世の中に役立つことと専制
マルクス主義についての説明にかかりすぎてしまいましたが、当時のソ連が政治的にだけでなく文化的にも専制的だったということを理解していただければ幸いです。ロシア・フォルマリストが活躍しなければならなかった背景にはこのような事情があったのです。
フィクションは世の中のためにある
文学(つまり創作。フィクション)ですら社会から自由ではなく、支配者層を支えるような価値観を生み出している。それを批判、暴露することこそマルクス主義者の文学的使命である。
そうなると、当然文学に対する態度も決まってきます。その作品はいかにして資本家階級から労働者を解放することが可能か、それを表していること、読みとることが創作と批評の役割になってしまいます。そしてこうした文学への専制は政治における専制と軌を一にしています。ですから文学において違う読み方をすること自体、国家反逆的な態度になるのでした。
フィクションをフィクションそのままに読もうとするロシア・フォルマリストの挑戦
そんな中ロシア・フォルマリストたちは作品を作品のままに読もうとしました。それも作品の生まれた時代背景や作家性すら排して、とにかく徹底的に作品そのものだけを読もうとしたのです。それはソ連の専制的政治に対する自分たちなりの抵抗であり、文化の領域における不服従でもあるのでした。しかしそれを直接に行えば死刑や流刑になる可能性もありますので、あたかも文学を独立したもののように扱い、政治に対しては口を聞いていないようなふりをしなくてはいけません。そして政治的には弾圧されるような状況下でありながら、文学研究の面で徹底的に対抗したような批評・分析・理論を作り上げていったのでした。
ロシア・フォルマリストの亡命と行方
それがスターリンによって弾圧され、亡命することになります。ロシアから去ったロシア・フォルマリストたちはアメリカに渡り影響を与えます。そしてまたフランスに影響し構造主義へとも成長していくのでした。
ちょっと政治的に結びつけすぎたロシア・フォルマリストたちの説明になってしまいましたがお許しください。しかし世の中に役に立たない、という理由で弾圧されたりないがしろにされたりすることはあるのでした。しかしそれが後々大きな存在になることもありますから、あまり効率ばかり考えてもよくない、という例にでもさせてください。
なによりそうした真似をするのはソ連のような専制的な国のすることですが、最近では日本国内でも同じようなことを発言する有力者までいますからね。もしかすると本当に専制的な国に向かっているのかもしれない可能性もありますから、一応似た真似をするとどうなるか、ということぐらい書いておきましょう。ロシア・フォルマリストのことを書いたのですから、少しくらいこちらも真似して抵抗したことを書いてみるのもいいですよね。
参考となる本
【ロシア・フォルマリズム文学論集】
ロシア•フォルマリズムの本はこちら。この2冊にまとまっています。
一番有名なのはシクロフスキーという人の言った異化というものですが、この中に入ってたっけなぁ。失念してしまいました。
【シクロフスキー『散文の理論』】
一応シクロフスキー自身の論文集も載せておきます。この中には異化について説明したものが入っていたはずです。
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お話その50(No.0050)