日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

言葉と時間 〜言葉の時間的連続性による時間芸術としての小説(付:レッシング『ラオコーン』/バルザック『ゴリオ爺さん』『従姉妹ベット』)

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言葉と時間 〜レッシングを参考にしてみよう!

言葉の直線性=時間的

言葉が直線的ということは、言い換えると時間的に言葉は現われてくる、ということですね。

 

レッシング『ラオコーン』のお話

これは何も私の考えではありません。昔のドイツでレッシングという人が絵画と小説を比べて、互いにどう違う芸術であるかを述べた『ラオコーン』という有名な評論があります。ちょっと関係しますし、少しだけお話ししてみましょうか。

 

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絵画=空間的芸術、小説=時間的芸術

レッシングによれば絵画が空間的芸術で小説が時間的芸術ということになります。

 

絵画が空間的芸術であるというのはなんだかわかる気もします。絵は紙に描かなくてはいけませんから空間的になるのだろう、と、素人考えであっても直感的に納得いきそうです。

 

しかし小説が時間的芸術であるというのは少しわかりにくい気もします。だって小説でも描写というものがあるではないですか。私たちが読者として本をめくる時、見事な描写から風景が頭に浮かんでくるということは本好きの方なら経験があるかと思います。

 

描写による小説的時間の停止

ですがそうした描写は実は小説の中の時間が止まっていると考えます。小説の中に起こっている出来事は順々に進んでいるのですが、描写が挟まった時点で作中の出来事は進んでいないからです。そのため作中時間は描写される間止まっていると考えるのです。

 

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では何故描写により時間が止まるのかといえば、小説の言葉というものは次へ次へと進んでいくからです。言葉は書かれたものとしては文章となり、文章は一つの文を読めばまた次の一つの文を読みます。これは発話であっても同じで、一つの文を話してから次の文を話します。すでに話した内容を注釈なし(それで、さっきの話だけどね、みたいな)で続けても聞き手は混乱するだけですね。ですから必ず一つの文の次に一つの文、といった形で私たちは文章を理解しているはずなのです。

 

小説的時間と直線性

これが昨日考えた直線的ということですが、それが小説の場合出来事も同じように直線的に進んでいきます。しかしその出来事は小説であれば言葉を通してしか描かれません。けれども絵画の場合、こうした出来事は上手く描くことは出来ません。なぜなら一枚の絵の中にどうやって出来事の変化を描けばいいのかわからないからです。そこでレッシングは絵画の場合、手前に描くことによって現在に近い出来事を、遠くに描くことによって過去に近い出来事を表すように工夫している、と述べます。それでも小説と同等に継続的な出来事を描くことは出来ないでしょう。代わりに空間的な表現は絵画であればなんの工夫の必要もありません。小説になるとこれが逆になり時間的表現は工夫なく描けるのですが、空間的表現となると大変難しくなるのだそうです。視覚に映るものを全て書き尽くしてしまえば、小説は何事も起こることなく一冊を終えてしまうことも出来てしまうからです。

 

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小説が時間的芸術である理由は本質的にこうした次へ次へと向かう媒体的特質を持っているからと考えられますね。それは小説の言葉、もしくは文章ということであれば読む、書く、話すということ全てが時間的な構造を持っているからで、次へ次へと向かってしか読む、書く、話すは出来ないわけです。これは全て言葉を使ってなされる行為ですから、言葉自体に次へ次へと向かっていく時間的な構造を持っているのだろう、と考えられるのではないでしょうか。

 

レッシングの話だけでなく私の考えも混ざってしまっていると思いますから、あまり信用なさらないでくださいね。

 

参考となる本

【レッシング『ラオコオン』】 

 ちゃんとレッシングを読みたい方はこちらからどうぞ。

絵画と小説を比べると言うこと自体、面白い対比かもしれませんね。300年も前の人ですから逆に絵画も小説も当時では新しい文化だったのかもしれません。今であればネット論のような感じで分析し、比べていたのかもしれませんね。ラオコーン自体は彫刻の作品ですが、彫刻はギリシアの昔からあり300年前でも権威だったでしょう。それに比べて絵画や小説は…といった感じで書かれていたとすれば、今の文化を考える際の役にも立ちますし、現在芸術とみなされる美術や文学がどのように権威化していったのかを探るいい参考になるかもしれません。

 

 

【バルザック『ゴリオ爺さん』『従妹ベット』】 

 描写が作中の時間を止めてしまういい例として、バルザックの恐ろしいほどの描写を一度読んでみてはいかがでしょうか。特にこの作品でしたら冒頭にとんでもない描写がありますのでわかりやすくおすすめします。ただそこさえ乗り越えられればバルザックは凄い作家だということもきっとわかると思います。

ただ 

こちらの方がその凄さはわかりやすいかもしれません。とても面白い小説です。

 

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 お話その35(No.0035)