偉大なものとユーラシア大陸 〜地理上の問題じゃ仕方ないよね
なんだか最近陰気なお話になってしまいがちです。日本の行く末、なんて、憂国の士みたいなことを書いたって仕方ありません。日本の文化について書いてみたはずなのですが、すぐに横道にそれてしまいますね。ろくに知らないのに書くからこうなるのでしょうね。
大陸と文明
日本がヨーロッパや中国と比べて偉大なものがないのは当たり前なのですが、というのも文明の揺籃の地であるのはすべて大陸で、日本のような島国では立地条件から無理があるのかもしれません。いわゆる四大文明というものがありますが、ナイル、ティグリス・ユーフラテス、インダス、黄河と大きな川のもとで人が集まり文明が起こったわけですが、これは地理上の条件なのでそこに生れなかった者はどうしようもありませんからね。私たちが母国語として英語を喋らないのと同じように、文明もその場に居合わせなければ発展出来ないわけですね。
しかしそれぞれの文明圏で、既に古代の時点で1つの達成があったようです。ギリシアは哲学が非常に発達していましたし、インドも仏教がどうもものすごく発展していたような気がします。中国でも孔子が儒教の祖となっています。エジプトは残念ながらよく知りません。
古代文明圏の偉大な達成と、その土台
ただ、どうもこうした古代の達成が、ただ単にそこに現れたわけではないそうです。
たとえば孔子といえば『論語』ですが、これは孔子先生たちの言行録です。そこで孔子先生は昔はよかった、昔はよかった、といっています。そして昔の偉大な先人たちの考えに戻り、今のやり方などやめてしまえばいい、とよく愚痴っております。2000年以上前です。
またインドで仏陀が現れた時には、既にインド中で様々な思想が入り乱れていたそうです。仏陀はそんな中に現れて、みなくだらない、といって切って捨てたような真似をしたそうです(多分。たしか柄谷行人が対談集の中でそんなこと言ってたような気が)。
ギリシアでも哲学の出発はソクラテスからですが、ソクラテス以前にも大勢の哲学者たちがいました。ソクラテスもまた、先人の哲学を前にして、そんなこと知ってなにになるんだ、肝心なのは人間のことではないのか、と言って哲学を自然から人間へと転換させました。
またヘブライでもイエスが布教活動を始めますが、イエスは別にキリスト教なんかを起こしませんでした。イエスが行ったのは、ユダヤ教内での改革運動でした。あまりに革命的な変革を行ったために、ユダヤ教を飛び越えてお弟子さんたちがキリスト教を生み出してしまったようなものらしいです(これも怪しい。どこで読んだんだったかなぁ…)。
偉大な思想がうまれるための、膨大な蓄積
なにが言いたいかといいますと、今日まで影響を与え続けている各思想というものは、生まれた時点で既に他の膨大な蓄積が存在し、その上でそれらの批判的な思想として生まれてきたのだ、ということです。
中国では孔子以前に孔子自身が学ぶべき教えと考えたものが沢山あったようですし、インドでも仏陀以前に沢山の修行僧がいて仏陀自身その中で修行していたみたいですし、ギリシアではソクラテス以前にも大勢の哲学者がいましたし、ヘブライではイエス以前にユダヤ教は既に完成されていました。そういえばユダヤ教徒はエジプト虜囚もされていましたし、きっとエジプトにも私が知らないだけでなにかあったでしょう。
世界史の舞台としてのユーラシア大陸
そしてこれがすべて大陸であって、それもユーラシア大陸に限られているのでした。これはどうも地理上の問題があるような気がします。最初に人が集まり、人間として考えなければならない問題をそれぞれに考え、その到達として批判的に誕生したものが今の古典的思想で、しかもその後の人類が記録と遠距離の移動を可能としたから今日まで継承され残ったのではないか、ということですね。そしてそのためには各思想が接触し刺激を与えあい切磋琢磨されなければなりません。その舞台として、人類にはユーラシア大陸が絶好の場所だったのかもしれません。
ですからユーラシア大陸以外の者は、ユーラシア大陸のような偉大さを持ち得ないのです。それは日本だけではなく、アメリカ、それも北アメリカも南アメリカも、またアフリカも、オーストラリアも得られないのだと思います。思想史、いえ、むしろ思想の戦いの場と考えたヘーゲル的な世界史の舞台は、きっとユーラシア大陸だけがスポットライトを当てられる場所のように思えてもくるのでした。
気になったら読んで欲しい本
【論語】
誰でも知ってる、けど多分今時誰も読んでない本。けど、読むと結構面白いのでした。孔子先生は儒家の親玉ですから聖人君子の鑑になりますが、読んでみると意外と愚痴っぽく今の世の中に文句ばかりを言っています。昔はよかった、昔はよかったと、しょっちゅう言っております。私は読んでみて孔子先生を聖人君子の鑑というより、実に人間臭い先人として読んでしまいました。
【手塚治虫『ブッダ』】
仏教といってもそんな知ってることはなく、面白い手塚治虫の漫画から教えてもらったことがいっぱいあります。とりあえず面白いので、この本から。でも仏教的にはあまりよくないそうです。そりゃ最後の最後に自分の教えは残るでしょうか、と尋ねてしまう仏陀を描いたので、たしか夏目房之介は手塚治虫はこの作品で悟れなかった仏陀を描いた、と評していたような覚えがあります(別の人だったかな?)。ですが仏陀の伝記として読めばいいので、仏教がどんなものかは他の本に任せて面白く読みながら知識を与えてもらいましょう。
しかし、本当、手塚先生はなんでも描いてますね。どうしてこんな真似できるんでしょ。誰か完膚なきまでにその秘密がわかる手塚論でも書いてくれないかなぁ。
【廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』】
ソクラテス以前の哲学者たちについて書いてある本。3分の2くらいは残された断片の翻訳です。
ソクラテス以前の哲学者の著作はプラトンやアリストテレスと比べて残っていません。2人が偉すぎたせいで、後代の人がより先人まで目を向けなかったせいだそうです。ほとんどが散逸してしまい全体像がわからないままです。そのためこうした断片から推測するしかありません。驚いたことに、こうした断片を網羅した翻訳もあります。
【ソクラテス以前哲学者断片集】
ソクラテス以前の哲学者たちについて後代の人たちが引用したものを集めた本。あまりに昔のことなので元となる本は残っていないのだそうです。それではどうやってこのような形で集めたのかといえば、こうした人たちの本を読んで自分の本の中で引用した人のものを見つけてきて集めたのだそうです。あちこちにちらばってたくさんあるから、気の遠くなりそうなお仕事ですね。
【聖書】
どれ選べばいいのかわかりませんので、一番前に出てきた聖書。旧約も入ってるのかなぁ。旧約聖書はユダヤ教の聖典で、イエスはその上から出てきたわけですね。そして新約聖書はそのイエスの言行録でもあります。イエスもキリスト教の開祖だから孔子と同じように聖人君子のイメージがあったのですが、新約聖書を読むとかなりエキセントリックな方で驚いてしまいました。しかし革命家とはこんな感じかもしれません。こんなこといったら信徒の方に怒られるかもしれませんが、とても面白い本でした。
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お話その75(No.0075)