前回のお話
都市と大衆と集合表象とメディア 〜大衆社会の問題の前置き
都市定住の大衆
さて大衆が土地/田舎から生産地/都市へと移動したことにより現れ、同時に人間の精神が最初に形作られた環境から引き剥がされることによって無規範になってしまう、なんてことをお話してみました。でも大衆の現れた時代ならそういってもいいかもしれませんが、今だとこのままの理由で大衆を捉えるのも難しいですよね。資本主義の生まれて間もないアダム・スミスからマルクスの時代であればこうした現象は新しく起こってきたものだから特筆すべき現象であったかもしれません。でも今や当たり前になってしまったはずですからね。今なら最初から都市で生まれて死ぬまで都市で過ごす人の方が大勢いそうです。なら昔の共同体みたいに生まれた村で死ぬまで暮らすのと同じで、共同体に類するような規範が都市にだってあったってよさそうなもんです。なんでうまくいかないんでしょうね。
集合表象の不一致としてのアノミー 〜共同体から都市へ
これを同じ前提から考えてみましょうか。デュルケームの観点からいえば集合表象(とりあえず社会の価値観とでもここでは考えておく)と一致しなくなった人間がアノミーという社会的混乱の状態に陥り無規範な状態になってしまう、というものでした。これを共同体の場合で考えてみますと、共同体内部にある昔から続いてきた価値観を集合表象とし、その共同体から離れることによってもともとの価値観から引き剥がされてしまう、ということによりアノミー化すると考えられそうです。ですから時代の趨勢で無理矢理田舎から都市へ移動させられてしまったんで大衆はアノミーの状態にある、と一応言えなくもないかもしれません。
しかし都市でもこの集合表象が存在しているとして、今のご時世都市においてずっと暮らしているのなら都市の集合表象から引き剥がされることはないような気がします。けど、おそらく都市こそアノミーの巣窟で、むしろ田舎の方がこうした価値観の変動は起こりにくく安定しているかと思います(代わりに変化がないから成長も感じられず都市へと出たくなるのかもしれませんし、一度破綻した関係性でも逃げ場はなく爆発するような現象もあるかもしれません)。となると都市にはなにか価値観の変動を起こす要因がありえそうです。
集合表象とメディア
そのひとつとして考えられるのがメディアの存在です。集合表象がなんなのかは突き詰めるとわからなくなってしまうのですが、とりあえず表象、まぁイメージの一種とでも考えておくことにしましょう(本当は違うと思うけど)。個々人の中において浮かんでくるイメージが個人的なものであるのに対し、大勢の人を巻き込んでしまうイメージを集合表象だと、一応ここではそう考えてみましょうか。となるとこんなイメージを生み出すものはメディアを持って他ありません。
メディアといっても色々あります。とりあえずどこからか情報を伝えてくれる媒体、と考えてみましょう。すると人の話もメディアですね。うわさ話もメディアになります。となるとメディアというのはテクノロジーが発展していようがいまいが存在していることになります。ただその規模がテクノロジーの度合いによって全然違うわけです。
共通する社会のメカニズム
そして人の口から口へと伝えられるものが、一種のメディアによって世界を形作られるとすれば、それは想像的世界であり、直接生きている周りの環境にある具体的世界とは異なることになりますね。そして口から口へと伝えられる想像的世界って、未開社会であれば神話になるような気がします。そもそもデュルケームが集合表象の考え方を導き出したのもオーストラリアの未開社会における宗教を分析してだしたものでした。もしかしたらこうした宗教自体が一種のメディア的な現象ということだって出来るかもしれません(いや、実際はわからないけど)。
そういえばとっても偉いロラン・バルトという人は記号論というものを使って現代の大衆文化を分析した時、それらを現代の神話としてくくりました。つまり記号論という考え方を使えば未開社会の宗教も、現代社会の大衆文化も、共に神話として捉えることが出来るわけですね。実は社会というものは未開社会だろうが現代社会だろうが、実は同じメカニズムで動いているのかもしれません。
そして未開社会だろうが前近代だろうが現代社会だろうが、集合表象と考えられるような現象が存在して、しかもそれがメディアを通してひとつの世界観(宗教や神話、社会の姿)を形成するのだとすれば、デュルケームの観点からすれば私たちが人間である以上前提として持たざるを得ない認識は、どんな社会でも集合表象から与えられることになりますので、それは共同体であっても都市であっても同じということになるかもしれません。
ではなぜ都市ではそうした集合表象との不一致が起こりやすくアノミーになりやすいのか、というお話を今回書くつもりだったのですが、前置きだけで終わってしまいました。こりゃ困りましたね。
次回のお話
気になったら読んで欲しい本
デュルケーム『宗教生活の原初形態』
デュルケームの本。考えてみますと上の本はオーストラリアの未開社会、下の本はパリ、とデュルケーム自身の共同体と都市の分析の対比とも言えそうな気がしてきました。そうした観点で読んでみるのも面白いかもしれませんね。
マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』
メディアというものを考える時、必読文献とされている本です。昔読んだんですけど、よく知らないままに読んだんで忘れてしまいました。ははは。こんなんばっかりですね。
カプフェレ『うわさ』
で、うわさもメディアなんだよ、ということを書いてあると思う本。まだ読んでいませんので確かなことはいえません。こちらもこんなんばっかりですね。ははは。
バルト『神話作用』
ロラン・バルトが現代の神話として大衆文化を分析した本。完訳版が著作集にあるのですが、あえて抄録のこちらにしてみました。というのも翻訳者がクイズダービーでおなじみの篠沢教授だからです。番組の往年のファンであれば懐かしいかもしれませんね。篠沢教授の姿は大半の方がクイズダービーでご覧になられているでしょうから、フランス文学者としての訳業として載せてみたかったのでした。昔はこの翻訳しかありませんでしたので、こちらで読まれた方は多いと思います。見ると半世紀も前の翻訳なんですね。
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お話その154(No.0154)