日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

聞く態度と伝播の齟齬 〜会話を苦手とする能力以前のコミュニケーションという問題

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伝達の齟齬とコミュニケーションという問題

伝達の齟齬という問題を考えていると、論理の問題だけでなくコミュニケーションの問題とも関わってきそうです。

 

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論理を伝達の問題とするならば、A(123456789)はTとSやU1とU2といった間柄であっても、その内容は一緒のはずです。伝達内容A(123456789)を誰かに伝えようとするならば、TA→SAであろうとU1A→U2AであろうとAの中身は同じになるはずですからね。これがT→Sの場合とU1→U2の場合とで伝達された後の内容が違うとなれば、それは伝達内容A(123456789)自体の問題ではなくなります。つまり◯→◯という関係の中に問題があるわけで、それはきっと伝達方法の問題、つまりコミュニケーションに問題があるのだと考えられそうですね。

 

論理と実際のズレと、コミュニケーションの齟齬という問題の違い

となると、ゼノンのパラドックスの時とはまったく違う問題に行き着いてしまった気もします。少なくともゼノンの場合は論理の正しさと実際に起こることの正しさが合わないことが問題であり、しかし間違っているはずなのに論理は正しいことが問題でした。それはちょこちょこ考えてきましたが、まだ十分ではないでしょう。もっとも、ここで考えたからって十分になるわけでもないでしょうけどね。それでも一応考えてきたものだと思っていただいて、しかしここからはちょっと別の問題に入りかけているんだぞ、とでも思ってください。

 

【山川偉也『ゼノン 4つの逆理』】 

 

さてではコミュニケーションの問題とはどのようなものでしょう。とりあえず今まで考えたことから始めてみましょうか。

 

伝達する両者の態度による齟齬

まず伝達者側、伝える側の問題として考えられるのは、自分の伝達内容が間違っていない、という前提を持っていることがありえそうです。とりあえずこれを前にタイトルにもしましたから、「独善的な伝達者」と呼んでおきましょう。

 

一方伝達される側、伝えられる側の問題として考えられるのは、伝達者の伝える内容を拒絶している場合ですね。これは聞くまい、と拒絶している場合も、相手と自分の間で内容に対する理解が対立している場合も含まれるとしましょう。これを「頑なな理解者」とでも呼ぶことにしましょうか。

 

するとここに1つ明らかな問題が浮かんでくることになります。それは、どちらも相手のことを受け入れる態度がない、ということですね。

 

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これは当たり前のことかもしれませんが、伝達の齟齬が起こる時には基本中の基本となる問題のような気もします。つまり、最初っから相手の言うことを聞く気がないのです。これではコミュニケーションなんて成り立つわけがありません。

 

こうした時、どうやって対処すればいいのでしょうか。相手を拒絶している中で、いかにコミュニケーションしていけばいいのでしょうか。

 

これは難しい問題です。もしかしたら不可能かもしれません。

 

正しいコミュニケーションは可能か?

また、ではお互いに相手の言うことに聞く態度を持っていれば伝達の齟齬は起こらないのでしょうか。これもわかりません。起こりそうな気がします。少なくとも難しい問題を理解しようとする時には伝達の齟齬は起こっていました。

ならどうやって正しく伝達やコミュニケーションをすることができるというのでしょう。

 

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こうしたことか新しい問題として現れてきたようですね。

 

次の日の内容

伝える側の拒絶の問題 ~伝播する内容をよく理解し固執せず相手を受容する - 日々是〆〆吟味

前の日の内容

伝わらない、相手の理由の仕組み/システムの考察 〜頑なな理解者? - 日々是〆〆吟味

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 お話その21(No.0021)