためのメディアや、それらにともなう生活様式の変化などの結果により人々は大衆と化していきます。しかし群衆はそうした背景がなくただ大勢集まっても群衆となるようです(多分。ル・ボン見ながら書こうかと思っていたら、どこいったかわからなくなっちゃって記憶で書いてます。とほほ…どこいったんだ)。
【ル・ボン『群衆心理』】
(これから書こうかな、と思っていたのはこの本からなのですが、どこいっちゃったんだろう…困ったな。これから書くつもりのことはこの本に書いてあるのでもしよければ読んでみてください。もしここに書いてないこと私が書いてたら、間違ってかいたんだと思って許してください。あぁ、困った)
【群衆心理 まんが版】
お互いを確認できる人々の集まり=群衆ではない
おそらくは大規模な集会などによって集められた人々も群衆になるのかもしれません(なんで書いてあったかなぁ)。ただそれがお互いに確認し合えるような人数や関係性では群衆にはならないようです(多分)。ですから小学校の全校集会なんかは群衆にならないかもしれませんね。しかし全国規模に展開された大企業の社員が一堂に会するような時は、もしかしたら群衆になるか群衆の特徴を持つようになるのかもしれません(とはいえ個々人の相互認識は不可能でも、同じ組織に所属し、各部署の所属先が大体把握出来る関係性では群衆とは言い切れないかもしれません)。
コミケやライブは群衆か?
追記:コミケに集まる人たちは群衆になるのか、どうなんでしょうと、ブックマークでコメントをいただきました。うーん、どうなんでしょう…? 確かに見知らぬ人々が集まっていますし、かといってそれぞれ目的は共有していますから難しい線引きかもしれませんね。いわばコミケもそれぞれに出品した商店に人が大勢集まっているわけで、商店街やスーパーに人が集まるのと似たようなものかもしれません。そうなるとスーパーにいるのも群衆になりますけども、目的を遂げるとすぐ人はいなくなり(買い物終えて帰っちゃう)、またそうした解散も一斉にというわけでもなく各々の目的度合いによって去るタイミングも変わってきます(田中さんはカレーのお肉を買ったので帰ったが、佐藤さんはペット用のトイレ用品や化粧品を買うためにまだ残ってる、というように)。群衆として集まるのも維持するのも解散するのも個々の都合で決定でき、実際その通りに動いてしまうはずなので、もしかしたら群衆とはちょっと条件が違うかもしれませんね。私には正確には判断しかねますが、もしかしたらル・ボンがなにか納得のいくこと書いているかもしれません。よかったら手に取ってみてくださいね。
ただコミケはわかりませんが、歌手のライブやスポーツ観戦などの場合は群衆のような気もします。おそらくそうした場では個人としての都合より、そこに集まった人たちとの一体感や熱狂が中心になってくると思えるのですが、そうした特徴がル・ボンのいう群衆のような気がします。ただこちらも自信はありません。やはりル・ボンから教えてもらった方がいいと思います。
具体的に集まった人々の群れとしての群衆
こうした群衆もお互いに関係ない人々の群れであるという意味では大衆と似ているのですが、一ヶ所に集まった具体的な人間の群れであるところに特徴や違いがあるようです。大衆は具体的な存在としては希薄かもしれません。その意図は世論や声なき声として表されたり、今世紀に入ってからはネットによって有象無象の声として出てくるようになりましたが、しかしそれがどこの誰かははっきひとはわかりません。匿名ということなのでしょうが、だからといってその人まで実在しないわけではないので大衆を侮るとひどい目にあうわけです。
群衆となることで難しくなる個人的態度
それと比べると群衆は間違いなくそこに具体的な人々がいます。しかし、ならば主体的に個々人が判断したり行動したりすることが出来るのかというと、そうではないようです。むしろ大衆とは違い(とはいえ大衆より群衆の方が先に現れ分析されたのですが)具体的かつ確実に個々の人間が存在していながら、個人として考えることも判断することも行動することも出来ないのが群衆というもののようです。
そしてまた、具体的な存在であるがゆえに群れ集まった人々である群衆は、そのままにおそるべき暴徒と化し雪崩れ込むようにして行動してしまう危険性があるというのでした。
【オルテガ『大衆の反逆』】
(大衆について考えられた、おそらく最初の本。群衆と比べてみると面白いかもしれませんね)
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お話その186(No.0186)