日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

選択の論拠や根拠とはどこにあるか 〜将来の選択の可能性に正解はあるのか

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選択の論拠や根拠とはどこにあるか 〜将来どうしよう…

わかりやすそうな場合は、将来がどうなるかわからない、ということでしょうか。

 

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将来の選択と可能性の選択

たとえば進路に悩んでいるとしましょう。

 

思いっきり極端にしてみましょうか。すっごく頭がよくって東大に平気でいけてしまうとしましょう。しかし同時に無茶苦茶面白くって芸人にでもなれば成功間違いなし、明石家さんまにだってなれるかもしれません(おぉ、すごいなそんな人)。

 

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この場合、どちらが得か、そんなことわかりませんね。東大いって官僚になったとして政治家にこき使われるのは不愉快かもしれません。面白くってさんま並みの地位を得たとしても、さんま同様家に帰っても誰もおらずそのことに耐えかねてしまうかもしれません。

 

 

しかしそんなこといくら考えても確実な答えなど返ってきてはくれません。かといってやってみればいいと思っても、反対の可能性を捨てなければいけません。すると反対の成功が頭に浮かびます。

 

ひとつの選択肢と他の選択肢 〜可能性の限定

これは極端にしてみましたが、将来の可能性というものを考えた時、選んだ選択肢と違うものはすべて捨てなければならない、ということがあります。芸人になってから東大にいくことも、東大にいってから芸人になることも可能でしょう。しかしその後に官僚になったりさんまなみの超一流になれるかは、最初に選んだ時よりも難しくなっていることは確かです。そしてやり直しを繰り返せば繰り返すほど、優れた結果を得る可能性はますますせばまってきます。

 

時間の平等性と可能性

理由は簡単で、人は同じ時間の中で生きているからです。私もあなたも、平等に1年がすぎます。『DRAGON BALL』にでてくるような精神と時の部屋でもあればいいのですが、ない以上選択し直したあとに学ばなければいけない時間は同じなのです。

 

 

たとえば楽器は1万時間練習すればプロの水準になれるといいますが、この練習を10歳の時から始めた人と、色々あって30歳になってから始めた人とでは結果が出るのに雲泥の差があるのは仕方のないことです。多分、10歳から始めていた人は30歳には名の知れた演奏者になっている可能性はありえますけれども、30歳になってから始めた人は、当然同じ年の頃には素人のままです。

 

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もちろん諦めずに続けて40歳でプロとなり、50歳で名をなす人もいるでしょう。ジャズ評論でならした植草甚一は40歳をとうに過ぎてからジャズを聴きだしたと言います。

 

ですからやることと結果はわからないのですが、しかしかける労力の差=必要な時間が結果を得るための大きな要因とすれば、どれか1つの可能性を早く選ぶ必要が出てくるのです。そうしないと人生の一地点での差がついてしまうことになります。

 

選択の決定となる確かな根拠はあるのか

しかし、ではどれが選ぶべき選択肢か。

 

これは自分で選ぶしかなく、決定する必要があります。そのためには自分で考えて結論を出さなければなりません。

 

なのに、考えただけではそれが正しいとは限らないのです。論理的に正しくても、実際に正しくなるとは限らないからです。

 

では一体なにを根拠にして決めればいいのでしょうか。

 

悩ましい問題です。それがわからないから悩むしかないのです。そして悩むことと考えることは違うのです。考えは一応の答えを出しますが、答えの出ない問題は悩むしかないのです。

 

う〜ん、本当に悩ましい問題ですね。

 

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 お話その12(No.0012)