新しい商品というイノベーション 〜資本主義はずっと延命され続ける?
新しい商品の革命
商品にイメージを結びつけて買ってもらうのはいいのですが、なにも広告ばかり使って消費させるばかりが方法ではありませんね。机でも椅子でもどれも似たり寄ったりだからイメージ結びつけなくちゃ欲しがってくれませんが、今までにないような机や椅子であればそれだけで欲しがってくれるかもしれません。
たとえば前回炊飯器を例に出しましたが、炊飯器の機能がどんどん高くなっているとします。以前なら単にご飯が炊けるだけでした。より昔からすれば、いちいちお釜で火加減を見ながらつきっきりで炊き上がるまでいなければなりませんでした(多分。私は直接知らない)。ですからこの段階からすれば電気でスイッチひとつおせば時間通りに炊き上がる炊飯器は夢の道具です。お釜でご飯を炊いていた時代に比べると炊飯器の登場は革命的でしたね。
でも私たちは炊飯器のある生活が当たり前になってしまいました。世のご家庭に炊飯器は行き渡っているのです。ですから単なる炊飯器では必要な範囲で買ってしまえばもう買う必要はありません。ですから広告によってイメージを結びつけて購買意欲を持ってもらうしかありませんでした。
求める物の商品化
しかし、そうした炊飯器でより美味しいお米を食べたいと思うのは自然に現れてくる欲求かと思います。となると炊飯器でただ単にご飯が炊けるのではなく、より美味しく炊けるように工夫をされる可能性もありますね。
その結果各企業が様々な技術を開発し、新しい製品を作っていくことになります。それは以前あった同じような商品、すなわち炊飯器ではあるのですが、より優れた、新しい炊飯器になります。こうした新しい商品を生み出すことによって、人はまた同じ商品でも購入してくれるわけです。
これが炊飯器であれば別に米さえ食えればどうでもいい、美味しくなくったってかまわないよ、という人もいるかと思います。ですが決定的な商品というものも生まれてきます(炊飯器も最初はそうでしたね)。
社会の利便性と商品
たとえばこうして使っているスマホやパソコンです。もはや一度使った人はなかった生活へと戻れない可能性があります。というよりかなり高いのではないでしょうか。それは私用として離せないだけでなく、仕事や勉強といった側面でも、そしてなによりコミュニケーションという側面で顕著です。しかもコミュニケーションは個人間のものだけではありません。商品の購入、情報の調査、交通機関や宿泊先の予約、場所も時間も問わない連絡、つまり社会関係がすべてこの新しい商品によって関係づけられてしまったわけです。こうした商品は新しい商品を生んだだけではありません。新しい社会(もしくは社会関係)を生んだわけです。
こうなってきますと新しい商品を生み出すということがかなり決定的な出来事であるように思えてきますね。いってみれば世の中の変化=歴史は政治や戦争や科学だけでなく、商品によっても作られている、ということでしょうか。
恐慌を乗り越えるためのイノベーション
ところで、これがどうも資本主義において物が売れず恐慌に陥らないための一番の方法でもあるんだそうです。ただ、実は私もよく知らないのですが…話の流れもありますし、またちょっと先走って書いてみましょうか(あぁ、いけないなぁ)。
どうもマルクス大先生が資本主義は必然的に恐慌を生み出す、という問題提起をしたために、色々な対処法や異論というものを後の世代の人たちがいっぱいしたようです。いわばウェーバーやゾンバルトもその中に含まれるかと思いますが、それぞれ資本主義がどのような要因によって成立しているか考えていましたね。
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/19/193041
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/20/193050
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/23/193057
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/30/193043
その少し下の世代にシュンペーターという偉い経済学者がいました。ただ私はシュンペーターまで読めていませんので、通り一遍のことしか知りません。そしてシュンペーター先生はここ10年で日常的にもよく耳にするひとつの考え方を提出しました。それがイノベーションです。
で、どうもこのイノベーションというものが、技術革新により新しい商品を生み出していくことによって、資本主義の衰退を延命するもののようです。それも単に延命するのではなく、次々とイノベーションを起こしていくことにより延命をし続けます。それは結局資本主義は崩壊せず、元気なまま運動し続けることになるようです。
そしてこのイノベーション。技術革新でもありますから、科学技術によって生み出されたものを、企業が組み合わせて商品化することになります。しかし企業は新しい技術まで開発することは困難です(ないわけではありません。田中耕一さんはノーベル賞獲りましたものね)。すぐお金にならない研究は企業が傾いてしまう可能性がありますし、世界中の競争で研究し続けるには超大企業しか不可能であり数が限られてしまいます。そのため大学がその役割を担うことになります。お金も一企業とは比べ物にならない金額が国から与えられます。そうしないと国際競争に勝てないからです。安くあげようとか2番でいいとかいってたら、1番どころかトップグループにも入れないわけですね。
そしてイノベーションのためにはどうしても新しい技術を開発してもらわなければならず、科学、すなわち理系こそが資本主義社会における花形(もしくは中核)になるのでした。しかしその認識が無自覚に行きすぎますと、金にならない基礎研究は無視され、結果基礎研究から生まれる新しい技術は他国によって保護され、その技術によって生み出されるイノベーションは保護国の権利のもと世界化されてしまうので、様々な規制のもと権利費を払いながら不自由にしか新商品を開発出来なくなる可能性だってあります。そうすると基礎研究部分を抑えたものが勝ち、利用しなければいけないものは新しいイノベーションによって社会が変わるまで支払い続けなければなりません。科学における著作権みたいなもんでしょうか。
あまり基礎研究をないがしろにしない方がお金にもなるんですよ、といらん心配をして終えてみたいと思います(全然違ってたりして)。
気になったら読んで欲しい本
【シュムペーター『経済発展の理論』】
どうもシュンペーターがイノベーションについて書いた本はこれのような気がしますので載せておきます。私は読んでいませんのでなにも言えません。
ただシュンペーターはこの本を含む3部作というものがありまして、すべて20代の時に書いています。とんでもない話ですね。シュンペーター先生は天才だったようです。
シュンペーターは資本主義を運営させていくのに都合がいいのかして、日本でも翻訳がとても多いです。あんまり多いので私はリスト化を見送っています。また巻数の多いものもあり、読み進めるのはかなり大変そうですね。ウェーバーとどっちが大変だろう。
次の日の内容
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お話その121(No.0121)