日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

大衆と庶民の違いと意味:都市部に暮らす社会生活/昔ながらの生活様式の維持 〜共同体をひくか、根無し草の都市民か、の普通の人々

 

前回のお話

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関係するまとめはこちらになります。

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よろしければご覧になってみてください。各々のお話を短く箇条書きにしていますので、もしかしたらそれだけでも参考になるかもしれません。さらに興味がありましたら個々のお話をご覧になっていただければ嬉しいです。

 

大衆と庶民

普通の人々と特別な人々

大衆と聞くとどうも普通の人のことを思い浮かべてしまいますね。芸能人じゃない、政治家でもない、大学の先生でもない…つまりこうした特別な人ではない普通の人として、大衆というものがあると受け取られているわけです。

 

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ようは大衆とは特別ではない、普通の人というわけですね。そのため世の中の人々の大半は大衆というと自分のことを指す(もしくは含まれる)と思っているかと思います。しかし普通の人、といった時、じゃあ庶民なんかとはどう違うのか、という風に考えてみるとよくわからなくなりますね。

 

そしてどちらかというと先程のような特別な人とみなされた芸能人、政治家、大学の先生みたいな人と比べて普通とみなされる人のことは庶民と言った方がいいのかもしれません。特別とみなされた人たちはそれぞれ知名度や収入、様々な決定権や影響力、高度な専門的知識を有していると考えられるから特別なのであり、そしてそれらを持たぬから庶民とか大衆は普通の人となるわけです。

 

一定した生活様式としての庶民

ここで庶民というものをどう考えるかは難しいのですが、とりあえずずっと昔から同じような生活様式のまま暮らしている人だと考えてみましょう。というのも、私はよく知らないのですが柳田國男が常民ということを言っています(とりあえず農地における定住民、とここでは思っておけばいいでしょうか)。そして柳田國男をひいてだと思いますが吉本隆明が大衆の原像ということも言っていたそうです。それは世の中がどれほど変わろうと自分たちの生活の在り方はさほど変化させることなく暮らしてきた人々のことを指すようです。こうした考え方にあるのはむしろ大衆というより庶民といった方が近いかもしれません。

 

歴史的現象としての大衆

では庶民と比べて大衆はどんなもんなのか、といいますと、前回もお話ししたような生産様式が変わることによって人々の生活の場も土地/田舎から生産地/都市へと変わり、その大移動によって現れてきた無数の人々のことだと考えればいいかと思います。つまり庶民は農民をひいた概念で、昨日と今日と明日がほとんど変わらないような安定した生活様式を持つ人々のことであり、大衆は歴史的に現れてきた、生まれ故郷の価値観から引き剥がされて都市に集められた根こぎされた人々の群れといえるかもしれません。あえて対比すれば庶民は共同体的な人間の現存であり、大衆は都市的な人間の現存といえるかもしれませんね。

 

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そして庶民も大衆もごっちゃになっていて、世界中でぐちゃぐちゃに混ざり合って暮らしているのだと思います。

 

 

関係あるお話

庶民がなんでしっかりした層として考えられているのかはこちら

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/02/04/200016

そんな庶民がなんで大衆に変わっていくかはこちら

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/02/07/200033

大衆についてはこれから続きで書いていますので、よければご覧になってみてください。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/25/190006

 

気になったら読んで欲しい本

柳田國男全集』 

柳田國男はありがたいことに文庫で全集が出ています。今のご時世珍しいことですね。ただ私は読んでいませんので、常民についてどこに書かれているのかはわかりません。柳田國男を全部目を通しておけば日本のことはとてもよくわかるかと思います。日本、日本とよく言われるのですから、きっと読んでる人も多いのでしょう。

吉本隆明全集』 

吉本隆明も亡くなってしばらくしてから全集が刊行されました。多分まだ続いているんじゃないかな。膨大な文量なのでどこに大衆の原像について書いてあるのかはちょっとわかりません。

オルテガ『大衆の反逆』 

で、おそらく大衆という問題について最初に取り組んで古典的な考察をしたのがオルテガです。これからこの本に書いてあることを記憶を呼び起こしながら書いていこうかと思っているので載せておきます。うまくいけばいいんですけどね。

ちなみになんでも柳田國男とほぼ同時代にあたるらしく、洋の東西を問わず同じ問題として新しく現れてきた人々の群れのことを考えたような気もしますね。

 

追記:ブックマークで、興味深いけど特になにも書いてない、とコメントいただきました。続きもので書いていますので、今回はこの程度なんです。多分この話がひと段落つくのは来月いっぱいくらいかかります。

 

次回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/25/190006

前回の内容

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お話その152(No.0152)

価値観の違いすぎる変化を要求する田舎から都市への近代的大移動 〜引き剥がされる生まれ故郷の価値観と適応を迫られる新しい社会の価値観

 

前回のお話

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田舎/共同体から都市/社会への移動と価値観の変化

人間が田舎/共同体から都市/社会へと移動するとどのようなことが起こるでしょうか。ひとつは生まれてから今日まで培った価値観や関係性を喪失してしまうことがあげられるかと思います。

 

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生まれ持った環境の価値観と人間の精神

たしかフロイト大先生も書いていたんじゃないかと思いますが(忘れた)人間の精神は幼少期に与えられた影響によって大きく変わってきます。とりあえずこれをそうだとここでは認めてみましょうね。こうした幼少期から作り上げられた精神が無意識としてその人の精神の前提となる、とも一応考えておきましょう。

 

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これを動物で考えると刷り込みというやつがありますね。生まれてまもない雛が初めて見たものを親だと思ってしまうというやつです。これと同じように人間の精神も自分が育ってきて受け取ってきた価値観を基本的に正しいものと受け取るかと思います。たとえば戦士の民族であれば敵を殺すことは名誉なことかもしれませんが、現代日本に生きている私たちの大半は人殺しなんてよくないもんだと思っています。それを戦争だからといって敵兵を殺せといわれても、はい、わかりました、と殺すことは躊躇されてしまうかと思います。それは私たちは近代的価値観のもと、相手も同じ人間じゃないか、という考え方をどこか無意識のうちに思い起こしてしまい敵を殺すことが出来ないのだと思われます。それをもし戦士の民族から情けないと言われても困ってしまいますね。だって敵だろうがなんだろうが相手は人間なんだから殺しちゃダメなのだ、と無意識で後ろ髪を引っ張られてしまうわけです。

 

生まれ故郷の価値観と、新しい都市の価値観

こうしたわけで人間はおそらく生まれ持った環境で与えられた価値観を正しいものとして無意識化するかと思います。言い方を変えればそうした価値観に縛られるのかもしれません。人殺しがよくないと躊躇している間に相手に殺されるかもしれませんし、その前に殺してもその後いくら自分の行いは正しかったと言い聞かせても罪に苛まれるかもしれません(戦場のトラウマというやつですね)。そしてこうした価値観はたとえ無意識化されていて縛られていても、そうした価値観を正しいと思い共有している人々との間ではなんの問題もありません。

 

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しかしこれは共同体的な価値観の持ち方ですね。生まれてから死ぬまで同じ村で過ごすとすれば、こうした価値観は揺らぐことはありません。そんな必要すらありません。しかしこうした共同体から引き剥がされればそうはいきません。途端に今までとは違う価値観にさらされてしまいます。

 

引き剥がされる生得環境的価値観

そして近代による田舎から都市への大移動が行われることにより、こうした価値観の一致から引き剥がされることが起こりました。そして本来なら自分の生まれた村=共同体の価値観に従って生きていればよかった無数の者たちが都市という場で一堂に集められてしまいました。しかし都市はこうした余所者たちの集合でしかないので、かつての村=共同体のように綿々と続いてきた連続性のある習俗を持ちません。そのためそうして連続性から切り離された、表面だけを真似したやり方が各々のモデルとなってきたようです(でもこれは日本だけかもしれません)。となると連続性から生まれた合理性はなくなり、表面だけの真似から非合理的なものへと規範が変わっていくのかと思われますが、同時にかつての共同体によって定められていた規範も失われて個人の持つ欲望や願望が前面に出てくることになります。それを制御するべきモラルは共同体の持つ価値観によってなされていたので、そうした価値観がなくなることによってむしろ個人は野放図な自由を得たのかもしれません。

 

こうして大衆というものが歴史上現れてくるのでした。

 

次回のお話

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気になったら読んで欲しい本

ウィリアムズ『田舎と都市』 

そういえばこんなおあつらえむきな本もありました。これはイギリスの文芸批評なのですが、とても高名な批評家の手によるものです。文学を通して社会の変遷を田舎から都市へ移動した者の姿を抉り取るようなものかと思います。といいつつ、これもまた私はまだ読んでいないのでした。

フロイト精神分析学入門』 

フロイト先生の本。一番最初に読むのはこれか夢判断かと思います。結構長いんですが、フロイトの考え方を全般にわたって自分で解説してくれているありがたい本です。面白いんですけど、幼児期の精神の影響はこの本に書いてあったかはちと忘れてしまいました。多分書いてあると思いますけどね。

見ると最近中公文庫で出なおしたみたいですね。でも一冊のようですから案外便利かもしれません。

ローレンツ『ソロモンの指輪』 

動物の刷り込みはこちらのローレンツ先生から動物行動学という面白い学問を開いて観察の結果導き出したもののようです。ローレンツノーベル賞ももらったとても偉い学者なのですが、一般向けにもとても面白い動物エッセイを書きました。この本がその代表作で、刷り込みについても少し書いてあったかと思います。動体好きの方がいらっしゃればぜひとも読まれることをおすすめします。絶対面白いですよ。

ローレンツ『動物行動学』 

で、ローレンツ先生の学問上の論文集。私は読んでいません。もともとは単行本で4冊だったのですが、文庫にあたって収録数を減らして上下巻にしたようです。一応文庫版を載せておきます。全部読みたい方は単行本で探してみてくださいね。どちらにせよもう古本屋でしか手に入らないと思います。

 

『エッダ』 

有名な北欧神話の原典ですが、神さまたちはともかく人間たちはひたすら復讐ばかりしています。ぼこぼこ、ぼこぼこ復讐のために人を殺していますが、それを可能にするまったく違う価値観が存在してたんだろうな、と少し想いを馳せてみたりもしますね。

神島二郎『近代日本の精神構造』 

日本の村と社会の価値観の違い、というかその相互関係からどうやって日本社会の価値観が生まれてきたのか、ということが書いてあります。極端にいえば村の価値観が根っこを切り落とした上で日本全体の価値観になった、とでもいえばいいでしょうか。ですから上に述べたことはこの本からの内容ですので、日本以外でも同じなのかはわかりません。

パーク他『都市』 

と思っていたら、この本には都市で昔のような価値観がなくなった、というようなことが書いてありました。アメリカの都市を扱っているので、別に日本だけでなく都市化したところではどこも一緒なのかもしれませんね。

 

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お話その151(No.0151)

スタイナー(1931- ) 本【著作(翻訳)ブックリスト一覧/リンク(Amazon)】

 ガーリー・A.スタイナー(Steiner, Gary Albert )

 

 

スタイナー著作リンク一覧


行動科学事典 (B.ベレルソン共著, 南博, 社会行動研究所 訳. 誠信書房, 1966

行動科学 (バーナード・ベレルソン共著, 犬田充 訳. 誠信書房, 1968

 

スタイナー著作一覧

 

行動科学事典
行動科学

 

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トンプソン(米 1920-1973 ) 本【著作(翻訳)リスト一覧/リンク(Amazon)】

J.D.トンプソン(Thompson, James D )

 

 

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組織の革新 土屋敏明, 金子邦男, 古川正志 訳. ダイヤモンド社, 1969

オーガニゼーション・イン・アクション : 管理理論の社会科学的基礎鎌田伸一 [ほか]訳. 国文館出版, 1987 ① /新訳『行為する組織 : 組織と管理の理論についての社会科学的基盤 : 新訳オーガニゼーション・イン・アクション大月博司, 廣田俊郎 訳. 同文舘出版, 2012

 

注:『組織の革新』は1963年ピッツバーグ大学で開かれた第2回組織社会科学セミナーで論議された組織論の内容を編集したものらしい。詳しくはNDLの詳細な書誌情報を参照

 

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組織の革新
オーガニゼーション・イン・アクション / 行為する組織 

 

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チャールズ・ペロー(Perrow, Charles)

 

 

ペロー著作リンク一覧

 

現代組織論批判 佐藤慶幸 監訳. 早稲田大学出版部, 1978

エイズ・ディザースター : ニューヨーク市と国の失策 (浜谷喜美子 訳. 三一書房, 1994)

 

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現代組織論批判
エイズ・ディザースター 

 

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