日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

表現された言葉と現実の関係性 〜現実の時間/持続と重い言葉(付:ベルクソン『時間と自由』)

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言葉と現実 〜言葉って、本当に言いたいことを表しているのかしら

時間と持続

またベルクソンという哲学者は時間というものは持続であると考えました。一般に理解されている時間は空間的に区切られたもの、つまり本来なら時間とは区切ることも出来ないずっと続いているものなのに、1秒とか1分とかわけていて理解している、それは空間を1cmとか10mのようにしてわけているのを時間に当てはめ理解した気になっている、というわけですね。

 

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小説と持続的時間

となると小説の言葉というものはこうした区切りがなくずっと持続しているものでしょうか。結構そんな気もしますね。だって小説は読み始めたら終わるまでずっと言葉が続いていますから。ベルクソンが時間を持続するものと考えたように、小説も言葉が持続するものであるかもしれません。

 

そう考えると小説が時間的芸術であることも、もう少し納得いきそうな気もします。小説というものは言葉が最初から最後まで続いていて、間の空いているという瞬間がありません。たとえ3行あけて数年がたったと演出しても、その間など1秒にも満たず次の言葉へと目がいってしまいます。小説世界においては言葉こそがすべてで、他のものは存在しないのと同じになってしまうわけですね。それは私たちの住んでいる世界が時間抜きにしては何事もありえないように見受けられることと関係上一緒だ、となるでしょうか。現実では時間に値するものが小説では言葉ということになるのかもしれませんね。

 

時間の重みと言葉

ここからまた別の考えへと進めそうですが、たとえば数年、いえ10年後と書いてみても、この1行に10年の重みは生まれてきません。では10年の重みを言語化しようとすればどうすればいいでしょうか。言葉と実際の時間をパラレルなものにしようとするならば、実際に読み終わるまで10年かかるような文章を書けばいいことになります。

 

しかしそのようなもの誰も読みません。書かれたものを読むのに10年費やすよりも、自分の人生の10年の方が大切だからです。そうなると言葉はどうやって現実の重みを捉え、表すことが出来るのでしょうか。

 

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実はここにこそ小説だけでなく、言葉と現実の緊張関係というものが生まれてくる要因となっている気がします。

 

言葉と現実の緊張関係

それは現実というものをどのように捉えて、どのように伝えることが出来るか、という問題です。もし人間が言葉を使ってしか自分の意図したことを伝えることが出来ないのであれば、言葉によって表し得ない内容は伝えることが出来るのでしょうか。

 

 

たとえば最近芸能人の不倫騒動が数年にわたってスクープされていますが、その当事者に向かって、大変だったね、と伝えることは、本当にどれだけ相手の苦悩を汲み取って伝えることが出来ているのでしょうか。

 

また、大変だったね、という言葉は意味としては言葉だけで理解できますが、それが同じように不倫された人間が憤りと共に告げるのとただお愛想で言うのとは自ずから違うはずです。しかし言葉としては一言、大変だったね、になってしまうとしたら、言葉は発せられたものの背景は表すことが出来ないことになるのでしょうか。

 

さらにまた、言葉を尽くすということを考えてみると、お愛想だけでしかない人が誤魔化すために詩的で長々とした言葉をかけたとして、不倫された経験者が胸を詰まらせたった一言大変だったねと言うのは、言葉の水準だけではお愛想の人の方がより密度が濃いことになってしまいますが、それを言われた方はどうやって見抜くことが出来るのでしょうか。もしくは無理なのでしょうか。

 

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またまた、では言葉など嘘ばかり、と相手の言うことを信じなければ、どこで信用をはかればいいのか、一切の言葉を信じなければどうやって相手と意思の伝達が出来るのか。それどころか言葉を信じなければ自分で考えることすらどうやってすればいいのか。

 

こんな感じでどんどん問題が出てきそうです。

考えてみると、やっかいなものにまとわりつかれて私たちは生きていますね。

 

参考となる本

【ベルクソン『時間と自由』】 

ベルクソンの時間論はこちら。私はベルクソンがよくわかりません。小林秀雄はとてもベルクソンに感銘を受けていましたから、むしろ日本人には読みやすいんじゃないかと思うんですが…う〜ん、難しい。

読んだのは岩波文庫版ですが、もしかしたらちくま学芸文庫の方がわかりやすいのかも。タイトル違いますが同じ内容の本です。『時間と自由』は一般的に流布した題名で『意識に直接与えられたものについての試論』は原題に忠実に訳したらこうなるそうです。ちくま学芸文庫版は読んでいませんから比較はできないのですが、一応両方載せていきます。もし読まれるのでしたらご自由に選んでください。多分難しいのは一緒です。うん。

 

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 お話その36(No.0036)